第三節 人の視点、魔物の視点
1
俗にオークはオーク以外から『脳味噌まで筋肉詰まってる』とか言われるし、時々自らネタにする奴もいるが、実際はそうでもない。『魔法の素質がない劣った血』という理由で森から追放された白エルフが、草原地帯で覚醒してマッチョパワーを得たのがオークだ。草原では昔から向かうところ敵なしで、筋肉にものを言わせて大猪を乗り回した。成人の儀の中に、大弓でワイバーンを射殺せというミッションもある。そんなヤバイ弓を引けるほどの筋肉とはマジでヤバイものだ。
このように人類最強のマッチョ集団だったから、王国が乱立する時代にはどこもオーク族を驚異と見なした。それだけ戦闘に優れていたし、筋肉凄かった。魔法がないなら筋肉で殴ればいいじゃない。筋肉では足りないところに脳味噌を添えれば完璧じゃない。
ハラル・ギウスはオーク族だ。更に言えば歴戦のオークだったし、だてにマフィア幹部の椅子に座り続けていない。脳味噌のあるマッチョだ。暇さえあればどこかで出し抜いてやろうとか、弱味を握ってやろうとか考えている。スーラントに対しても、今回の依頼主に対しても。ハラル・ギウスは意地の悪い笑みを浮かべ続ける。何だか嫌な感じだ。
「何人集めるつもりかとか、どこに連れて行かれたのかとか、そういう事を聞きたいだろ?」
横たわる沈黙。
「聞きたいだろぉ?!」
「聞きたいですぅ!」
スーラントは悔しさを噛みしめながら、投げやりに頭を下げる。これではどちらが縛られているのか分からない。
「そんじゃあ、その前に見せる誠意ってやつがあるよな」
縄を解けとかそういう要求だろうか。それとも、ニアを置いていけとかそういうのだろうか。はたまた、一切を忘れてこの事件から身を引けとかか。スーラントは暴力沙汰に巻き込まれる覚悟を胸に、恐る恐る頭を上げた。
「超思念精霊少女ララシルの作者、饅頭矢太郎先生のサイン会行ってサインもらってきてくれ」
スーラントはすぐに返事ができなかった。ハラル・ギウスは大真面目な顔でこちらを見ている。笑う気にもならない。見つめ合う男と男、いやオークとスライム。永遠とも思える気まずい一時だった。ひとしきり呆れた顔を見せつけた後、スーラントはこう答える。
「自分で行け」
「おお? てめえの立場が分かってねぇらしいな」
「代理を立てればいい。言う事を聞く奴なら、周囲にたくさんいるだろう」
「馬鹿野郎、俺みたいな界隈の奴がノコノコ行ってみろ。カタギのファンの方々や先生を怖がらせるだろ」
「それに、グレイス・ファミリー幹部のララシル好きがバレたらちょっと困る……というのもありますね?」
ニアが口を挟んだ。横目で見ると、表情はすっかり柔らかくなっている。モンスターハウスならぬマフィアハウスに早くも慣れてきた。ケルベロスが味方になったので心強いのもあるだろう。
「そうそう、表向きは冷血非道のコワーイ奴になっとかねぇとな。美少女漫画にハマって、あまつさえ感動して泣いてるなんて知られたら、東街のパワーバランスが崩れかねん」
ハラル・ギウスの泣き顔など、スーラントには全然想像がつかない。
「周囲が求める姿に合わせる必要があるって、辛いですよね。素直な自分が出せなくて」
「話が分かるじゃねぇか。辛いんだよな有名人は。誰かさんと違って」
そんな事言われても困ってしまう。未知の集団へ飛び込む仕事は、何度やっても慣れないし勇気がいるのだ。
「いやー……そういう会場、私行った事ないんだよなあ」
「ねえ先生、お願いを叶えてあげましょうよ。わたしも一緒にサイン会に行ってあげるから」
