青年A

 そのカフェは以前と同じコーヒーの匂いが漂っていた。

 洋介のアパート近くの公園で青いバイクを見た日から一週間が経っていた。

「どうしたの?英会話スクールに入校してくれるの?」

 俺は篠塚をカフェに呼び出していた。

「いや、そうではなくて」

「だよね。用件は?」

 篠塚は英会話に関することではないと、承知しているようだった。

 俺は「実は友人が」とひったくりのことを話し始めた。

 カフェからの帰り道での洋介からの電話。ひったくりの犯行を目撃したこと。公園で会った絵描き。

 篠塚はそのどの情報も興味深そうに聞いていた。

 俺は、犯行が起きた公園の場所や、絵描きが何の絵を描いていたかまで事細かに伝えた。

 相変わらず柔らかい表情で「うんうん」と聞いてくれるので話しやすい。

 話し終えると、篠塚は考えるようにしてしばらく黙っていた。

 この人ならどう感想を述べるだろうか。

「その事件のことは、わからないね」

 篠塚は開口一番そう言った。

「勇平君が僕にどんな答えを求めているのかは知らないけれど、僕には勇平君に対してもその君の友人に対しても、助けになることは言えないと思うよ」

 ハッキリとした物言いに気圧された。

「そんなこと言わないでくださいよ」

「でも本当に僕には難しいんだ。勇平君は人を助けたいって言っていたよね?」

 縦に二回首を振った。そうだ。俺は堂々と人助けがしたい。

「それはもしかして、人類の救世主的存在になりたいってこと?」

 ずばりと言い当てられて恥ずかしさで顔が赤らむのを感じた。

「救世主・・・そんなとこです」

「どうやって助けるの?」

 俺は喉の奥から絞り出すようにして声を出した。

「正直、僕にはこれと言って何か得意なことがあるわけではありません。そんな僕にでもできる助ける方法は、話を聞くこと。見守ること。敵にはならないこと。です」

 篠塚は「ふうん」と頷いて頭を掻いている。甘い匂いが鼻をくすぐった。

 俺はアイスコーヒーをストローで吸う。

 前から聞こうと思っていたことを聞いてみることにした。

「あの、篠塚さんはどうして英会話を始めたんですか?」

 何度か瞬きをして「入校するの?」と聞いてきた。

「しません」

 篠塚はペロッと舌を出す。

「僕の友達にさ、絵描きがいるんだよね。もうしばらくの間会ってないけれど。

 そいつ、凄く絵が好きでさ、将来海外の美術館を巡って、外国の芸術作品を味わって刺激を受けたいんだって話していたんだ。

 その話をしているときの目が爛々としてて、俺が連れて行ってやりたいって思った。それがきっかけかな」

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