知らないと言えば、ニアだって同じだ。聞いた事があっても、体験はしていないはずだ、とスーラントは考えた。前回のそれが五十年前なら、彼女はまだ産まれてすらいない。するとキトナはひとつ頷き、説明を始めた。

「フォルテナの星祭りですよ」

「それは、どういった?」

「いや待って、スーさんマジで知らないんすか」

 ロジャーが驚きの声を上げた。初対面からあだ名で呼んでくるとは、予想以上の逸材だ。返答に対して誰もが不思議そうな顔をした事から考えるに、人間なら誰でも知っている祭らしい。

「フォルテナ流星群が訪れる夜に、初代勇者の偉業を称え、平和の世を喜ぶ祭りです。ある流星雨の日に落ちてきた星の欠片が、聖剣となり初代を勇者たる者にした……との言い伝えがありますから」

 キトナは続ける。

「今年は、今月の十六日です」

「つまり四日後か。なるほど。今回のは、特別賑やかな祭になるだろうな」

 警察達は思い思いに肯定した。自分達は今まさに、それに対抗するべくあくせく動いているんだ、と言ったところだろうか。何事もなく過ぎればいい。ただ、祭りや式典の日などには、よからぬ影も暗躍しやすくなる。その上、連続少女誘拐犯がまだ捕まっていない。何らかの動きをする可能性が、かなり高いと考えておいた方がいい。

 スーラントは更なる物思いに耽ろうとしたが、途中で妨害される。目の前に突然ニアの顔が現れたのだ。さっきまで椅子に座っていたはずの彼女が、廊下側にいる訳がない。導き出される答えはひとつだ。

「何だお嬢さん、トイレに行ってたのか?」

「そういう事言わないで。行くわよ先生」

 ニアはしきりに、こちらを立ち上がらせようと引っ張る。何をそんなに焦っているのか、スーラントにはさっぱり分からない。長スプーンを持ったまま、名残惜しそうな目でパフェを見つめる事でささやかに抵抗した。下の方にクリームとフレークが残っている。羽根がクリームまみれになるのを恐れて、ローズも器に入ろうとしない。志半ばで残されるパフェも、悲しいと思っているに違いなかった。こんな上品なデザートを食べたのは久しぶりだ。あまりに名残惜しい。

「早く」

「まだ食べてる途中……」

「のんびりしてる場合じゃないのよ。見失っちゃう」





 慌ただしくアルテマイシャ達と別れ、二人と一匹は店を出る。ニアは鞄を抱え直し、自分を車に押し込んだ一人を見つけた、と主張した。本当ならば、この機会を逃す訳にいかない。二人は小走りになりながら、情報の共有を始める。

「戻る途中、彼が道を歩いてるのが見えたの」

「トイレから戻る途中に?」

 あの喫茶店には、外がよく見える通路があった。少し遠回りになるが。

「トイレの話はもうやめて。さっきから紳士が台無しよ」

「そうだった。私は紳士だった。すっかり忘れていたな」

 ニアはしかめ面をしたが、すぐに切り替える。どうやら目標を再捕捉した。スーラントが彼女の指差す方を見ると、ドミニクが角を曲がって行くところだった。いつも高貴な長毛猫を肩に乗せているので、人違いのしようがない。天敵を見たローズが短い威嚇音を上げた。


 ドミニク・ゴレンダンの肩に猫が鎮座している事は、人間達の間では東街ミステリーのひとつだ。猫を吸い続けないと死ぬ愛猫家説、死ぬほど冷え性のため乗せている説、実は本体が猫説……など諸説あるが、本当のところは定かではない。実はスーラントは、本体が猫系の妖精だと臭いで知っているのだが、本人以外が正体をバラすなんて野暮なのだ。魔物界隈では暗黙の内に、そういうルールが敷かれていた。世の中案外、一番の冗談が真実だったりする。スーラントとしては、下の人間(人間?)が何なのかの方が圧倒的にミステリーだった。

