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それに、極炎のヨルダが脱獄したのは国家の失態だ。ランドールはニアと違って学生ではなく、将来を約束された勇者直系の子孫で、今こうして警察組織で働いている。知っているはずだ。なのに恐ろしい魔物としか言わず、正体をうやむやにしている。スーラントが真実に気づいているとも気づかず。
そういえば、アルテマイシャは何をしているのだろうか。彼はというと、お付きの黒エルフ女性と思念通話でやりとりをしているようだ。何を話しているのか、アルテマイシャの表情だけが忙しなく変わる。面白い。これだからエルフ女恐怖症は。
「君がニアを助けてくれたのかい? ありがとう、恩に着るよ。えーと……」
「はあ、どうも。スーラントです」
握手を求められたが、スーラントは応じなかった。こういう輩はどうも苦手だ。手の中に何かを隠しているとも限らない。画鋲とか。それに、スーラントの体は今汚れている。
「君がスーラントか。アルから話はよく聞いてるよ。握手は嫌いかね?」
「手汗が酷い体質でして。いつも手袋をしてる」
「なら仕方ないね。握手はしなくていいから、もうひとつ頼まれてくれないか? 灰色をした君にしか頼めない仕事だ」
バレてる。
「依頼内容を聞かない事には何とも……」
話の流れからして、髪色の事では絶対ないだろう。スーラントは苦笑いをして誤魔化した。何故かバレているが、正体までバレていないからセーフだ。さすがのアルテマイシャも、一番言ってはいけない話が分かっている。よかった。今度カミラの店の一番高い酒を、ボトルで買わせてやる。
「さすがは下流階級、ホイホイ名誉に飛びつかない。いいね、合格。適任だ」
「何ですかそれ」
「我が妹を護衛してくれたまえ。恐らくは、この街全体を守る事にも繋がる」
「……何ですか、それ?」
「スーラント、彼の言う通りだ。ニア嬢を一時的に護衛しろ」
仕事が一段落したのか、突然アルテマイシャが首を突っ込んできた。視界にいけすかない黒エルフの姿現る。思念通話しながら外の音を判別しているとは、やはりエルフの耳は恐ろしい。先に言い返したのは、スーラントではなくニアだった。
「わたしだって戦えます。自分の身なら……」
「ですが、その右手が治るまでは、無関係かつ人畜無害そうなこいつと一緒にいてください」
ニアが複雑な視線を送ってきた。喋り始めるなら今だ。
「それが私って訳か。人畜無害ね、それどっちの意味で?」
「俺じゃない。さっき警部のお付きから思念通話で」
「エルフのそういうところが嫌いなんだよな」
警察のせいで酷い目に合ったのに、タダで仕事を押しつけられる訳にはいかない。首都アマリの危機は、ほぼそのままアマルサリアの危機と言っていい。なるべく協力したいと思う。だが、スライム生稀に見る厄介事なのも確かだった。
現在警察組織内が混乱しているのも、また確かだろう。恐らくは、いやほぼ確実に脱獄囚ヨルダが関係している。今までの発言から、誰が敵で誰が味方かもはっきり判明していない。なのでランドールは、外れ者くらいしか頼るアテがないと見た。自分でいうのも何だが、信用できる外れ者は意外と少ない。という訳で、スーラントはごねてみる。
「深い事情が聞けないようなら、なおさらタダでという訳には行きませんね。おいくらで?」
「もちろん。後払いになってしまうけど、三十……」
「えっ十? センテの方じゃないですよね?」
「センテでもいいよ?」
「おやおや、勇者の子孫様がセンテ単位で機密依頼を?」
ランドールの表情は変わらない。むしろ笑みを深めた、ように見える。好意的な意味で興味を持ったか、もしくは苛立っているかだ。スーラントの経験上、大抵は後者である。
「こっちは妹の命が懸かってるんだ。五十」
「こっちだって自分の命を賭けてる、もう一声!」
「オークションじゃないんだよ」
「金じゃないものをオマケでつけて頂いても? いいんですよ?」
