考えているうちに、食事は終盤にさしかかる。空気が重くなってしまった。非常に居心地がよくない。何とかしなければ。苦悩するスーラントの脳裏に、黄金の輝きが降臨する。冷蔵庫に秘密兵器があるのを思い出したのだ。魔王様魔族様カミラ様。甘いものは、人間の心を柔らかくすると聞く。喧嘩した時に出すと有効だと、いつかどこかで聞いた事がある。


 静かに腰を浮かせると、ニアがこちらを怪しんでいた。逃走の意志なしとアピールしながら机を離れ、プリン二つとスプーンを二本持ってくる。美味そうな菓子を見せてもニアは喜ばず、黙りこくっていた。複雑な視線だけを、スーラントとプリンの間で行き来させる。人間の機嫌を取るのは難しい。本能のままに生きる動物とは訳が違う。

 本能のままに生きる動物、もといローズが顔を輝かせて食いついてきた。お前じゃない。プリンを持った手が逃げる。妖精が追いかけてくる。分けてやってもいいが、お前じゃない。プリンを旋回させながら、スーラントは提案をする。

「……とりあえず、プリン食べる?」

「それはさすがに、悪いので……遠慮しておきます」

「お固いねー!」

『ニアが食べねーなら、あたしにくれ!』

 人間用のプリンを、妖精が一個丸ごと食べるのは無理がある。プリン一号は、ついにローズに捕まってしまった。彼女は待ちきれずに、小さな口で蓋を噛りだす。実に食欲旺盛。若さとは恐ろしいものだ。歯形のついた方は自分が食べようと、スーラントは考える。

「ほら、シーシル牧場の濃厚プリンと書いてある。お兄さんはこれ、絶対美味しいと思うなあ」

 結局ニアは、プリンも食べた。





 二人でテーブルの上を片付ける。二人分の食器と、ローズの手を洗う。

「探偵なのに探偵小説読んだ事ないの?」

「ないね」

「本当にないの? どうして探偵やってるの?」

「自分の能力が、いい感じに活用できそうだったから」

「憧れてたから、やってる仕事かと思ってたのに……」

「何を言ってるんだ青少年。大人なんてみんなそんなもんだぞ」

「えーっ嘘! 先生だけでしょそんなの」



 順番に歯を磨く。髪を整える。少女の髪は長いので、スーラントより時間がかかる。

「先生とカミラさんって、つき合ってるんですか?」

「いいや」

「でもよしみって。昔恋人同士だったとか?」

「どうだろうねぇ」



 よほどプリンが美味しかったのか、ニアの口調は柔らかくなっている。少しは気持ちが落ち着いたようで、スーラントは胸を撫で下ろす。彼女の方から雑談を振ってくるようになったのは、いい流れだ。意思の食い違いは多少あるが、今のところ良好な関係を築けているとみていいだろう。プリンは剣よりも強い、時もある。

「元気になってよかったよ。では、留守番よろしく」

 スーラントは新しいコートを手にする。これもまた、カミラが用意してくれたものだ。コート掛けには、シャーリーから預かっている鳥籠もかけてあった。扉を開けると、ローズが自ら進んで入って行く。理解しているなら話が早い。リビングのドアノブを掴んで、廊下へ足を進める。



「行ってきまー」

 す、を言う前に、スーラントは笑顔を浮かべたまま無様にすっ転んでいた。床へ叩きつけられた鳥籠から、悲鳴が響き渡る。思うように体が動かない。原因を探るため、振り返ると、

「わーー!」

 思わず叫んでしまう。ニアが全体重をかけ、体にしがみついていた。驚きすぎて、うっかり口から中身が飛び出しそうになる。中身と言っても心臓ではなく、内側に収納している銀色スライム体だ。はみ出させる訳にはいかないので、全力で押し留める。ある意味では、心臓が飛び出すよりまずい。

