第12話「K田の返事」
私に自主練のことを持ち出されないためか、上手く隙をついて帰るようになったK田。
直接話をするには、先に帰らせない状況を作らなくてはならない。
その日の練習の休憩時間、瑠香に手紙を渡すついでに手短に状況を伝え、ある協力を仰ぐことになった。
練習後の掃除が終わると、いつもはさっさと更衣室に向かっていた私と瑠香。
だがこの日、私たちはあえて話が弾んでいるふりをして、なかなか更衣室に入らなかった。
それどころか、掃除用具を片付けたついでに、玄関先に座り込んだ。
「それでさぁ、うちの彼氏がそうやって言うから、なんかめんどくさくなってきちゃってぇ」
「うわー、それは彼氏が悪いわ。私だったらキレてるかも」
「だよね!この前もさぁ」
瑠香と彼氏との喧嘩話は、普段からネタが尽きない。
あえてそれを話題に取り上げた。
瑠香はおしゃべりだから、基本的に私は聞き役になっていればいい。
うんうんと頷きながら、横目でK田を見た。
思った通りだ。
私が更衣室に入った隙をついて先に帰るようになったK田は、一人でバシバシとサンドバッグを叩き始めた。
サンドバッグ越しに、ちらちらとこちらの様子を伺っているのが分かる。
時間を稼いで、私たちが更衣室に入るのを待つつもりだ。
そうはいくかと、私たちと瑠香はその場を動かない。
先に帰ってゆく男性陣たちが、私たちに声をかける。
「えらい話し込んでんなぁ(笑)」
「女子会中!ヒロ姉に彼氏の話聞いてもらってるんです」
遅くならないようになーと、男性陣はぞくぞく帰っていく。
と、K田に動きがあった。
サンドバッグを叩くのをやめ、道場長先生に話しかけにいく。
「先生」
「どうした?」
「⚪︎⚪︎(技名)を、ゆっくり教えてください」
唐突な、そして新たな時間の稼ぎ方に、私と瑠香は目線だけ合わせて笑った。
無理やりすぎる。
ところが、運が悪かったらしい。
道場長先生は申し訳なさそうに言った。
「すまん、さっき母屋の方にお客さん来ててな。今日はすぐ戻らなアカン」
そういえば、さっき練習終わりに道場と併設された母屋の方でチャイムが鳴り、先生は慌ただしくしていた。
地域の様々な活動に協力している先生は顔が広く、よく遅い時間になっても客人が訪ねて来ては、普段のお礼にと夕飯で作った料理なんかを手渡したがっていた。
「わかりました。おやすみなさい」
あっけなく道場長先生に断られたK田は、しばらく道場をウロついた。
とうとう道場には、私と瑠香、K田の3人になった。
K田は掲示物を眺めたり、本棚にある技の解説書を手に取ってみたり、異常なほどゆっくりとペットボトルのお茶を飲んだあと、原材料名を眺めてボーッとしたりしていた。
私たちは喋り続ける。
ついに、K田がこちらに向かって声を飛ばした。
「お前ら、早く帰れよ。もう遅いんだから」
面白がるようなクスクス笑いを何とか堪えた、という顔をした瑠香が返事をする。
「ヒロ姉に相談乗ってもらってるんですー。K田さんこそ、早く帰らないんですかぁ?」
「俺は……もう少しいる」
が、さすがに早く帰らなければいけないのも事実で。
高校生の瑠香は、すでに隣町からお父さんが車で迎えに来ていた。
私は咄嗟にあることを思いつき、瑠香に耳打ちをすると、立ち上がった。
「じゃあ私、明日バイト早いから先帰るね。ばいばい」
「うん!ヒロ姉、ありがとっ。うちもパパ来てるからもう帰るね」
玄関を出る前に一礼すると、K田が着替えを手に、そそくさと男子更衣室に向かうのが見えた。
しばらくいるんじゃなかったんかい。
私は道衣のままクロックスをつっかけ、玄関脇に置いた原付に腰掛けた。
携帯を開くと、友達からきていたメールを返す。
それが終わればSNSを開いて、別に見るものもないのにスクロールして時間を潰した。
まもなく、瑠香が出てきた。
お父さんの車は盛大なエンジン音をふかしながら去ってゆき、助手席で瑠香がこちらに手を振るのが見えた。
携帯の液晶の光に集まってくる虫を追い払いながら、さらに時間を潰した。
と、道場の奥からドスドスと歩く音が聞こえ、窓から漏れていた明かりが消えた。
きた。
最後に道場を出る人は、電気を消して施錠をしてから帰る決まりだ。
携帯を閉じる。
