ハラル・ギウスは初老のオーク族で、同種の中でも目に見えて体格がいい。卓上の羽ペンが、まるで鶏の胸毛程度に思えるほどに。初老にして衰えている様子のない、隆々たる筋骨と鋭い眼力。屈強な歴戦オークを前にして、さすがの勇者も怯んでしまったらしい。思い返せばスーラントも、初対面では縮み上がったものだ。部屋にドラゴンの頭の剥製とか、魔王像とか飾ってあるし。

「なぜドミニクにあんな事をさせた?」

「何の話だ」

「しらばっくれるのか? こど」

「仕事を妨害されるのはまだいい。だが子どもを騙してやらせるなんて、ってとこか」

 ハラルは先回りして言った。

「あんたの性格だから、ああすれば絶対にここへ来ると思っていた」

「やはりわざとか」

「効果はあっただろう?」

 ハラルは、低く笑う事で返事とした。だが突然表情を豹変させ、大きな声を出す。

「お客さんが来たのに、さっさと茶も出せねぇのか! 言われる前に始めろってんだ!」

 側で長らく呆けていた若者への言葉だが、ニアを突き抜けて壁までも震わせた。玄関を潜ってから手前、彼女は借りてきた猫のように大人しい。中央に住んでいる学生は普通、マフィア幹部宅へ乗り込んだりしないのだ。スーラントに対するように、いきなりスライムを中身が出るほど締め上げたり、憎まれ口を叩いたり、強がったりする元気は出ないだろう。

「すいません!!」

 黒エルフの従者から、怒鳴った方の親分より大きい声が出た。叫びながら彼は飛び上がり、その勢いで走り去る。さては、ニアまで来た事に驚いていたな。ついでにリアル美少女に見惚れでもしていたのか。上流階級出身でもなければ、彼女にはなかなか出会えない。

「悪いな」

「いや、おかまいなく」

 ハラルのせいで調子が狂ってしまった。スーラントは頭を切り替える。ここへ来たのは怒るためではないし、お茶するためでもないのだ。冷静に。


「さて、話を戻そう。ドミニクは中央街で何をしていた」

「何であんたに言わなきゃならねぇ」

「何をしていたんだ?」

「……仕事の報酬を取りに行かせただけだ」

「仕事とは」

「そこまで教えてやる義理はねぇよ」

 やはり、普通に聞いただけでは教えてもらえない。今日の晩御飯を聞くのとは訳が違う。聞き方や手法を変える必要がありそうだ。とは言えハラルも暇ではない。あまり時間をかければ強引に追い出されるし、焦って下手に追い詰めても強引に追い出される。お茶が出てくるまでに、何か思いつけるだろうか。



 スーラントは返答に詰まってしまう。ここで初めてハラルが、ニアへとまともに視線を向けた。

「しかし娘の方を選ぶとはな。聖剣サマもいよいよ焼きが回ったのかね」

 スーラントが口を開く前に、ニアは相手を睨みつけてしまった。苦笑いで流せればよかったのだが、よほど悔しかったらしい。恐らく彼女は、何度も同じような言葉をかけられてきたに違いない。そのたび相手を睨むくらいの気概がなければ、勇者などやっていられないだろう。人間曰く勇者とは世界を救う者であり、世界の守護者を意味する称号だからだ。

