スライムも例外ではないと、スーラントは思っている。スライムは花束を包装紙ごと丸飲みして、全て溶かしてしまう事も容易いのだ。包装紙はインク臭いので、できれば取り除きたいが。千切って毟るのとどちらが残酷かと問われたら、どちらもそう変わらないだろう。


 花束の底に埋まっていた妖精が、一匹飛び出してきた。桃色の光を放つ妖精は、小鳥が囀ずるような声で話し出す。

「ごきげんようスーラント。捧げ物を持って来たってことは、情報が欲しいのね?」

 彼女は禿げ散らかしたガーベラの、なけなしの花弁を一枚引っこ抜き、ポテトフライのようにポリポリ食べ始めた。まだ食べるか。

「君達さあ、百歩譲って花束に群がってもいいけど、もっとお上品にしてくれっていつも言ってるよね」

『何お花畑な事言ってんだお前』

『この世界は弱肉強食なんだよ』

『何してても不細工な軟体生物に、品性なんかを説かれたくないんだが?』

『人間の上品な仕草ってやつは、実に不気味なんだよね。動物らしくない』

 どさくさに紛れて悪口を言われた気がするが、スーラントは聞こえないふりをした。彼は品のないスライムではなく、高度な知性を持つスライムなのである。気にくわないからといって、いきなり相手を丸飲みにしたりしない。どこかの妖精とかいう種族のように、動物的本能のまま軽々しく醜態を晒さないのだ。何故って、理性ある紳士だからね。


 スーラントは気を取り直して、シャーリーから預かったバタークッキーを見せてみる。色とりどりの妖精達は一斉に顔をしかめ、口々に喋り始めた。

『まあ、酷い臭い。早く包みを閉じてちょうだい』

『どうして人間は、わざわざ最悪にしちゃうんだろうね』

『だよねー。実ってる麦を皮ごと食べた方が美味しいのに』

「美味しいと思うけどなあ、バタークッキー」

 スーラントはぼやいた。マリアの焼いたバタークッキーは、そこらのバタークッキーとは一味違う。だが人間の好む食べ物は、妖精にとって不評である事が多い。そのままの自然が一番という思想を持ち、自然から離れるほど体質に合わなくなる確率が高まる種族だ。

『あなた結構人間に毒されてきてるわね』

 そもそもスーラントは、ただの雑談をしに来たのではなかった。妖精は誰も彼もがお喋りなので、油断するとすぐ話題が逸れてしまう。

「青い妖精を知らないか? このバタークッキーが大好きで、シャーリーって女の子から輝かしき栄光の青薔薇(ブリリアント・グロリアス・ブルーローズ)と呼ばれている」

『ああ、あの名前付きね』

『二、三日前までここにいたよ。だけど、出て行ったさ』

『何でも、あのシマシマデブの猫畜生に決闘を申し込むとか言ってな』

 妖精が猫に勝てる訳がない。どういった経緯でそうなったのか不明だが、人間が一人でドラゴンに挑むようなものだ。無謀すぎる。

「止めなかったのか?」

『あたし達も〜、やめろ馬鹿死ぬぞって言ったんだけど〜、本人が生温い生より復讐の道を望んでたから〜』

『今頃死んでるんじゃない?』

『生きていたとしても、どこで何をしているのやら』

 なるほど、とスーラントは相槌を打った。最初に訪れた公園で、目撃情報を得られたのは幸運だった。別の公園に行く手間が省けるし、花束を追加で買う必要がなくなったので財布にも優しい。


 猫と妖精の間にいざこざが起きた地点は、東街の教会周辺のはずだ。シャーリーは、マリアに内緒で妖精を飼っていると言っていた。教会の子どもは基本的に教会の保護下にあり、一人で出歩く事はできない。そして、妖精はいつも鳥籠に入れられていた。ならば猫は、教会周辺を縄張りとしている猫だろう。容姿は縞模様で太っている。

 情報を整理する最中にも、妖精はまばらに飛び去り始めていた。枝と包装紙だけになった花束を残して。問題はない。有力情報は得たし、捜索範囲の目星もついた。ここからはスライムとしての特技の出番だ。改めて鳥籠を観察すると、やはり発光する青い粉が微かに残っていた。手袋を取って指先で拭い、鱗粉に残された魔力情報を記録する。一度こうすれば、個人の痕跡を辿る事ができる。実に簡単な仕事だ。スーラントは思った。





 簡単だと思っていたのに実際やってみると大変だった、というのはよくある話だ。スーラントは予想以上に労力を割く羽目になっていた。庶民感溢れる佇まいの住宅地は赤く染まり、本格的に日が沈みつつある。長棒担いだ点消夫が、ガス灯に火を入れて回っている頃だろう。何度か通った石畳の上を、ちいさなパンを噛りつつ気落ちして歩く。とはいえ闇雲にうろついた訳ではないし、捜索範囲はだいぶ絞れてきていると思うのだが。

 生物である以上、スライムだって疲労する。しかし、疲れたからといって明日に回す事はできない。正確に言うとできなくはないが、魔力痕跡というものは時間が経つほど霧散してしまう。正直今もヤバイ。街中に残された足跡は、どれも力なく褪せている。やはり既に猫との戦いに敗れ、死んでしまっているかもしれない。シャーリーは悲しむだろう。せめて翅の一枚でもいいから、見つけてやりたいところだ。



 スーラントは小さなため息をつきながら、何気なく塀の上を見やる。

 猫と、目が、合った。はっきり見える縞模様の、丸々と太った猫だ。口の辺りが青く発光している。スーラントは二度見した。まさか、と思った訳である。やはり猫は、青い妖精をくわえている。その目つきにただならぬ気配を感じたのか、猫は体型に似合わぬ素早さで走り去った。スーラントは残りのパンを口に押し込み、急いで後を追いかける。

 追いつかれそうになった猫は、目についた家の庭へ飛び込んだ。猫というものは、他人の敷地だろうがお構い無しだ。こうすれば人間は追って来ないと、経験上よく知っている。だがそこに、猫の大きな誤算があった。スーラントは人間ではない。スライムだ。極力ヒューマンの形を保ちながら、ヒューマン以上の運動能力を発揮する技量を持つ。周囲の物を壊さず獲物を追うのも、軟体動物にとって朝飯前である。朝飯前になるまでがまた大変だったのだが、それは別の機会にする話だ。



 夕暮れ時の住宅地を縦横無尽に駆け回る猫、猫を追うは人に擬態したスライム。太っていても猫は猫、案外素早い。目標の体は小さいので、見失わないようにするのも一苦労だ。腕を触手状にして伸ばせば、容易に絡め取れるだろう。しかし住宅地では多くの人気がある。スーラントは己の正体を隠して生きているため、安易にその手を使うのは躊躇われた。


 再び往来に転がり出た猫は、左に行くか右に行くか一瞬迷った。その隙を見逃さず、スーラントは素早く飛びつく。

「食べちゃ駄目! ぺっしなさい!」

 猫は激しい威嚇音を上げて、連続爪攻撃を繰り出した。少し痛いが、スライムには自己修復能力がある。半開きになった猫の口から、ぽろりと妖精が落ちた。スーラントは慌てて妖精を拾い上げる。太った縞猫はこの隙に塀を駆け上がり、植木を乱暴に揺らす音と共に消えた。



『なんで止めんだよ!』

 スーラントに捕まった青い妖精は、若い女の声で神経質に叫んだ。意外と元気そうだ。暴れるので少し力を強めると、蛙の潰れたような声がした。スーラントは黒手袋越しに感覚を確かめ、慎重に強弱を調整する。


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