ランドールは考えるふりをして、眼鏡のつるを軽く叩いている。こちらからつつけば案外分かりやすい。そして唐突に気を持ち直して、上体を傾けた。何かと思えば、傍らの黒エルフ女性が耳打ちを始めたのだった。今時を止め続けているのは、彼女かもしれない。そろそろ魔法が解けようとしている、そんなところだろうか。まああちら側の黒エルフは、彼女一人しかいないのだが。
「時間がない。報酬の話は後だ。前金代わりに、と言ってはなんだけど、今日の一連の交通法違反は見なかった事にしてあげよう。幸い死人は出てないし。君のおかげで、我が妹の命が助かった訳だし」
今まで思念通話で何をやっていたのかと思えば、今回も権力に負けたのかアルテマイシャめ。あの黒エルフ女にちょっと脅されただけで全部吐いたのか。友の裏切りにスーラントは泣いた。心の涙というやつだった。表情の変化が面白いとか言ってる場合ではなかった。
文句をつけようとしたスーラントは、突然アルテマイシャに肩を掴まれ引きずられて行く。お前さすがに立場上どうのとか言っていた気がする。今しがた文句をつけようとしたのはアルテマイシャにだし、人間の群れの法則など知った事ではない。と言えれば楽だったのだが。
「戦い方はよく知っているだろう」
「そんな話は一度もしてない」
「雑魚のふりをしているようだが、見る者が見れば分かるぞ。お前がただ者ではないと、見抜かれているらしい」
スーラントは沈黙した。そして、アルテマイシャを連れて戻って来た。ニアは、大人達をやけに落ち着いた表情で眺めている。肉体的にも精神的にも、疲れているように見えた。すっかり呆れてしまい、何でもいいから早くしてと思っている感じだ。無理もない。
「君はそれでいいのか?」
「お兄様が言うなら、それでいいです。わたしも探偵さんの仕事に興味があるし」
「大した事しないぞ、私は」
しかしまあ、彼女がいいならいいだろう、とスーラントは思った。スーラントも疲れている。一時的に護衛するだけなら簡単だ。影ドラゴンのような危険極まりない存在が、また出て来さえしなければ。次に出てくるとしても、数日はかかるだろう。このご時世、あの規模の影を形成するには、膨大な魔力が消費されるはずだ。スーラントの消耗も大きい。主に自損事故だったが。幸い、身を隠すアテはある。今日のところは、そこに逃げ込んで早めに休みたい。
「今後もだ、兄上とやら」
ランドールは返事の代わりに、片方の眉を持ち上げた。
「なるべく街も守るようにする。この街が好きだからな。だがやむを得ずやりすぎた場合、さっきと同じく極秘任務の範囲内として扱って欲しい」
「まあ、いいだろう。その代わり真面目にやってくれたまえ。次の指示は追って出す」
「言っておくが私はろくに動けない。何か言いたい時は、誰かを寄越せ」
「じゃあアルテマイシャで」
「俺?!」
「理解してくれるよね」
「えっ、本気の話ですか」
転移魔法が得意すぎるのも苦労する。一番下とはいえ、マイシャ四姉弟を顎で使えるのも勇者直系くらいだろう。
「そうそう、スーラント君が聖剣で燃えた事も、とりあえず黙っておいてある。だけど今後の行動によっては、上に報告するのも辞さないからね」
スーラントがアルテマイシャに視線を投げると、彼は目で返事をした。ランドールが現れてからの思念通話上で、それに類するものはなかったようだ。ランドールは本当に、何も報告していない。しかし共闘関係が続くかどうかは、こちらの行動次第、という事だ。
「いい性格してるな。モテるだろ」
「君ほどじゃあないと思うよ」
スーラントの皮肉も何のその、涼しい顔で言い返されてしまう。ランドールは片手を動かして、背後の部下に何かを指示する。
「じゃあ、後は僕らに任せて。諸君は身を隠してくれ。闇夜を駆けるデュラハンが、騒々しく現れない内に!」
一人の警察官からフードつきの上着を渡され、ニアはそれを被った。ニアの耳の下辺りから、隠れていたローズが顔を出す。自分よりも歩幅の小さい少女に気を使いながら、スーラントは歩き出した。歩いている内に、凍りついた時がゆっくりと、動き始める。
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