ニアの言う通り、確かにこれは好条件だ。サイン会へ代わりに行くだけで、取引になるなら安いものだ。多分。東街の(当分の)平和を守るため、スーラントは渋々首を縦に降る。サイン会というイベントが何なのかも分からない。その芸術家のサインをもらって来るだけでいいのだろうか。マンジューヤ・タローはどこに住んでいるのだろうか。実はめちゃくちゃ達成難易度の高い仕事だったらどうしよう。スーラントは渋い顔をやめられなかった。話がどちらに転んでも、ついでに行かせる狙いだったのだ。でなければ自分からバラしたりしない。
「恥ずかしかったら、友達の代わりに来たって言っていいからよ。熱烈なファンですって伝えてくれ」
強引な感じで話は纏まった。実にタイミングよく、黒エルフの従者が遠慮がちに片手を上げる。
「あのー……思念通話の返事来ました。グレイス様から、舟を乗り替えるぞ、と」
「ほーん。ヤバめのネタでも出てきたかね。家のもん全員に伝えろ」
「了解です」
「グレイス・ファミリーは、今からあんたに協力する事になった」
「それは心強い」
「さすがのマフィアも、街がなけりゃあ生きて行けないぜ。儲けるためには街がいるからな」
ハラル・ギウスはニヤリと笑う。いい事言った感を出しているが、マフィアはマフィア。一般人の皮を被った悪の結社だ。
「さて、今回集まってもらったのはアレだ。ボスもドン引きのヤバ計画が進行してるらしいから、何とかしようぜって話だ」
何事もなかったかのように話すハラル・ギウスの傍らで、スーラントはふてくされていた。
「人をケルベロスに食わせようとしといてー」
「その話はもういいじゃねぇか。あんたを口封じする必要がなくなったし、ケルベロスもあんたのモンなんだから。仲良く事件を解決しようぜ、友よ」
「裏切ったって本来の依頼主に知られたら、自分達がヤバイからだろー?」
「そうとも言う」
この通り色々あって、応接間にはそれなりの平和が戻ってきている。ソファーに座る面々は、縄を解かれたハラル・ギウス、その従者、スーラントとニア、ローズ、ドミニク(と本体の猫)、そしてカミラだ。
突貫で直されたテーブルの上へ、改めて従者がお茶を置いていく。ケルベロスはスーラントの側で、床に置かれた骨型おやつを齧っている。スーラントはひとつため息をつく。不満の矛先は、悠々とお茶を飲むカミラへと移るのだった。
「どうして別室にいたのに助けてくれないのかなあ、カミラちゃんは」
「スーちゃんが今夜にでも乗り込んで来るだろうって聞いて、急いで駆けつけたのよ~? だけど猫ちゃんが、まだ出る時ではない……な~んて言うから」
まだ出る時ではない……の時だけ顔が激しくきりっとするカミラだった。なぜか声まで渋くなっている。猫ちゃんとはドミニクの事だ。正確にはその上の猫妖精。
「裏事情を知ってたなら、私が君ん家に逃げ込んだ時点で教えてくれたっていいのでは?」
「え~? でもそれって別料金じゃな~い?」
駄々を捏ねる少女の真似をして、カミラは口を尖らせる。確かにスーラントは、避難したいとしか言っていないのだが。こんな時まで強かな情報屋だ。
「私のプリン勝手に食べたしぃ~」
「あれは……護衛対象と早く打ち解けるための必要犠牲であって」
「ね~え、プリン買ってくださぁ~い」
カミラは、分かりやすくしなだれかかってきた。豊満で柔らかい胸を押しつけるようにして。極めつけに上目遣い。スーラントは冷ややかに鼻を鳴らす。スライムは有性生物と違って、そのような欲にはホイホイ屈しないのだ。
「何が弁償よ! どっかの馬の骨からの貰いものでしょアレ!」
「ヤキモチ焼かれると~、カミラ困っちゃうな~」
「全世界が羨む前向き思考」
「あんたらな~、毎回毎回痴話喧嘩はやめろ。俺の話を聞け」
ハラル・ギウスが間に割って入り、(断じて痴話喧嘩などではないが)痴話喧嘩はようやく鎮火した。
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