第二章 事件と踊るにゃ足場が悪い

第一節 学生勇者の助手兼業

 アマルサリアはまだ若い国であり、中でも首都アマリは可能性を秘めた都市だ。主に蒸気機関や法律を学びに、熱意を持った者達が諸外国からやって来る。アマルサリアは古今東西老若男女、基本的に隔てなく受け入れた。特に東街は色々と手頃なのもあり、珍しい民族や生物に遭遇するのも稀ではない。

 とりわけ東街は、アマルサリア一雑多な場所だ。貴族だとか商家の子息が、全てを用意されたところへ優雅に留学するのとは違う。どこか遠くで一からやり直そうと、出航寸前の船へ転がり込んで来たような。ポケットに無謀な夢と有り金を突っ込み、その日の内に汽車へ飛び乗って来たような。それ故に、妙なものも存在する。


 ヒノモト国から来た謎の親父が経営する、蒸気式移動販売車オデン・ノ・ヤタイ。とか。



「ヤタイって、なんですか?」

 アイスブルーの瞳に夜光をめいいっぱい集めて、少女は質問する。栗色をした艶やかな長い髪は、屋台提灯よりも小さな花を飾った方が似合いそうだ。

 木と紙でできた筒に蝋燭を入れた照明、謎の文字が描かれた渋い飾り布、メニュー表に書かれた謎の言語(下には公用語の料理名)。それから、銀色に輝く仕切りつきの四角い鍋、鍋から立ち上る異国の香り、不思議な厨房服を着た異国の中年男性店主、店主の右手で踊る二本の細長い棒。

 鍋で煮込まれている食材は、見慣れたものから珍妙なものまでバランスよく並んでいた。カトラリー立ての中には、客用のフォークとスプーンが数セット。ここまで異文化に囲まれると、馴染みの食器が逆に目立つ。ニア・フェデルテ・ヴァルグレン……彼女にとっては、何から何まで初めて見るものばかりだろう。勇者の玄孫は言わずもがな上流階級のため、中央街からあまり出た事がないのだ。


 店主は、今日も返事をしない。眠ったような顔で、しかし軽快に二本の長い棒を動かしている。食材の煮え具合を確認しているのだ。とんでもなく無口なだけで、重要な事はしっかり理解している。注文から会計までがいつもスムーズだからだ。

 佇まいからして不思議な人物である。名前か名字かはたまたあだ名か、ヤシマと呼ばれている。彼の祖国では騎士的立場の者だったらしいと聞いたが、あくまで巷の噂だ。彼に何を話しかけても、大抵は静かに耳を傾けるのみ。時々もっともらしく頷いたり、聞き慣れない単語を口にする事はある。だが相談事などの内容を、後日他人に口外する事はない。もしかすると母国語しかろくに話せないのかもしれないが、とんでもなく無口なので分からない。寡黙な店主の代わりに、スーラントが教えてやる事にする。

「ヤタイはヒノモト語だ。こっちで言うところの、屋台だな」

「へぇ~。あっ、この料理の名前、ヤタイじゃなくてオデンの方なのね」

 今夜は晴れでよかった。空には青白い満月が輝いている。雨の屋台も乙なものだが、春の夜はまだ少し寒い。それにこのオデン屋は、いる時といない時がある。今日は幸運だ。密談しながら一杯やるにうってつけだ、ったのだが。スーラントは物憂げにため息をついた。いい事があると、大抵面倒事もついてくる。今回は、左側に座っている少女だ。

「しかし何で着いてきちゃったんだろうね、この子は」



 スーラントはあの後、慎重な行動を心がけながらノンブ宅に帰った。指名手配書が出ているが、むしろ身を隠すより前にやるべきなのだ。当日ならまだ間に合う。時間が経てば立つほど、根も葉もない情報が複数の市民達によって付与されていく。そうなれば、行動を制限せざるを得なくなる。不自由になってからでは遅い。

 自室で服を着替えると、夫婦にしばらく留守にすると伝えた。今回の仕事で使えそうな道具や衣服、一時的な生活に必要なものを鞄に詰めて、これまた慎重にカミラ宅へ戻る。


 ローズは荷物を見張ってもらうため、カミラの家へ置いてきた。本当はニアに荷物を見ていてもらうつもりだった。だが彼女は今度こそ一歩も引かない。ローズはまたもやニアの味方をし、センセーといるとロクな目に会わない、少し休ませろなどと次々難癖をつける。スーラントは最終的に、二人の意見を承認した。護衛を拒否して逃げ回られるよりはマシだ。と思い直したのだ。どうせこれから、とうぶんの間彼女と離れる訳にいかなくなる。どうしても助手がやりたいと言うなら、付き合ってやってもいいだろう。

「先生がいいって言ったんじゃない。それに、私は先生の助手ですから、いつでも一緒にいないと。お土産買ってきてくれなかったし……」

「はいはい。好きなオデン買ってあげるから。ところで、助手って何やるんだ?」

「えーと、先生が快適に生活するためにお世話を」

「ま、間に合ってます」

 スーラントは顔をひきつらせた。そして彼女の言葉を遮った。一般人の自分が高貴な美少女を働かせていると知られたら、勇者親衛隊に暗殺されてしまうだろう。数日後、力なく側溝を流れる巨大スライムの姿が!

「じゃあ、専門知識で支援……ですか?」

「何の専門知識が?」

 ニアは質問を真に受けて、神妙な顔で悩み始めた。彼女は普通の学生だし、職人や学者に弟子入りしている訳でもない。これから本格的に法律を学ぶのかもしれないが、違う道へ行くかもしれない。とにかく彼女に専門性はない訳だが、スーラントだってモグリなので似たようなものだ。スーラントはあっさりと笑って、メニュー表を広げる。

「気にする事はない。戦えるだけでも十分心強いさ。さーてアルテマイシャの奴はなかなか来ないし、先に食べてるか」

 自室から持ってきた財布には、ちゃんと金が入っている。こういう時のために、複数に分けて持っているのだ。

「とりあえず、麦酒一杯ください。あとタマゴ」

 今は未成年を連れているし護衛の立場なので、酒の追加注文はなしだ。一杯だけなら酔う事はないし、そこまで飲みたい気分でもない。麦酒は人間が人間のために作った飲み物だが、スライムだって酔っ払う。理由は分からない。

「わたしも……、タマゴ。それから、お茶があったらください」

「店主殿、俺にも麦酒を一杯頼む」

 ニアに続く形で注文をしたのは、いやというほど聞き覚えのある声だった。右手側から飾り布を潜って現れたのは、黒髪を気取った形にまとめた黒エルフ男性。捜査一課特殊刑事のアルテマイシャだ。





「今朝出回っていたお前の手配書だが、巧妙な偽物だったぜ。明日には、誰かの悪質ないたずらとして処理されるはずだ」

「それはよかった。で、本当のところは?」

「誰かの悪質ないたずら、としか言いようがないな。今のところは」

 中央に敵がいる可能性が高い中、よくやってくれている方だろう。手配書が嘘だったと発表されるなら、明日からは格段に動きやすくなる。それだけでもいい知らせだ。

「次。昨日遭遇したドラゴンに似た魔物だが、鑑識によると……、これは機密情報なんだが……先日脱獄した厳重封印指定者第四位の可能性が高いそうだ」

「どうりでな。絶対にただ者ではないと思っていた」

 スーラントは最初から(何故か)知っていたが、今真実を知ったかのように答えた。次に二つに割っておいたタマゴを、口に入れ丁寧に味わう。少し放置したかいあって熱すぎず、適温だった。魚介の香り高い出汁が、心まで染み渡るようだ。


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