「おお、怖いね嬢ちゃん。殺すなら『超思念精霊少女ララシル』の連載が終わってからにしてくれ」

「漫画読むのか」

 スーラントは思わず呟いた。初耳だ。ようやくお茶が配られると、ハラルは向かいのソファに腰かけた。

「俺は忙しいんだ。一杯飲んだら帰んな」



「ヒューマンから見たオークの印象って何だ? 魔王軍についた邪悪な種族だとか、豚の頭をした野蛮な遊牧民だとかか」

 ハラル・ギウスは、こう見えてよく喋る男だ。

「何も嬢ちゃんを責めてる訳じゃねえよ。勝った者が何でも決める。財産から戦士の処遇から、女子どもの行先から、何でも。戦ってのはそういうものだ」

 ハラル・ギウスはまだまだ喋る。

「俺達オークは、黒エルフどもに言われた通り、忠実に道を作り橋を作った。また殺し合いをするよりマシだと言った奴もいたし、何世代か後にはもう少しいい生活ができるはずと希望を語った奴もいた。だが、そうはならなかった。俺達は、未だに掃き溜めへ押し込められたままだ。中央街の時計塔を見ろよ。俺達が基盤を作り、俺達が煉瓦を運んだ。オークの事なんざ、綺麗さっぱり忘れちまったかのように輝いているぜ。現実の世界は、愛と優しさとちょっとの涙じゃできてねぇんだ。もっと露骨に輝くエグいもんでできてるんだ。ララシルの生きてる街と違ってな」

「話長いなあ!」

 スーラントは思いきりツッコミを入れた。飲み終わるまでの時間を雑談で潰されては、たまったものではない。

「年寄りになると長くなるんだ。あんたもあと二十年かそこらしたら、俺の気持ちが分かるようになる」

「そうですかねぇ」

 いつもは面倒な長話も、時間が稼げるからいいのだが。待てよ、まさか、とスーラントは思い至る。単純に捕まえたいだけなら、さっさと部下に囲ませればいい。あるいは飲み物に眠り薬でも入れればいい。だが彼はごく普通のお茶を出し、部下の一人も呼ばない。従者に一言伝えた後は、ひたすら話題を反らしてばかりだ。そういえば、いつの間にか従者の姿が消えている。嫌な予感がする。時間稼ぎをしなければならないのは、ハラルの方なのではないか。

「でもオークの人は魔王を信仰しているし、魔王側について罪もない人々を苦しめたわ。悪い事をしたら、罪を償う必要があるんじゃないかしら」

「罪もない人々だあ? 嬢ちゃん、正義の振るいどころにゃ気をつけた方がいい。そいつは扱いが難しいんだ。今の俺達がやるような、単純な暴力と違ってな。ああ、この世界にララシルがいたらな……」

「どんだけララシル好きなの?!」

 スーラントは、またもや思わずツッコミを入れてしまった。どうも調子が狂う。

「あんたにゃ話かけてねぇの」

「いや違った。一体何が目的だ。さっきから時間稼ぎをしているようだが」

「気が変わったんだよ。晩飯でも一緒にどうかと思ってなぁ」



 その時だった。扉が乱暴に開き、何かが入って来たのは。熊のように大きい体と、漆黒の毛並み、犬によく似た頭が三つ。一目見れば誰でも分かる、あまりにも有名な存在。伝説の魔獣、ケルベロスだ。マフィアが猛獣を飼っているなんてよくある話だが、ケルベロスは洒落にならない。飼育法違反の凶悪魔獣だった。犬のように首輪をしている様が冗談のようだ。


 三つの頭全てが各々唸り声を上げ、牙を剥き、酷く興奮していた。あの従者が紐を持っているが、全く制止できていない。そもそもエルフは、黒も白も力が弱い。ここまで連れてくるのに疲弊し、ゴミ袋のようにぶら下がっている。

「ただし、晩飯になるのはあんたの方だがな! あばよ、友よ!」

 従者が紐を離した。離したというより、引っ張る力が強すぎて離さざるを得なかったというべきか。ケルベロスは床板を軋ませながら、スーラントへ向かって一直線。助手はもちろん、探偵ですらも動けない。酷い仕打ちに対して、やっつけの抗議を表明するので精一杯だ。

「おいおいおいおい」

「喜べケルベロス! 念願の、人間の踊り食いだぜ!」

「もうやだマフィアって最低!」

 人間の擬態をしたままで、逃げられる場所はない。天井に張りついたとしても、稼げる時間はたった数秒。それが理由で決心がつかない。


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