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ランドールはいつまでも喋らず、ニアもかける言葉がない。スーラントが二人の顔を見比べていると、ランドールは言葉を探すのを諦めた。そして、小さなため息をつく。片手を軽く上げ、近くを通った従業員を呼び止めた。
「この二人の分まで、僕のサインで。次来た時、一緒に払うようにしておいてくれ。キトナ、帰るよ」
最後の言葉は仲間に向けたものだ。
「まだ食べ終わってないので嫌です」
黒エルフの女性がきっぱりと言い放つ。ランドールと初めて会った時に、側にいた女性だ。確か、少しの間だけ時を止められる能力を持っていた。名前はキトナ。ある意味で、精神的にはランドールよりも強い。念のため覚えておこう。
「何だって? もういいよ、先に行ってる。君達全員サボるんじゃないよ。特にロジャー、時間通りに戻って来るように」
「俺がいつもサボってるみたいに言わないでくださいよー」
ランドールはさっさと荷物をまとめ、足早に去って行った。ロジャーと呼ばれた男の抗議も完全無視だ。言わないで、のところでちょうど喫茶店の扉が閉まった。
「あーあー、また妹ちゃんに挨拶もなしに行っちゃって。素面じゃ全ッ然素直じゃないんだから」
一番奥にいるロジャーが、にやけながら呟く。警察に似つかわしくない、と十人中十人に言われそうな身なりをしている。だらしなくソファーと壁の間にもたれ、優雅とは言えない感じで足を組んでいた。ネクタイもちゃんと締めていない。洒落た喫茶店よりも、東街の酒場にいた方がしっくりくる。これで国家公務員のエリートなんだから世界は広い。海よりも。
「二人とも、よかったらこちらへどうぞ。ソファーまだ座れますよ」
キトナが、食べていたパンケーキ皿をずらしながら呼ぶ。クリームやらフルーツやらの乗った流行りのやつだ。オーク族中年男性の前には、大盛のミートソース・スパゲッティ。ロジャーの前には食べかけのサンドイッチ。全員分のコーヒーカップ。ゆっくりしていたのか、誰もがまだ食事の途中だ。綺麗に中身がなくなっている一式の食器は、ランドールのものだ。
さてどうしたものか。服を引っ張られる感覚がしたので隣を見ると、ニアが小声で話しかけてきた。
「ごめんなさい。ここならご飯も美味しいし、落ち着けると思ったんだけど」
「気にするな。ある意味幸運とも言える。彼らから、何かいい話が聞けるかもしれない」
奢ってくれると言うのだから、遠慮なく奢られるべきだ。それにわざわざ同席を進めるところを見るに、彼らもこちらと話がしたいらしい。事件についての深い話はできないが、それでも意味はある。
二人が近づくと、オークの中年男性が無言で横にズレた。会釈のみかと思いきや、ハーンです、とぼそりと言う。名前か名字か分からない。ロジャーにもっと詰めろと、大きな手で促している。そこには自分が座ろうかとスーラントは考えた。ニアは、座るなら同じ女性の隣がいいと思っているだろう。そして一言断りを入れ、ハーンの隣に腰かける。ニアは少し緊張しながらも、キトナの隣に座った。
そしてスーラントは、向かい側の端にアルテマイシャを見つける。最後の一人は彼だったか。
「いたのか」
「いたのかじゃねーわ」
「影が薄かったものでね」
「燦然と輝くこのエルフ顔が目に入らないとは節穴か」
「君は気づいていないようだな。光りすぎる対象はむしろ見えなくなる事を」
「えっ物理的な話?」
スーラントとアルテマイシャが茶番をする脇で、女性二人はメニュー表を広げていた。スーラントはニアの様子をうかがう。真剣に迷っている顔が微笑ましい。腹ペコゆえに、どれも魅力的なのだろう。何か食べたいと思っているのはスーラントも同じだった。早くメニュー表を手に入れなければ。
「アルテさーん。仲良しなのはいいんですけど、オレも伝説の名探偵氏と喋らせてくださいよお」
相変わらずにやにやとしながら、ロジャーが身を乗り出した。差し出された手には、一番欲しいと思っていたメニュー表を持っている。見かけによらず気が利く人間だ。伝説の名、は余計だったので、スーラントは訂正した。もちろん、メニュー表を受け取りながら。
「いや、普通の探偵です」
「謙遜しちゃって。降って湧いたような騒動の中でお嬢様守り切って、その腕と今までの裏評判から護衛まで任されて? マジスゲーっすよ。百人くらいウチに来て欲しいくらいっすわ」
「ははは……」
羽毛のように軽く調子のいい言葉に、スーラントは乾いた笑い声を上げた。そういえば体も乾いている。人間と同じように、スライムの体も大量の水分を必要とするのだ。これ以上放っておけば柔軟性を失い、擬態の維持が難しくなる。とは言えここは店内なので、探さずとも水は向こうからやって来た。従業員がコップを置いて去るなり、スーラントは中身の全てを流し込む。地味なピンチはすぐに解決した。スーラントは、次の問題に取りかかる。もちろんそれは空腹で、従業員を呼んで料理を注文する事で解決する。
ニアが頼んだのは、ホットサンドとサラダ、紅茶つき。もちろん一人分の。だが、スーラントは微塵も遠慮などしなかった。次々と料理が運ばれる。運ばれてきた側から綺麗に平らげていく。テーブルの占有面積を拡大する訳にはいかないので、なるべく早めに食べる。もちろんマナーに気をつけながら。数えていないが、ゆうに五人前くらいはあっただろうか。
スーラントの大食いを知らない刑事達は、もちろん驚きを隠せない。苦しそうな素振りひとつせず、常にうまそうに食べ続けるのだから。事実ニアが言っていた通り、どれも美味い。ニアとアルテマイシャは、ただ苦笑いをするしかない。後日請求書を見たランドールが左右にたっぷり首を捻る事になるのだが、それはまた別の話だ。
「そう言えば……この辺の街中が賑やかでしたけど、祭か何かあるんですか?」
デザートのフルーツパフェを口に運びながら、スーラントが言った。瞬間、テーブルの全員がこちらを見る。誰もが虚を突かれた表情をしていた。刑事組が素早く顔を寄せ、何やら相談し始める。こんな場面でも、オークのハーンはとにかく無言だ。長い台詞は喋らなそうだが、他の人間がよく喋るのである意味助かる。
「ご存じでない?」
「そうなんだろうな」
「さすがにないっしょ」
アマルサリアに住む人間なら、当然皆知っている物事らしい。もしくは人間ならば誰でも。スーラントは考えを巡らせながら、手元に視線を戻す。
パフェの側には、いつの間にかローズがいた。ほとんどの人間は妖精が見えないのをいい事に、クリームや果物を好き勝手に拝借していく。
スーラントは追い払わなかった。他人の分にまで手を出さない限りは、迷惑ではない。二度も命の危機を救われたし、このくらいの褒美は与えてもいいだろう。しかしこの妖精は、本当に甘いものが好きだ。ゴマより小さい歯が虫歯になったら、どうすればいいのだろうか。動物病院は魔法生物を治療できないし、シャーリーが治せるとは思えない。スーラントの思考があさっての方へ向かう中、アルテマイシャが代わりに言ってくれる。
「こいつがこの街に来たのは三年前だからな。開催は五十年に一度だから、知らないのも仕方ない」
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