たすん、とスリッパをアスファルトの玄関床に放り投げる音が聞こえ、ざりざりと砂利を踏みながらそれを履く音も聞こえた。
玄関のドアが開いた。
「お疲れ様です」
「う、わっ」
玄関を出たK田に声をかけた。
驚いたK田は、とっさに身を引いた。
怪訝そうに眉を潜める。
「お前、帰ったんじゃなかったのか」
「お話がありまして」
その言葉に、さっきまでの瑠香と私のやり取りが茶番だったことに気づいたのか、K田は目を泳がせながらまくしたて始めた。
「お前待ち伏せしてたのか。アカンな、そういうのはストーカーっていうんだ。間違われたくなかったら、」
「自主練のことなんですけど」
一方的に喋るK田の言葉を遮る。
K田は眉を潜めたまま、口の端を歪めた。
「…いま俺が喋ってたよな」
目の色が変わり、さっきまでの苦笑いが消えた。
怒りのスイッチを押してしまったことは、明らかだった。
だが、ここで引いては意味がない。
「私も喋りたいことがあったので」
拳を握りしめた。
「最近自主練してませんけど、この先もうしないってことですか?」
「…いや?俺はいつだって練習したいよ?武道大好きだからなっ、でも最近仕事が忙しいから土日に行けないのは仕方ないことであって、」
「私が聞きたいのは仕事の忙しさじゃなくて、それならそれで、何で連絡してくれないのかってことなんですけど」
K田は視線を逸らすと、わざとらしく余裕ぶった顔を作ってヘラヘラと笑った。
「連絡ならお前がしてくるから、それにはちゃんと返してるだろ(笑)」
「そういうことじゃないですよね」
「ん〜?」
「仕事が忙しいから自主練できないっていうのは分かります。でも、何でそれを連絡なり、直接言うなりしてくれないんですか?4月からずっと休日は自主練してて、いきなり何も伝えられずに、私だけがいつも通り道場に来て待ちぼうけになるかも、とか思わなかったんですか?」
んん?と、大袈裟に首をひねるK田。
「でも、お前は連絡してきてる。俺はそれに返してる。待ちぼうけになったことなんて、実際あったか?無かったろ。じゃあいいんじゃないのか?」
この人は本当に国立大を出ているのかと疑うような、レベルの低い返しだ。
いや、だからこそだ。
さっきから、自分のしたことではく結果の方に論点をずらして、上手いこと自分の非にならないようにしている。
持っていき方は強引だが、見事にずるい。
頭が働く証拠だ。
油断したら足元を掬われる。
私はできるだけ冷静になろうと、深く息を吸いなおした。
「それは結果論ですよね。じゃなくて、私は礼儀やマナーの話をしてるんです。
私にも休日に予定はあります。でも、今まではずっと自主練をしてきました。当然、いつも通りその予定があるものだと思って、備えるようになります。それが予定の立て方ですよね。だからこそ、"都合のつかなくなった側"が、連絡をしてくるのが筋じゃないんですか?」
言いながら、私は何歳の人と話をしているんだろうと馬鹿らしくなってきた。
あまりにも人として当たり前のことを、私自身も驚いたくらい怒った口調で言われ、反論の勢いが落ちたK田は顎に手を当てて唸り始めた。
そして何か口の中でブツブツ言うと、聞こえよがしにこう言った。
「そうか、それがお前の考えなんだな…なるほどな…」
ウンウンとわざとらしく頷いたK田は、こちらに向き直る。
「なるほど。まあ確かに、連絡を自分からしなかったのは悪かったよ。忙しくて忘れてたからな」
まだ言い訳がましい返事に舌打ちしそうになるのを堪えて答える。
「はい。で?」
「で?って、何だよ」
「これから先、自主練するんですか?しないんですか?」
K田は再び、わざとらしくヘラヘラした。
「お前はどうしたいんだ?」
「こっちが聞いてるんですけど」
「俺も聞いてるんですけど(笑)」
ここまできて、我慢していた舌打ちが盛大な音を立てた。
一瞬、K田が驚く。
「…この際ハッキリ言いますけど、急に自主練しなくなったのって、私のこと避けてるからですよね。だから連絡しなかったんですよね。分かってるんで、いちいち面倒くさいこと言わないでもらえますか」
煮えたぎりそうなイラつきとともに、ひんやりとした怒りが湧き上がってくる。
私の空気感が伝染したのか、K田も真顔になり、ヘラヘラの仮面を脱いだ。
「…避けてるって?分かってるだって?
