少年A
物置から携行缶を引っ張り出してきた。中にはガソリンが入っているはずだ。
真っ赤にコーティングされた缶はひんやりしている。
扱いに気を付けながら、絵描き道具がすでに収まっている大きめのボストンバッグにそっと入れてチャックを閉めた。
ママチャリの後ろの荷台に固定したが落ちないか不安だった。
今日は決行の日。これから僕は学校に行く。
いつもより漕ぎにくくて、転ばないように夢中でママチャリを漕いだ。
学校の電気は一つも点いていなかった。誰もいない学校というのも新鮮だ。肝試しにうってつけの環境だが、今日の目的はそれではない。
運がいいことに外を歩いている人が少なかったので、誰にも怪しまれていないと思う。
ボストンバッグを開けたとき、僕の蚤の心臓が露わになった。
ばれたらどうする?
もう後戻りできないぞ。
親にはどう説明するんだ。
犯罪だぞ?人生を棒に振るのか。
絵を描くこともできなくなるぞ。
〈やっち〉とも二度と話せなくなるぞ。
今以上に居場所がなくなるぞ。
そんなことは分かっている。
「うるさい、黙ってろ!」
誰かの声を一喝した。
「すげえ。もうすぐ完成ですか?」
「私はあの絵嫌いだから」
耳にこびりついている言葉はなかなか剥がれてくれない。
携行缶の空気調節ネジを緩める。
自分に掛からないように気を配って、桜の幹と周りの花壇にガソリンを撒いていく。
僕の手元でライターの炎は静かに揺れている。
迷っている時間はない。思い切ってガソリンのの掛かっている幹に小さい炎を近づけた。
火はすぐに広がる。僕の噂もこんな感じで、誰にも消されることなく広がっていったのかな。
離れたところにいたつもりだったが頬が熱かった。
一歩後ろに下がると背中を冷気が撫でた。その冷たさは僕に安心感を与え、次々と形を変えていく炎を確かな現実だと実感させた。
僕はカメラを起動させる。僕が今いる場所はオレンジに照らされた桜を撮ったのと同じ場所だった。
燃える桜に魅せられた。
なんて綺麗なんだろう。燃えても美しいなんて、やっぱり桜はずるい。
燃える桜に見入っていたために、隣に人が立っていることに気付くのが遅れた。
「こんなこと言うのは不謹慎かもしれないけれど、なんか綺麗だな」
横から目線を感じた。
隣にいる彼の目尻を汗が流れた。
「〈やっち〉」
名前を言うのがやっとだった。その後、〈やっち〉と会話をしたはずなのだが内容が頭に入ってこない。
しばらくして、消防車とかパトカーとか、危機感を煽るような赤いランプをのせた車両が到着した。何事かと近所の家の人も集まってきていた。
この火を起こしたのは僕だ。正直に話すしかない。
〈やっち〉が警察官を連れてきた。〈やっち〉は恐らく僕が火をつけたことを知っている。
こいつが犯人ですと突き出されるのか。
それもしょうがない。自分で蒔いた種だ。それを自分で刈り取っているだけだ。
抵抗するのは無駄だと思い彼らを待った。
「俺たちが一番初めに見つけました」
〈やっち〉はきっぱりとそう言った。
「こんな時間になんで君たちはここに?」
「俺は自主練。走っていたんです。こいつは絵を描いていたようで」
いつの間にか僕のボストンバッグを〈やっち〉が持っていて、中身を警察官に見せた。
警察官は「絵を?」と訝しんでいたが、それ以上その話題に触れられることはなかった。
「誰か不審な人物とか見なかったかな?」
僕と〈やっち〉は顔を見合わせた。
「逃げるように離れていった女性なら見ました」
〈やっち〉はそう言った。
もちろん嘘だ。
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