少年A

 新学期が始まって高校生活も残り一年となった。

 卒業までのタイムリミットが残り僅かだと実感して溜め息が出る。

 昨夜は遅くまで絵を描いていて寝不足だ。僕は一つ大きい欠伸をする。

 空は快晴とまでは言えないが、ところどころ淡い青が覗いていて、新学期を迎える高校生たちの顔はすっきりしているように見えた。

 僕の高校のシンボルともいえる一本の大きな桜の木も、綺麗な薄ピンクを身に着けて僕たちを迎えてくれた。「新しいスタートだよ。今年も元気な姿を見せておくれ」とでも言っているのかもしれない。

 こんなおめでたい日だけど、僕は新クラスの掲示を見て肩を落していたところだった。

 僕の高校では、毎年クラス替えがある。一年ごとにクラスのメンバーが変わるのだ。こうしている今も「ああ、あいつと離れてしまったな」とか「あの子とは三年間同じクラスだ」などの会話が聞こえてくる。

 そそくさと掲示板を離れて、残り一年を過ごす教室へと向かう。

 僕も少しだけ期待していた。期待しすぎると、それだけ裏切られた時のショックが大きくなると思っていたので、クラス替えのことは考えないようにしていたが、期待の大きさなんて関係がなかった。去年のこの時もまったく同じようなことを考えていた。

 彼と同じクラスにはなれなかった。また彼は隣のクラスか。

「おっ、かずま。今年も同じクラスだな」

 よろしく、と話しかけてきたのは、たけおだった。


 帰り支度も終わって二つ並んだ影を見つめながら歩く。たけおと一緒に帰るのも、もう当たり前になってしまっていた。

「まったく、迷惑だよな。っておい、かずま。聞いてるか?」

 聞いてないという言葉は飲み込もうとしたが「全然」と答えてしまい、結局聞いていないことがばれてしまった。

「酷いな、お前は。簡単にまとめると、俺は煙草を吸いながら運転するやつが大嫌いなんだ」

 どうしてか尋ねる前に、たけおは続ける。

「だってあいつら、煙草吸い終わったら、窓からポイって捨てるだろ。信じられねえよ」

「それはごく一部だろ。きちんとマナーを守っている人だっている」

「そうやっていい面しか見ないで、目を瞑るから、マナー悪い奴が減らないんだって。それに、煙草だけじゃないからな。ゴミだって平気で捨てる」

 煩わしいと思いながらも決して口には出さず、なんとなく話を合わせる。一方的に持論を押し付けてくるし、その持論だってどこかありきたりで面白味に欠ける。

 もし「うるさいぞ、少し黙ってろ」とでも言うことができたら、どんなに爽快だろうか。

 そんな風に思っているのに、どうしてたけおと一緒にいるのか。

 簡単なことだ。僕が誘いを断らないからだ。

 一緒にいて不快になることは多少あるが、悪いやつではないし話も聞き流せばいい。断る口実もない。

 できることならばずっと絵を描いていたい。

 絵を描いている時間が一番幸せだ。誰かに見せるわけではないけれど、見せたい相手さえ思い浮かばないけれど、黙々と絵筆を走らせていたい。

 紙の上の世界を支配した気分になれて、絵が褒められると自分も肯定されたようにも感じる。

 学校にいるときは、次はどんな絵を描こうか、何を描きたいかを常に考えている。


「やっち、帰ろうぜ」

 精彩な男子生徒の声が響いた。

「おう」という声とともに白い歯がのぞいた。4、5人ほどの集団が僕たち二人の横を通り過ぎていく。

 すれ違った。そして、目があった。

 一瞬ではあったが、僕が〈やっち〉の目に映った。〈やっち〉は集団の中に溶けていったが、彼の空気はしっかりと残っていた。さすがだな、と思いながら、〈やっち〉の背中を一瞥する。

 隣のクラスの〈やっち〉は、人を引き寄せる磁石のような人間だ。

 昔理科の実験で見た、砂鉄を大量に引き寄せる棒磁石を思い出していた。そっと置いた棒磁石と円形に集まってくる砂鉄。磁石を動かすたびに、さらさらと形を変える光景に心が惹かれたのを覚えている。

 入学当初から〈やっち〉の周囲には人が集まっていた。三年目を迎えた今でも、彼が一人で行動している姿はほぼ見たことがない。

 人気も魅力も持ち合わせている〈やっち〉を僕は憧れの目で見ていた。「僕が同じ人間でいいんですか」と憂慮するくらい上の人間とみていた。

 そんな彼と同じクラスに、と一抹の願いも持ったものの、都合よく叶うわけもなく、今もこうして彼の隣のクラスの生徒として、たけおの話し相手に甘んじている。

 隣でたけおがまだ話している。

「おい、かずま。聞いてるか?」

「聞いていない」

 二人の溜め息が重なった。

 吐いた息の先にはシンボルの桜があった。オレンジがかった薄ピンクの桜は、いつにも増して壮麗なものに見えた。包み込むような迫力は筆舌に尽くしがたい。

 僕はスマホを取り出してカメラを起動させる。

 今描いている絵が仕上がったら次はこの桜を描きたい。

 この景気を描く自分を想像したら胸が高鳴った。


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