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『せっかく奴を追い詰めたのに、邪魔すんなよな!』
「いや、どう見てもお前の方が追」
『うるせぇ!』
逃げないようにしなければならないが、逆に潰してしまうなどあってはならない。力加減が難しい。あまり悠長にしていると、翅が折れてしまうかもしれない。スーラントは急ぎ妖精の説得にかかる。
「そんな事をする必要はない」
『シャーリーの仇を取るんだ! あの子のいない世界で、あたしはどうやって生きてきゃいいんだよ!』
「その復讐は無意味だと言ってる!」
『あたしの復讐の意味は自分で決める。あんたにどうこう言われる筋合いはないね!』
妖精は突然、青い光をめいいっぱい放った。強烈な閃光を受けたスーラントは怯み、手の力が緩んでしまった。彼女はその隙を逃さず、まんまと拘束から抜け出す。どこかへ飛び去ろうとする背中に、スーラントは慌てて叫び声をぶつける。
「シャーリーは死んでない!」
『マジか』
妖精は振り返った。やはり彼女は誤解をしている。
「シャーリーは生きてる。いなくなったお前を探して欲しいと、今朝私に依頼した」
青い光は舞い戻り、スーラントの周囲を飛び回り始めた。念入りに観察されている。特にやましい事もないので、大人しく立っておくスーラントである。下手に動いたせいでまた逃げられても困る。
『あんたの下げてる鳥籠、確かにシャーリーのもんだね。分かったよ。復讐はやめる。あの子が本当に生きてるなら……』
「これが証拠のバタークッキーだ。今日シャーリーがくれたよ」
妖精は落ち着いてきたので、もう捕まえなくても大丈夫だろう。バタークッキーの欠片をポケットから出して、右の掌に置いた。彼女はすぐにバタークッキーへ噛りつく。確かにマリアの焼いたものだと、味で分かってもらえたようだ。青い妖精はクッキーに夢中で、食べ切るまで一言も喋らなかった。よほど腹が空いていたらしい。
『シャーリーはいい子だよ。あたしの言葉は届きゃしないが、姿なら見えるんだから。今時の人間じゃあ珍しいよね。今や妖精の存在なんて、最初からお話の中にしかなかったみたいに過ごしてる。どいつもこいつも……ところであんたからめっちゃスライム臭するんだけど』
「失礼な。私は臭くない。ちゃんと気を使ってる」
輝かしき栄光の青薔薇(ブリリアント・グロリアス・ブルーローズ)の事は、これから略してローズと呼ぼう。会話をするのに固有名がなければ不便だが、シャーリーのつけた名前は長すぎる。ローズは掌の上で、シャーリーとの関係性について語り続ける。
『シャーリーは、お腹を空かせて飛べなくなってたあたしに、バタークッキーを半分分けてくれた。全てあの子のだったはずのバタークッキーを……快くね。その時超思ったわけよ。ああ、あたしは生きてていいんだ! 分かります?』
「分かる」
『適当に共感すんな』
適当に共感した訳ではないのだが。スーラントは気を取り直して、何故迷子になったのかを聞いてみる。するとローズは渋い顔をした。
『あのデブ猫だよ。ある日、シャーリーが日向ぼっこがしたいでしょうと言ったのね。窓を開けて、あたしを窓際に置いてくれたんだ。したらさ、あの恐ろしい猛獣が襲いかかってきやがった! 興奮した猫の前では、シャーリーも泣くしかなかった。あたしは鳥籠ごと落っこちて、シャーリーは猫を追い払おうとして……。気づいたらあたしは、一人で帰れないほど遠くまで逃げちゃってたってわけ』
無理矢理鳥籠に詰め込まれた訳ではないようだ。シャーリーの元に返しても大丈夫だろう。何より本人も望んでいる。
『シャーリーの元に帰りたい。マリアの焼いたバタークッキーが、もっと食べたい』
「君シャーリーとバタークッキーどっちが大事なの」
『それはもちろんバッ、シャーリーに決まってんだろ』
「バッシャーリーね」
『バタークッキーって言ってないし。シャーリーだし』
「分かった分かった……」
スーラントが言い終わるか終わらないかの内だった。突然、激しい音が一発響いたのは。閑静な住宅地では普通鳴らない音だ。事故だろうか、爆発だろうか。さすがに住人がちらほらと表へ出て来て、様子を伺ったり、何事だろうかと話を始めた。だが誰一人として、原因を探りに行こうと考える者は現れなかった。
東街の治安はお世辞にもいいとは言えない。繁華街の方では特に、ゴロツキ同士の抗争が頻繁に勃発するような地域だ。一般市民として賢明な判断だろう。わざわざ巻き込まれたくないし、目撃者でないのを口実に知らないふりをしたいという寸法だ。いつか誰かが対処するだろうと、あるいは警察が駆けつけてくれるだろうと、消極的に構えている。スーラントを除いて。
「今、凄い音したな」
『な。ヤベー音したな』
スーラントが手を持ち上げると、妖精は黒手袋の指先にぶら下がった。そのまま自分の肩へと促す。ローズが移動したのを確認してから、スーラントは歩き始めた。もちろん、音の聞こえた方向にだ。
『えっ行くのかよ。マジか』
「何故行くのかって? 事件の匂いがするからさ」
『何者だあんた』
「探偵だよ。モグリのな!」
スーラントは立ち止まり、平凡な顔に力を込めて歯切れよく言い放つ。ローズは肩口をしっかり掴みながら、呆れた声を出した。
『後半ドヤ顔で言う事じゃなくね?』
怪しい魔力の臭いを辿って、スーラントは近くの路地に入る。ぽつりと一台停車していたのは、動力の切れた状態の蒸気四輪駆動車だ。車種はセファード。オーロヴェルデ社製。蒸気四輪駆動車自体はまだ高級品だが、セファードは比較的安価で小型のため、中流から上流階級の間に所有者は多い。車種自体は珍しくないだろう。だが、東街の路地に停まっているにしては不自然である。
盗難車だろうか。スーラントはローズに騒がないよう合図を送り、警戒しながら近づく。水精霊結晶の組み込まれた給水機関や、美しいエンブレムなど、貴重な部品が外された形跡はない。車の周囲や運転席に、人の姿がないのも怪しい。この辺りに長居するような店はないのだ。
表面に触れる。水の精霊と混じって判別が難しいが、車からは別の魔力の気配がする。爆発音と共に現れたなら、どこかから転移させられたと考えるのが自然だろう。そして、現代において高度な魔法が使える者と言ったらエルフしかいない。白エルフは天変地異でも起きない限り、自分達の森から離れない秘境の種族。他種族と共に生きているエルフは、今も昔も黒エルフばかりだ。世界が変わった後もそんな高度魔法が使える黒エルフは、この街に数えるほどしかいない。
運転席を覗いてみると、鍵はついたままだ。助手席は空で、荷物の類もない。続いて後部座席を確認して、スーラントは目を疑った。ヒューマン族の女性が一人、転がされていたからだ。口を粘着テープで封じられて、かつ手首足首を縄で縛られた状態で。
アイスブルーの瞳と目が合う。栗色の長い髪を投げ出している少女。高等学校に通っているくらいの歳頃だ。派手な装飾もなく、スカートの丈も長すぎず短すぎず、歳相応に洒落た服。模範的な中流、もしくは上流階級と言ったところだ。靴に泥の類はついていない。着衣の乱れや汚れもない。車に押し込まれた現場は街中で、それほど時間は経っていないだろう。ざっと数秒で集められた情報は、そんなところだった。
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