青年A
踏んだ草が足の裏を押し返す感覚に慣れてきたところだった。
俺はひったくりについて、少しずつ情報を仕入れるようになっていた。
洋介にそれを伝えると「やめた方がいいって」と身を案じてくれたが、最終的には洋介も一緒に調べることで話はまとまった。
洋介の鞄を持ち去った人物は、青いバイクに全身黒尽くめで跨っていたらしい。
ひったくり犯はここ最近1週間に一回のペースで犯行を繰り返しているようだ。
よくもまあ、そんなに罪を犯しても心が痛まないものだと呆れる。そして、警察に捕まらない狡猾さに憤りを感じた。
俺たちは調べるといっても何から始めればいいかわからなかった。
「次はこの辺りではないか」「ここの道は怪しくないか」
とりあえず地図を買い、ニュースや新聞の情報を頼りにそれらしい場所を歩き回っているだけだ。
こんなやり方で犯人を捕まえることができるなら、とっくに警察はひったくり犯を逮捕しているはずだ。それは分かっていても、俺たちは夜になるとフラフラと出歩いた。
ヒーローはパトロールをするものだ。都合よく事件が起きるのはテレビや本の中だけの話だ。こういう細かい積み重ねが解決に繋がるのだ。
今日は洋介のアパート近くの公園に張り込んでいた。
かなりの広さがあるので、端から端まで移動するのには結構時間がかかるだろう。
洋介は「何かあったら連絡してくれ」とアパートに戻っていた。事件の被害者を無理やり連れ回すのは気の毒に思えたので、強引に誘うことはしなかった。
真っ白な光を放つ自動販売機でお茶を買う。まだ温かい飲み物も売られていた。
俺は冷たい方を選んだ。キャップをカチリと鳴らして、喉をお茶が通っていくのを感じた。最初の一口以外はチビリチビリと飲んでいた。
ベンチに腰を落ち着けて、細い道を歩く人を眺めた。
ペットボトルの中身が空になりそうになったとき、バイクが近くを走っている音がした。いつだったか想像したバイクの音に重なった。
ついに来たと一気にお茶を体に流し込み耳を澄ませた。
バイクの音が離れて行く気配はない。
「間違いない」
対象にゆっくり近づいて、急加速して奪い去る。それがこの犯人の手口だ。
音源となるバイクはすぐに見つかった。
公園入口の脇に停まっている。バイクに一直線に向かっている俺の目には、濃い青のバイクに黒のヘルメットが映った。
洋介の情報と同じだ。
よく見るとバイクの前方には、暗い道を一人で歩く女性がいた。
「まずい。やる気だ」
犯人はもう目と鼻の先。
洋介に電話を掛けてみたが出る様子がない。
「まったく何してるんだよ」
四の五の言っている場合ではない。俺一人でなんとかするしかないのだ。
でもここで俺が連続ひったくり犯を捕まえたら、間違いなく目立てる。ヒーロー的存在にも近づける。
「一般大学生が連続ひったくり犯を確保」
明日のニュースのテロップになっているかもしれない。
その期待はすぐに打ち砕かれた。バイクは公園に沿って急に速度を上げた。
「きゃっ」
女性の短い悲鳴が聞こえ、俺の眉間に力が入った。
公園前の道に出ると、そこには座り込んだ女性とバイクの後ろ姿があった。
「おい、待て!」
俺は懸命に足を動かしたがバイクに追いつくはずもなく、肺が苦しくなって減速してしまった。
バイクに乗った背中は、俺を嘲け笑っているように見えた。そのまま悠々と角を曲がってしまう。
唇を噛んだ俺の肩はひどく上下している。
今はとにかく座りたかったのでベンチを探すことにした。
公園の木でできたベンチには先客がいた。
男が絵を描いていた。以前木漏れ日の中で絵を描いていた男と同じだった。あのときと同じく彼は絵を描くことに没頭している。
「あの」と声を掛けると、彼はゆっくりと俺を見上げた。
男は近くで見ると若かった。彼の顔には動揺と落胆が浮かんでいた。
俺が声を掛けたことで集中が途切れてしまったのだろうか。絵描きの邪魔をしてしまった気がしてばつが悪い。
ちらと目に飛び込んできた絵は、繊細で優しい色使いをしたブランコに乗った少女の絵だった。
夢中で絵を描いていたようなので見ていない可能性は高いが、ここからだと先程の曲がり角が良く見える。
単刀直入に聞いてみることにした。
「すみません。犯人の顔見ませんでしたか?さっきのバイクの」
「え?なんですか?」
上手く聞き取れなかったらしい。俺も少し焦っていたようだ。一応「犯人の顔を見ていませんか?」ともう一度聞いてみた。
「犯人ですか?逃げるように離れていった女性なら見ましたよ」
何の犯人か言うのを忘れていた。その逃げていった女性が何者なのか興味を惹かれたが「そうではなくて」と話を戻す。
「ひったくりの犯人です。青いバイクに乗っていて」
「バイク?気が付きませんでした」
俺は丁寧に答えてくれたことにお礼を言った。
彼はのめり込むようにして絵を描いていた。気が付かなかったとしてもおかしくはない。
はあ。せっかく見つけたのに逃がしてしまった。結局、収穫はゼロか。
俺はがっくり肩を落として、再び洋介に連絡をする。
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