 幸い相手は気づいていないようだが、このままではいけない。ニアが接触すれば必ず面倒な事になる。飛び出しかけるニアを、スーラントは慌てて捕まえた。

「待て待て」

「どうして止めるの」

 ニアは暴れたりせず、一度の制止で大人しくした。声はちゃんと押さえていたが、表情はあらかさまに不満げだ。しかしスーラントの言葉により、一瞬でにんまり顔となる。やれやれ、なんとも現金な助手である。

「後をつけるぞ」





 時刻はすっかり、日が暮れる頃になっていた。モグリ探偵と押しかけ助手は、グレイスファミリー幹部の家につく。案の定、と言ったところか。東街にあるにしてはなかなかの豪邸だ。表向きは貿易会社重役の家という事になっている。

 ドミニクは警戒する素振りもなく、中へと入って行った。猫も同様に。こちらの尾行に気がついていないのか、気づかないふりをしているのか。スーラント一人なら察知されないよう配慮ができるが、今はニアとローズを連れている。ニアは平和な現代に生きる子どもで、しかも尾行素人だ。ローズにはまた静かにしているよう伝えたが、どんな小さな妖精にも気配はある。終始完全にバレないようにできているか、といったら自信がない。単純に招かれているのか、もしくは何がしかの罠だ。とスーラントは考えた。

 しばらく探ったが、物理的にも魔法的にも怪しい気配はない。二人は植え込みに隠れたまま、小声で会話をする。

「気になるよな」

 ニアは迷いながらも頷いた。待ち続けても、誰かが出てくる可能性はないだろう。なのでスーラントは、迷いなく立ち上がってしまう。枝葉が一気に擦れ、思いの外大きい音がした。すると少女は、ぎょっとした顔で見上げてくる。

「こういう時、コソコソすると逆効果だ。普通に玄関から入る」

「やめて」

「何だ怖いのか? ビビってるのか勇者様?」

「怖くないわよ!」

 どう見ても強がりだったが、スーラントは構わず歩き出す。もちろん玄関に向かってだ。ニアは挙動不審になりながらも、スーラントを追いかける。ついて行くのも怖いし、置いていかれるのも嫌なのだろう。このままでは一瞬で恐い人達に囲まれて、粉になるまですり潰されると思っている。

 少し可哀想だが、ここまで来て帰れない。どうやら今回の件、逃げ回るほど不利になる一方と見た。この家の幹部は話ができる人間だと、スーラントは知っている。こちらにも今日集めた情報や写真があるし、事件の被害者本人もいる。手持ちの武器を奪われる前に、攻勢に転じるチャンスだ。と思いたい。

「大丈夫大丈夫、知り合いだから。たのも~~!」

「やめて!!」

 ニアが急いで服を掴む。だが、その程度の力ではスーラントは止まらない。案の定玄関に辿り着く前に、いかにもな感じの若者達に囲まれるのだった。スーラントは念のため、両手を上げて見せる。こちらを警戒する集団の内、一人が一歩を踏み出した。彼の口から出た言葉は、事情を知らない者にとって予想外のものと言えた。つまり、よく分かっていないのはニアだけだ。

「ああ、あんたか」





「久しぶりだな、ハラル・ギウス」

「ハゥラル・グィ・リウスだ。いい加減覚えろ。エルフの発音は気に食わねぇ」

 オーク族のハゥラル・グィ・リウス。長い名の表す通り、由緒正しい武人の血筋を持つ人間だ。色々あって、今はマフィアなどやっているが。アマルサリアでは、ハラル・ギウスと呼ばれる事が多いのも事実だ。スーラントは肩を竦める。

「これは失礼。エルフに育てられたものでね」

 二人にとっては、毎度のやりとりだった。スーラントは慣れたものだが、傍らの少女はそういう訳にいかない。ニアは石のように固まって、一言も発せずにいる。顔の前に手を翳してみると、手袋越しに空気の流れを感じた。よかった、呼吸は忘れていない。


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