やはりまだ、出力が足りていない。あれが単なる魔物ではないと、アルテマイシャは気づいていた。この一発で敵の頭を吹き飛ばし、活動停止に追い込むにはもう少し必要だ。彼はギリギリまで、己の魔力を武器へと分け与える。異変を察知した影ドラゴンは、口内で魔素を収束させつつこちらへ突進。しかしアルテマイシャは動じない。冷静に標準を合わせ、心静かに引き金を引いた。

「火遊びはお開きだぜ」





 魔弾に頭を貫かれた影ドラゴンは、悲鳴と共に霧となり消えていった。撃退したのは彼女本体ではなく影だが、とりあえず平和を取り戻したと言っていいだろう。警察車両の周囲は、蒸気と少しの魔素からなる白い煙が充満している。奥には盛大に排熱している魔銃の影と、むせているアルテマイシャだ。それを見届けたスーラントは、溜め息をつく。やれやれ、などと言いたくもなる。

 もうやる気が出ない。逃げ回ったせいで精神的に疲れたし、燃えるわ汚れるわで大変な目に合った。再生能力を沢山使って酷く腹も減っている。目の前に現れたのは、こちらを静かに覗き込むふたつの顔。助けた少女と、彼女の肩に乗っているローズだ。少女は右手を庇いつつ、布地にくるみ直した剣を抱えている。顔に汚れがついていても可憐だ。スーラントもこの頃になると、人間の美的感覚が分かるようになってきた。


「ええと……スーラント、さん?」

「そうだが」

「改めまして、わたし、ニアです。ニア・フェデルテ・ヴァルグレン。助けてくれてありがとう」

 ニア・フェデルテ・ヴァルグレン。現警視庁長官ハワード・カルネス・ヴァルグレンの愛娘。伝説の勇者の玄孫である。落ち着きを取り戻して、ようやく気がつく。表に出てくるのはもっぱら兄の方で、あまり自ら目立って来なかった存在だ。だが、だらしなく足を開いて、投げやりな返事をしていい相手ではない。



 警察関係者は勇者の子孫、勇者の関係者が多い。今も変わらず、正義の鉄槌を下す側の家系だ。昔話では悪い魔物を倒し、現代でも罪人は許さない。スーラントが無免許で探偵業をしている事がバレれば、捕まって社会的に死ぬ。最近の何でも屋はタンテイと呼ばれているのか、などとのんきに考えていたとは言えない。東街で生き残るために、あるいは依頼人と自分を守るために、あんな事もそんな事もした。

 そして正体がスライムである事がバレようものなら、物理的に死ぬだろう。魔物は今でも邪悪の代名詞だ。教科書にも書いてある。自分は例外的に悪いスライムではないと説明して、人間に納得してもらえるだろうか。探偵は二度死ぬ。



 スーラントは、核をフル回転させて考えた。正体に気づかれる事なく、いかに平穏な日々に戻るかを。よし、ここで別れよう。真っ当な大人として、これ以上他人の子どもを連れ回す訳にもいかない。あとその剣が怖い。普通の火傷より痛かったので、絶対にまともな剣ではない。鞘の装飾とか何か凄いし。

「家に帰りなさい。そこの警察さんが送ってくれるだろう」

「中央街には戻れないわ」

 ニアは淡々と否定する。

「どうして」

「今のわたしにとって、一番危ない場所だもの」

 ではこっちの手だ。東街は恐ろしいところだぞ、と脅す。スーラントは思いつく順に、危険性と問題点を並べ立てる。多少の脚色は入れたが嘘は言っていない。ニアが上流階級と知られれば、最悪の危険に巻き込まれる可能性も少なくないのだ。上流階級は大抵東街の内情など知らないから、自力での対処を望むのは難しい。

 しかも彼女は子どもだ。あと数年で大人になるとはいえ、学生はまだ子どもと似たようなものだ。とスーラントは思っている。しかし。

「そんな所で生きて来たなんて、あなたとっても凄いんですね」

「えっ」

 スーラントは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした。逆に尊敬されてしまうとは、思ってもみなかったからだ。

