第二節 エルフの刑事が魔弾を放つ

 前回までのあらすじ。謎の衝撃音が気になったスーラントは、路地裏へ足を踏み入れる。そこには一台の蒸気四輪駆動車が、不自然に止まっていた。不審に思い、調査のため中を覗き込むスーラント。後部座席にはなんと、可憐な少女が縄で縛られ転がされていたのだった。



 少女はスーラントに気づくと、動揺してくぐもった声を上げる。慌てて口に人差し指を当て、敵意がないのを目つきと小声で伝えた。窓越しではあったが、口の動きと表情で分かってくれたようだ。周囲に怪しい人間がいない事を、再び確認する。スーラントは小声で、肩のローズに意見を求めた。

「これってもしかして……少女誘拐、だよな」

『だろーね』

 同じくらいの声量で、ローズは答えた。巷を賑わす連続少女失踪事件に関係があるかもしれない。だとすれば、何故ここで放置されているのだろうか。もしも転移させた者と犯人が同じ人物なら、すぐに車へ戻って来るだろう。だがスーラントが悠長に調査している間にも、誰か現れる気配はない。転移魔法を使った者は、車と少女を置いてどこかへ行ったようだ。逃がそうとしたのか、身柄の受け渡しか、はたまた違う理由か。少女の味方であるとも言い切れない。情報が少なすぎる。


 もう一度、少女の様子を見る。やはり彼女の言葉も聞きたい。扉の鍵はかかっておらず、すんなり開いた。一言断りを入れてから、口の粘着テープへと手を伸ばす。痛くないよう慎重に剥がしてやると、火がついたように少女が叫ぶ。

「車を出して!」

 彼女の表情は強ばり、焦燥していた。一縷の望みに賭けるように、アイスブルーの双眸が揺れる。スーラントは理解した。少女が真に怯えているのは、自分ではない何かに対してだと。危険な状況は、まだ続いているのだと。何も言わず後部座席を閉め、運転席に飛び込む。


 縄を解いてやる暇まではないとの判断だったが、実際それは正しかった。直後、車の左横に何かが衝突する。それだけでは終わらず、次は右から、後ろから。人型の何かが車に取りつき、車体に、窓に、掌を叩きつけ始めた。中を覗き込んできた女の顔と、目が合う。眼球のある場所に不気味な闇が宿り、全身は燃えているかのように揺らいでいる。スーラントは息を呑んだ。ついでに顔も引きつった。

「お……おいおい……」

『ヤベーよあの女! 見るからにヤベー!』

「勘弁してくれ。こういうのは、魔王消滅後に全部死んだはずじゃないか」

 赤黒い炎を纏った、何体もの女型魔法生物。突然現れたそれが、この車を攻撃している。スライムも魔物の一種ではあるが、同類が怖い時はあるのだ。例えばこういった……いや、これは魔法生物だろうか。こんな種類は書物でも見た事がない。スーラントの肌はしきりにヒリつき、魔力の質がただ者ではないと訴えてくる。無視できない情報だ。


 魔法生物の多くは、魔王が消えた影響で一緒に絶滅した。あるいはドラゴンやスライムのように、力の大半と知性を失った。妖精のように、力を失っても知性は残っている場合もある。赤黒い女達からは強大な魔力を感じるが、知性はほとんどないらしい。手でドアを開けようとしないのが証拠だ。恐らく彼女らは本体の一部分であり、外部から操られているだけの影だ。では、本体は何か。魔法の消え行く世界で、未だにここまでの魔力を振るえる者とは。



 魔族。魔素そのものを操る事もある、魔法生物の最上位種。世界機構である四大精霊に最も近く、なおかつ人並みの知性と高い魔力を持つ存在。その内の炎を司り、ドラゴンの眷属を従える竜王。

「魔王幹部第四位、獄炎のヨルダか……!」

 スーラントは呻いた。いつものように、軽い気持ちで首を突っ込むべきではなかった。まさかこんな、世界最強系列と言うべき者と出くわすとは。あり得ないが、どう考えても脱獄囚だ。モグリの手には負えない大事件だ。魔法庁の何とか省だとか警視庁捜査一課が絡んでくるやつだ。三年後くらいに舞台化するだろう。スーラントのような平凡顔モブは大抵、女と目が合ったシーンで死ぬ。


「だが、妙だな。ヨルダならもっと……」

 もっと、何だというのか。何気なく言いかけてすぐに、スーラントは自身に戸惑う。自分は今、何を言おうとした。

 車を大きく揺すられて、スーラントは我に返った。交通事故から守る程度の装甲が、彼女達によって破られるのも時間の問題だろう。一体一体はそれほど腕力がないようだが、車を横転させられたらおしまいだ。複数で結束する事を思いつく前に、隙をついて逃げなくては。


 後部座席から短い悲鳴が上がる。早く、と急かす。もう思考してなどいられない。これ以上は、走り出してから考えると決めた。刺さったままの鍵を、右方向に回す。左のペダルを踏んでみると、蒸気機関に火が灯り、セファードの車体が震え出す。ペダルを踏み変えながらレバーを動かす。スーラントは免許を持っていないのだが、構造を知らなくはないので分かる。慎重に操作をしながら、後部座席に声をかける。

「君何したの?」

 また大きく揺れた。

「私は何もしてない! それより早く逃げないと」

 少女は泣きそうになっている。無理もない事だ。だがそんな精神状態で、最もやるべき事を主張できるだけしっかりしている。上等だ。スーラントは発進のタイミングを窺いながら、ここで銀腕を出すべきか考える。窓を破って車の周囲から敵を弾き飛ばせば、数秒間は時間が稼げるだろう。だが、後部座席の少女を更に怯えさせるに違いなかった。大抵の人間達にとって、赤黒い女と巨大スライムは同じようなものだ。不気味で、おぞましい存在だ。

 やるしかない。だろうか。



『お前ら目閉じてな!』

 突然の叫びと共に、ローズが青く発光する。スーラントを怯ませた時以上に、強烈に、煌々と。赤黒い女達が怯んだ。速度を出すなら今しかない。ローズの不意打ちは恐らく、一度しか使えない手だ。スーラントは慌ててレバーを切り替え、車を発進させる。勢い余って、目の前の塀にちょっと擦った。見た目よりもハンドルが軽いようだ。


 往来に飛び出すと、野次馬達が蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。赤黒い不気味な女達を見るなり、家の中や塀の内側へ避難してしまう。最近の外壁には対魔剤コーティングが義務づけられているから、入ってしまえばある程度安心だ。それに、その方がこちらも通行しやすい。獄炎のヨルダの影達は、他に興味を示さず真っ直ぐに追って来る。それで確定した。やはり狙いはこの少女だ。

「ローズ、幸運の鱗粉は?」

 スーラントはシャツの中から銀腕を出して、レバーに絡める。そして、両手でハンドルをしっかり掴んだ。腕が三本あった方がやりやすい。少女が助手席に座っていたら、あるいは普通に腰かけていたら、絶対にやらないような事だ。

『無理に決まってんだろ。あたし魔王爆発後世代だし……』

 ローズは力なく答えて、シャツのポケットに潜り込んだ。さすがに疲れてしまったのだろう。これ以上、妖精に無理はさせられない。車の尻に飛びついて来た敵を、二段階目の加速で避ける。

「よーし、分かった。全て私の運転技術に懸かってるって事だな。泥船に乗った気分ってやつだ」


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