隣のニアは息を呑んで、次に緑色をしたお茶を恐る恐る一口飲んだ。それからは、静かに耳を傾けている。湯気の立ち上る熱々タマゴに興味津々だが、極秘情報を集中して聞きたい気持ちもある、と言ったところか。



「実は……連続少女失踪事件と厳重封印指定者第四位ヨルダの脱獄、関係があるかもしれん」

 アルテマイシャは、いきなり本題を投げかけてきた。史上最高にシリアスな顔をしている。彼の姉に当たる監獄長ヘルマイシャが、首都へ顔を出す知らせが入った時レベルだ。端から見れば大げさな話だが、彼の中では、どちらも世界の危機レベルの一大事だった。

「わたし、危うく六人目になるところだったのね」

 ニアが困ったように眉尻を下げて言う。力強い肯定の言葉が、二人の男の口から同時に飛び出した。

「いつも一人で勝手に突っ走って……怪我とかしたらどうするんですか。俺まであなたの父上に怒られるんですよ」

 アルテマイシャの口調は、内容のわりに柔らかめだ。諦めている気配さえある。ニアの脱走や独断行動は、恐らく日常茶飯事なのだ。苦労人っぷりを笑ってやりたいところだが、スーラントも他人事ではない。ダンジョンに入った冒険者は、全員の協力なくして帰還できない。厳重封印指定者の脱獄ともなれば、一秒たりとも遊んでいる暇はない。獄炎のヨルダは今も、この街のどこかに潜んでいて、何かの拍子に暴れ出すかもしれないのだから。


「ヨルダと少女失踪ねえ……」

 それに監獄長ヘルマイシャも、近い内に必ずヨルダ関係で首都へとやって来るはずだ。もしくは既に一度くらいは来ているか。捜査のために、こちらからグランクスト監獄へ出向く事にもなるかもしれない。日時は分からないが、その時必ずアルテマイシャの神経が磨り減る。何を隠そうアルテマイシャのエルフ女恐怖症は、三人の姉達を元凶として始まっている。美人姉妹に囲まれるなんて役得では、と思うが、楽しい事ばかりではないらしい。むしろその逆だと、彼はいつも疲れた顔で主張する。一体どんな人生を歩んで来たのか、親兄弟のいないスーラントは知る由もない。

「あー、あらゆるジャンルの未婚少女を侍らせる趣味があったんだろう?」

 一切考えずに喋ったため内容を忘れてしまったが、妙な事を口走ってしまったのは分かった。その理由は明確だ。突然アルテマイシャが麦酒を吹き出し、ニアからは冷めた視線が送られたからである。スーラントは絶対零度無言空間に三秒以上耐える事ができなかった。こうなれば一か八かだ、アルテマイシャに罪を擦りつけよう。彼の方へと向き直り、堂々と言い放つ。

「お前は何を言っているんだ?」

「いやお前だお前。しょうもない事を言ってる場合かよ」

 作戦は失敗した。仕方ない。元より望み薄だったのだ。スーラントはひとつ咳払いをして、さっさと次の話題に移る。



「分かった分かった、真面目な話をしよう。連続少女失踪事件の捜査に、協力させて欲しい」

「いいのか? また面倒事に巻き込まれるぜ」

「もう巻き込まれてる。いつもの事だ。それに、彼女の正義感には負けたよ」

 スーラントは少し笑って、隣に腰かけるニアへと親指を向けた。自分が話題に登ったのに気づいておらず、反応は薄い。今の彼女は食事に夢中だった。フォークで二つに割った煮卵に、何度も息を吹きかけている。この手の食品はいざ割ってみると、中心部が思いの外熱いのだ。スーラントは、初めて茹で玉子を食べた時を思い出す。丸ごと飲み込んでしまい、体の内側を少し火傷した。あれは、果たして……いつだったか。

 長く生きるほど過去は積み上がり、現在の情報量を越える。明確に思い出せない事が多くなっていく。どうして自分は、ヨルダを知っているのだろう。情報として知っているだけと表現するには冷たすぎ、知人と表現するにはあまりに遠い。自分の事ながら、よく分からない。スーラントは、すっかり汗をかいたジョッキに口をつける。一気に半分ほどを空けると、ほろ苦い味が核へと染み込んでいく。



「よし。そういう事なら、これを持って行け」

 アルテマイシャは、己の足元に置いてある鞄に手を突っ込む。しばらくして出てきたのは、紐で閉じられた数枚の紙だった。

「失踪少女の家リストだ。警察が聞き込みしてるところだが、こちらとしては、お前の人並み外れた見地からの意見も参考にしたい」

 アルテマイシャは、人外のという言い方を避けた。スーラントは黙ってリストを受け取る。とりあえず軽く流し見てから、四つ折りにして懐にしまった。巷の報道と同じ名字が、五件書かれている。訪問する順を決めたり質問を考えたり、丁寧な準備が必要だ。帰ってじっくり決めよう。今はアルテマイシャから、できるだけの情報を受け取っておきたい。ついでにもう一品注文したい。

「ダイコンください。……ところで、何を根拠にヨルダが犯人だと?」

「ヨルダが脱獄した夜と、最初の被害者が失踪した日が同じだ」

「それだけか?」

「いや。被害者が失踪する日、必ず近辺でヨルダの目撃証言があった事が分かっている。赤黒い人影が屋上につっ立ってたとか、路地裏にうずくまっている女がモヤになって消えたとか」

「まさか、もう五回も出ているのか。あんなのが?」

「ドラゴンになって大暴れしたのは、初めてだったがな。俺達に妨害されたから、怒ったのかもしれないぜ」

「ヨルダの力は、やはり正常には見えない。魔族だというのに、作る影が低級亡霊のような性質だった。指名手配書を偽造するような小賢しい根回しも、彼女の立場を考えればできそうにない。ヨルダを上手く利用して、何かを企んでいる連中がいるんだな?」

「あれの気配がいびつなのは、俺にも分かるぞ。封印されている内に力が歪んでしまったんだろう。獄中で人間への怒りを燻らせていた猛獣に、いかにして人間が首輪をつけたのか」

「それが誰か、って事か。怪しいのは?」

「いかにもやりそうなのは、色々いるがな。動機の予測がついても、証拠が揃えられなければ……」

「今の世の中は複雑だなあ」

「種族や身分に関わらず、公平性が重要視されるようになったのはいい事だ、と俺は思う。少なくとも、法の下ではそうだ」

 スーラントは返事をしなかった。意見を考えている訳ではない。二人の会話に集中しすぎて、護衛対象への注意が薄れてしまっていた事に気づいたのだ。危ない危ない。反対側に座っているニアの方を見る。皿の上の煮卵は、綺麗に平らげられていた。彼女は難しい顔をしていたが、視線に気がつき少し微笑む。

「失礼。いつも一人だったもので、オデン初挑戦の君を長らく放置してしまった。次は何頼む?」

「気にしないでください。でもお言葉に甘えて、もうひとつ頂こうかしら。何かお勧めはある?」

「そうだな、ダイコンはどうかな。珍しいものに挑戦したいなら、魚肉を使った団子もあるぞ。少し甘みがあり、食感はフワフワしている」

「フワフワ……興味あります」

「追加注文お願いします。ハンペン二つ」

「あっ、じゃあ俺もハンペ」

「お前は自分で払え」

「ケチくさい事言うなって。俺達親友だろ?」

「うるさい酔っ払いだなあ」

 長期的に観察した結果、アルテマイシャは麦酒一杯程度では酔ったりしない事が分かっている。

「じゃあ、奢ってやるから教えてくれ。正直、ランドールはどういう人間だ?」

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