「本当に運がいいわ。わたしを助けてくれた人が、闇に生きる正義の凄腕名探偵だったなんて」

「さすがにそこまでではない」

「ついに現れたんですね……この事件を解決しに!」

「話聞けよ」

「先生と呼ばせてください!」

「やめて〜」

『先生だって。やーい先生』

 すかさずローズが茶々を入れてきた。羽虫は寝ていればいいものを。


 彼女はどうやら、探偵に憧れを抱いているクチだ。警察を押し退けて華麗に事件を解決しまくる、頭脳明晰運動神経抜群美形高身長良家柄探偵の物語でも読んだに違いない。勇者に代わる新たな英雄として、刑事だの探偵だのの物語が最近流行っている。

 だが実際は地味な仕事がほとんどだし、スーラントは頭脳明晰でも美形でも良家出身でもない。ただのしがない平凡男……もといスライム。本当はヒューマン男性ではなく、そもそも人間ですらなく、正式な免許など持っていない。上から下まで全てが偽装の身だ。眼差しが純粋すぎて、己の口を覆ったきり手を離せなくなる。背中の辺りがむず痒いような、何とも言えない恥ずかしさだ。

「わたし助手ね」

「えっ、いきなり? 距離感おかしいだろうそれは」

「そうかしら」

「まずは友達から始めよう」

「そっちの方が変じゃない?」



 そんな事を平和に言い合っている時だった。橋の向こう側から、新手の警察車両がやってきたのは。一難去ってまた一難だ。新たな魔力の気配が、スーラントの肌を駆け巡る。瞬間、周囲の警官達が、戸惑う民衆が、ようやく消えかけてくすぶる煙が。全て鮮明な絵画のように、ぴたりと動きを止めているのだった。

 時を止めたのはアルテマイシャではない。いかに偉大なエルフだったとしても、魔王亡き世界で使える魔法は、一人につき一つ。それも、四大精霊から離れた異質なものばかりだ。

 唯一響く、動力音。ゆっくりと接近してきた一台の覆面警察車両が、スーラント達の目の前で停まる。一斉に扉が開き、四人の男女が降りて来た。



「これはこれは、大丈夫だったかい、ニア。怖かっただろう。本当に、無事でよかった……よかったよ~~!」

 どうやら先ほどの言葉を発したのは、中央に立つ位の高そうな人物。眼鏡をかけた、背の高い金髪碧眼の男だった。そして有名な人物だ。新聞で何度も見た事があった。階級は確か警部だ。体型などから、体を鍛えていると分かる。一瞬足元がおぼつかなくなってたが気のせいだろう。多分。まさか酔っ払っている……いやいや、そんな訳があってたまるか。

 腰には長剣。警部のわりには歳若く、二十代中盤といったところだろうか。いわゆるキャリア組というやつだ。何故かご機嫌な彼を見るなり、ニアの顔が一転わずかに曇る。

「お兄様……何故ここに?」

「正体不明の魔物が暴れてるって聞いたら、そりゃあ見に来るさ。もちろん野次馬じゃないよ。真面目に仕事としてね。お兄ちゃんが来たからにはもう大丈……あっ解決したんだった」

 彼女が兄と呼ぶ男は、一人しかいない。ランドール・オレイス・ヴァルグレン。ニアとランドールは、どうやら複雑な関係のようだ。彼は隣にいるスーラントへ、よくできた笑顔を作って見せる。表面上印象はいい。貴族などの上流階級というものはよく、こういう顔をする。スーラントが妙だと思ったのは、別の部分だ。


 ランドールが現れた時、妹の安否を喜ぶ言葉をやたらと並べ立てた。だが、それほど大事な身内にも関わらず、不自然な距離を取り続けている。そこまで妹を心配していたなら、すぐに駆け寄りそうなものだが。


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