スーラントの不穏発言に、後部座席の少女がまた話しかけてくる。

「車を運転した事ある?」

「昔三回くらいは。いや二回かな」

「信じられない……」

「運転の方法は理解してる!」

 ドリフトしかけながら住宅地を飛び出し、暴走セファードは大通りへ。とは言えスーラントの頭には、既に策が用意されていた。襲撃者の正体が分かった直後から、目的地は決まっている。逃げるためだけに、あてもなく走り出した訳ではない。



 目の前には蒸気式ゴーレム信号機。不運な事に赤色を示している。だが、法律より命の方が大事な時もある。右手からのんびりと出てくる一台の馬車。避けられる。スピードに持って行かれそうになりながら、懸命にハンドルを回す。レバーを操作する。ペダルを踏む足のステップ。回避成功。

「よっしゃ見たか、追い詰められた者のハンドル捌きを!」

 胸ポケットのローズは沈黙。少女からの返事もない。あまりに乱暴な運転で、気分が悪くなってしまったのだろうか。衝突事故は免れたが、信号無視してしまった。警察が駆けつけるのも時間の問題だ。

「悪いが、到着まで荒くなる。耐えてくれ」

 返事はないだろうが、念のため言っておく。しばらくは直進で、国道を走る。東街で走る車の数は、中央と比べるとまだ少ない。多くは歩行者であり、馬車も現役だった。彼らの多くは緊急事態に気がついたが、全員が上手く逃げられる訳ではない。衝突しないよう避けて進むのも重労働だ。忙しないレバー切り替え、度重なる速度変更。セファードの動力部は酷使され、タイヤがキリキリと悲鳴を上げる。スーラントは後部座席の少女を気遣いながら、増していく核の熱さに堪えていた。数秒感覚で積み重なる処理情報が、高い負荷をかけている。人間だったら緊張で冷や汗をかき、心臓が爆発しそうになっている、といったところだ。


 バックミラーを確認する。敵はいったん距離を離して様子を見ているようだが、追跡をやめてはいない。隙を見せれば、また突進してくるだろう。とは思うが、何度か速度が低下しても、最初の一回以降襲って来ない。不気味だ。

「どこへ行くの?」

 何かを堪えつつ、それでも運転席に届くようにと少女が叫ぶ。やはり気分が悪いらしい。もしも戻してしまったら、思春期少女の心は傷つくはずだ。かわいそうだが必要以上に加減はできない。信号無視も慣れてきた。

「レムス川。一体一体はそう強くなさそうだし、あいつらは火属性だ。水の精霊が多い場所に行けば、有利を取れるかもしれない」

「お年寄りみたいな事言うのね」

 言い終わるか終わらないかの内に、警鐘音が唸りを上げて接近する。近くの派出所から巡回型警察車両が出動したのだ。スーラントにとって、待ち兼ねた存在だった。



 派出所には黒エルフが最低一人編成されており、魔法生物への対処装備も有している。正直言って早く助けて欲しい。気づいているのかいないのか、巡回型警察車両はセファードとヨルダの影達との間に割り込んで来た。速度を合わせて右車線に滑り込むや否や、拡声器から威圧的な男の声が投げつけられる。

「そこの暴走車! 止まりなさい!」

 スーラントは窓を開けて喚いた。

「無理言うな! 後ろ見て、後ろ!」

「共通語が通じるかどうかの確認だ。それ以外の意味は……」

 開いた助手席の窓から、拡声器男の顔が見える。幸か不幸か、見知った黒エルフだった。黒エルフ族の例に漏れず、肌は浅黒く、耳は細く長い。気位が高そうな顔をして、黒髪を気取った形にまとめた刑事。こちらの顔を見るなり、内心を隠そうともせず顔をしかめる。拡声器を口に当てたまま悪態をついた。

「またお前かスーラント!」

 ここ東街では、警察の世話になる者が他の区画に比べて多い。スーラントも例外ではなかった。厄介事に首を突っ込む仕事をしていると、どうしても警察と関わらざるを得ないのだ。

「出たなマイシャ四姉弟の一番下!」

「その言い方はやめろ!」

「いつの間に巡査部長に降格したんだ、アルテマイシャ君は。言ってくれればアメちゃん持ってお祝いしたのに」

「別の事件を捜査中だったが、同じ方向へ行くというので乗せてもらった」

「奇遇ですねー」

 今止まったら死ぬ。死なないにしても、捕まったら面倒だ。盗難車無免許運転信号無視のスピード違反男(自称探偵・無職)と新聞に載ってしまうだろう。もはや道路交通法違反を詰め込んだピクニックバスケットだ。今は後ろを気にしていて気づかないが、後部座席を見られてしまえば大変である。少女誘拐疑惑までかけられて

「後部座席は無事なんだろうな!」

「何故知っている!」

「エルフ情報網ナメんな」

 警察も決して愚かではない。既に逮捕どころではないと、全員が気づいていた。一人では逃げ続けるしかなかったが、ここからは街を守る正義とやらが戦ってくれるはずだ。ぜひそうしてもらいたい。スーラントは声を張り上げた。影女と自分が一切関係ないと主張する目的でだ。

「今回私は完全に被害者だからな?」

「そうか! そうだろうな!」

「本当に分かってますか?」

「とにかく、運転手がお前ならちょうどよかった。選択は間違ってない。そのまま直進!」

「何か癪だけど言うとおりにしてやるよ」

 そうこうしている内に、レムス橋が見えてきた。勝利は目前だ。


 だったはずが、みるみる内に融合しドラゴンの姿を形作る。合体して体の強度を増そうという魂胆だろう。幸運にも翼はないが、二階建ての家くらいの体高はある。強靭な脚で石畳を蹴り、兎のように高く跳躍。警察車両を、スーラントの乗るセファードを、軽々と飛び越えて行く。そして地響きを立てながら着地し、本物のドラゴンのように吼えるのだった。空気が乱され、近くの建物は一斉に窓枠を震わせる。

 進行方向を塞がれてしまった。慌ててブレーキを踏み込み、腕を畳んでハンドルを固定する。セファードは金切り声を上げながら、赤く揺らぐ脚にぶつかる寸前で止まった。巡回型警察車両の運転手も急ブレーキをかけ、敵からなるべく距離を取って停車する。



 スーラントは小さく唸り顔を上げた。ハンドルにぶつけた額が痛い。水精霊の気配がない。ボンネットの隙間から、焦げ臭い白煙が立ち上っていた。このセファードは、もう使い物にならないだろう。小さい車体で、よく二つの命を守ってくれた。スーラントが一時の感傷に浸っていると、少し後方で、アルテマイシャのすっとんきょうな声が。

「何だアレぇ!」

「私が聞きたい!」

 巡査部長の指示があり、巡査達が小銃を手に散開する。アルテマイシャ以外の警察官は、周囲の市民が逃げるまで時間を稼ぐつもりらしい。エルフお得意の思念通話で、既に応援要請もしてある事だろう。橋の向こう側もじき封鎖される。公務員の邪魔をしないよう、か弱い市民は退散するべきだ。自分も例外ではない、とスーラントは思っている。ので避難する気満々だった。

「では、我々も逃げさせてもらいますね」

「お前は逃げるなスーラント! あいつについて説明しろ!」

 と、アルテマイシャ。いちいち拡声器を使うのはやめて欲しい。これではスーラントが全ての元凶に見えてしまう。

「息をするようにめちゃくちゃ言うな! 私だってか弱い一般市民だぞ!」

「よく言うぜ!」


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