へえ。お前、勝手に俺のこと決めつけるなよ」
「決めつけられたくなかったら、自分の言葉できちんと説明してください」
これは効いたらしい。
反論の言葉が見つからなくなったK田は、顔を歪めて黙った。
「………」
5分ほど黙っていただろうか。
ついにK田が口を開いた。
「…わからん」
「はい?」
わからん?
聞き返すも、K田はまた黙る。
「あのー、黙っててもこっちが分からないんですけど」
イライラし始めた私は聞いた。
「何がわからないんですか?」
しかし、今度はK田がイラつきを含んだため息をつき、ん゛ん゛、と咳払いをする。
「自主練ねぇ…まあ、するかしないかは、まだ分からんわ」
私もため息をついた。
なんじゃそりゃ。
呆れてものを言えずにいると、鞄に入れた携帯が振動した。
母からだった。
『大丈夫?何かあったの?』
時間を見ると、もう23時だった。
素早く返信する。
『ごめん、先生と話してて遅くなった。もう帰るよ』
そろそろ帰らないとまずい。
親にも心配をかけるし、何ならここは道場長先生の自宅の敷地内だ。
まず、先生の家にとって迷惑だ。
親からのメールだと察したであろうK田が、チャンスと言わんばかりに目を光らせた。
「そろそろ親にも心配かけるだろ。帰るか」
が、決着をつけないまま終わるのが嫌だった私は、意を決した。
「じゃあ、最後にこれだけ聞きますね」
なんだよもー、と、面倒臭そうに頭を振るK田。
「岐阜に行ったときの返事、あれどういう意味ですか」
間。
K田はポカンとした顔。
を、作っているように見えた。
そして、さあ?と首をかしげた。
「いまの流れで言うのは本当にムカつくんですけど、私あの時、気になってる人がいるか聞かれて、K田さんのことだって言いましたよね。私、ありがとうって言われて、そこから避けられてるんです。意味がわかりません」
息を吸い、本音を言った。
「お礼とかじゃなくて、私のことをどう思ってるか二択で聞きたかったんですよね。
正直、ハッキリしないのであれば、さっさと諦めて次の恋愛探したいんです。でも、何も言わずに自主練しなくなったり私のこと避けたり、そういう態度とかも、曖昧なままだとモヤモヤするんですよ」
昨日まではK田の気持ちが気になっていたが、いまは単純に、ハッキリせずに言い訳ばかりしている態度に腹が立つ。
だから聞きたかった。
本人の口からハッキリしたものを聞いて、恋愛的に諦めるというより、人としての関わりを断ちたかった。
K田は目を泳がせた。
「ハッキリも何も…ありがとうは、ありがとうだよ。俺のことを好きになってくれて」
そして、再び黙った。
「だから」
言いかけて、口をつぐんだ。
たぶん、この人には何を言ってもムダなのだ。
「そうですか、わかりました」
私は、半分くらいを感情に任せて言い切った。
「K田さんのこと気になってたんですけど、ハッキリしてもらえないのも、こういう態度も、ムカつきます。もう忘れますね。K田さんも、忘れてください」
眉尻を下げ、何か言いたそうにしているK田を置いて、私はさっさと原付に乗った。
夜の山道を下りながら、悔しくて目に涙が滲んできた。
「…思わせぶるんじゃねーよ、糞野郎」
あの2ヶ月は、何だったのか。
家に着いて自分の部屋に入ると、壁に貼ってあった、毎月の道場の予定表が目についた。
新しい月の予定表をもらうと、すぐ先月分は捨てるようにしていたが、今年の4月分からはずっと重ねて貼っていた。
7月、6月、5月、4月とめくっていくと、毎週土曜日の欄に赤いボールペンで○がしてあり、『自主練‼︎』と書いてあった。
行き場のない気持ちが、黒いインクのように、再びじわじわと広がった。
私は予定表の8月分だけを残し、それ以外を一気に引っ剥がすと、ビリビリに破いてやった。
モラハラ彼氏と別れて人生変わった話。 *MEICO* @mei_gin
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