青年A
篠塚が英会話を始めたきっかけは友人の為だった。友人の為に英会話スクールにまで通っていた。
受講費も安いものではないだろうし、俺には到底できないことに思えた。そして、この人にそれほど大事にされているその友人を羨んだ。
その人はどれだけ魅力的な人なのだろうか。
「勇平君」
名前を呼ばれて顔を上げた。
「君について少し分かったことがあるよ。気を悪くしないで聞いてほしい」と前置きをして、篠塚は姿勢を正した。
「勇平君は自分が中心の世界で生きている。そのことを否定したいわけじゃないんだ。その生き方は普遍的だし、悪い生き方ではない。
ただ、勇平君は視野が広くないように思えたんだ。
勇平君が主人公で、分かり易い悪者の首を狙っていて、友人や僕みたいな君に関わる他人がいる」
篠塚の顔は真剣そのもので目力が強かった。
「ところで勇平君。一番最近で誰かを助けたのはいつ?」
口の中に酸っぱい味が広がる。
いつだったかな。
考えてみたが、なかなか思い出せない。
「ただ見るだけでは、ただ話を聞くだけでは、ほんの一握りの人しか助けることはできないんじゃないかな。
勇平君は、ただ目立ちたいだけじゃない?
もし一般人が連続ひったくり犯を捕まえたなら、メディアはさぞ大きく取り上げてくれるだろうね。
凄く称えられるしチヤホヤもされるかもしれないね」
一握りの人でも救える方がいい。
言い返せそうな言葉は幾つも頭に浮かんだけれども、どの言葉も声にはならなかった。喉の奥でのみ反論する。
「勇平君は自分がヒーローならばそれでいいんだ。自分以外は脇役なんだよね」
違う。
違う。
違うはずなんだ。
「勇平君から見た脇役たちにだって彼らの人生がある。それぞれのストーリーを生きてきて君のそばにいるんだよ。
それに早く気付いた方がいい。分かっていないから、彼らの困りごとを見逃してしまうんだ」
分かっているって。そんなこと。
「もしそれらを見逃し続けていくのだったら」
もう、やめてくれ。聞きたくない。
「誰かを助けることはできないよ。ヒーローなんて以ての外だね」
視界がぼやけた。
「僕も都合がいい人間だよ。友人の為とは言っているけれど、結局突き詰めると自分の為にしていることばかり。
それなのに、君にこうして説教じみたことを言っている」
自嘲気味に笑った顔には、どこかきまり悪さが浮かんでいた。
俺は何とか声を絞り出す。
「僕は、どうすれば」
「動けばいいと思う」
言い終わる前に篠塚は遮った。
「定番だけどさ、誰かがものを落としたら拾ってあげる。電車やバスで席を譲ってあげる。悪者を捕まえる以外にも、人を助ける方法はあると思うよ」
氷がとけてアイスコーヒーの上部は透明になっていた。ストローで掻き混ぜて、薄まったアイスコーヒーを飲み干した。
薄まっているはずなのに初めの一口よりも苦く感じた。
「いやあ、ごめんね。こんな話聞きたかったわけないよね」
篠塚が椅子から立ち上がった。俺もつられて席を立った。
「待ってください」
篠塚の顔は柔らかい表情に戻っていた。
「僕だって、ちゃんと周囲の人を見ていますし、その気になれば動けますよ」
「頑なな姿勢、良いと思うよ」
それだけ言うと、出口へと歩いて行ってしまった。
俺はその背中を眺めることしかできなかった。
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