「何か飛び出てる……」

「何が見えたって? 昨日の精神的ショックがまだ癒えてないんだろうな、かわいそうに」

 訂正、うっかり中身が飛び出してしまった。幸いほんのちょっとだったので、紳士的に誤魔化しておく。


「行かないでー!」

 気を取り直した少女の拘束は、スーラントの動きを止めるに十分だった。意外と力が強い。それにこの手足の配置が、嫌な感じだ。逮捕術の拘束技ではないだろうか。勇者も玄孫くらいになると平和に暮らしているものと思っていたが、かなりガチめの戦闘訓練を受けているようだ。

「一人で行っちゃ駄目! また兄上が何かしてくるかも!」

「そんな事いててて」

 ランドールの指示で車に押し込まれた証拠はないが、彼女はそう思い込んでいるらしい。ニアは涙目になりながら、力いっぱい物騒な技をかけてくる。やはり人間には、スライムに容赦しない本能があるに違いない。魔王の眼というワルそうな別名がある事からして。

 だが残念、色々とミスマッチだ。スライムは肺呼吸生物ではない。関節もないので、対人間に特化した技の効果は半分以下に落ちる。体を自由に変形させれば、拘束から抜け出す事など造作もない。しかし人間の前で、涼しい顔して体中を変な方向に曲げられない。それに呼吸が辛くなくても、それなりの痛みはあった。

「降参、降参!」

「仕事を放り出すの?」

「力を緩めて。逃げないから、本当に。話し合おう冷静に」

 確かにスーラントは、ランドール警部から護衛の依頼を受けた。だが、あの胡散臭い眼鏡は重要な事を言っていなかった。そう、期間だ。長期間か短期間か分からないし、依頼主も予測が難しいのかもしれない。アルテマイシャが次に現れるまで、護衛の仕事を続けなければならないのだ。なんと言っても護衛対象は長官の愛娘だ。仕事を放り出す気はない。真面目にやる気があるからこそ、先に済ませるべき事がある。無抵抗を続けた甲斐もあって、ようやくニアの力が緩んだ。やれやれと、スーラントはコートの襟を直す。

「君は一日、平和に留守番をしてもらうだけだ。私は今日中に戻って来る」

「わたし一人になっちゃう。わたしもついて行く」

 大仕事に本腰を入れる前に、シャーリーの依頼を今のうちに解決しておきたい。そう説明をする。知らない家に一人残されるなんて、大人でも過酷な留守番である。だが、ニアは危険なものに狙われている。彼女を連れて外を出歩く方が危険だ。

「カミラがいるだろう?」

「あの人は人間じゃないし……」

 目の前の男も人間ではないのだが、それは言えない話だ。

「いいか、私は燃えても死なない男だぞ。それに君は警視庁長官の娘だ。一度でも君を傷つければ、アマルサリアで生きて行けない。魔物でも分かる事だ」

「なにそれ……」

「この言い方が、今の君に一番有効とみた。だからそうした」

 ニアは変な物体を見る顔をした。また何かはみ出しているのだろうか。スーラントが顔の辺りを確認していると、少女が小さな溜め息をつく。いくら止めても無駄だと、ようやく気づいたらしい。

「ちゃんと帰って来てよ」

「来るさ。戦争に行く訳じゃないんだ」

「またお爺ちゃんみたいな事言ってる」

「そうだ、お土産も買ってこよう。食べてしまったプリンと、貸してくれた服のお礼としてね」

 スーラントがキレよく親指を立てると、ニアは変な物体を見る顔をした。





 戦争に行く訳じゃないんだ。確かにそう言った覚えがある。スーラントが、カミラの家を出る際にだ。世界を二分する争いは終わり、平和がもたらされたはずだった。まあその辺の事は、あまり覚えていないのだが。とにかく今日はシャーリーの元へ華麗に妖精を返して、華麗にお土産を買って帰るはずだった。東街教会の門へ辿り着いた時、華麗なる夢は儚く崩れ去った。


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