第11話「見えない本心」



8月のはじめになると大学の授業は基本的になくて、前期の間に先生が休んでナシになった授業分の、補講のために通った。



朝早くから片道2時間の大学まで通わなくていいこの時期は、本当にありがたい。


しかし14、15時台からの補講に間に合わせようと思うと、地元のローカル線はほとんど本数がない。


必然的に、ずいぶんと早めの電車に乗ることになる。


だから都会のダイヤとは合わなくて、補講が始まる50分も前に大学に着いてしまう。




まぁ遅刻するよりはいいかと、私は広くてクーラーの効いた教室を、独り占めにすることが多かった。



こうした空き時間に私がよくしていたのは、瑠香(るか)への手紙の返事を書くことだった。






瑠香は私より3つ年下の、道場の数少ない女子仲間だ。


入門した時期は私より瑠香の方が半年ほど先だったが、年齢の違いにより、私の方が段位は上だった。


が、ほとんど同期のような感じで小学生のときから仲良くしていて、瑠香は私のことを「ヒロ姉」と呼んでいた。




そんな瑠香とは、たぶん一番恋バナをしてきた仲。


世代のせいなのか、私たちはわざわざ恋愛のことを、手紙に書いてやり取りするのが好きだった。



どちらかに恋愛報告や速報があると、それを手紙にして、受け取った方は次の練習のときに返事を渡す。


私たちはこれを小学生のときからしていて、お互いメールという文明を手に入れてもなお、続けていた。


最近の話題は、やはりK田のことだった。



ここ最近瑠香からもらった手紙を読み返す。







『ヒロねぇへ♡


K田さんのコト、うちが最初に思ってたのは、照れてる?のかなぁってことだけど…正直、ちょっとよくわかんないかも💦


思いきって、もう一回聞いてみるのもアリじゃないかなぁ?


うちだったらそうすると思う!


もしかしたら、K田さんの中で迷ってることトカ、あるかもしれないし。


岐阜に行ったときと今でゎ、気持ちも変わってるかもよ?』




瑠香の丸っこい字で書かれた岐阜の文字を見ると、あの日のことが鮮明に思い出された。









私の気になっている人はK田さんだと伝えた、あの日。



K田はこちらを見て、うすい笑顔で言った。






「ありがとう」










それ以上はその話題について一切触れず、「じゃあまた道場でな」と、車から下ろされた。




ありがとうと言われても…。

私はその晩ずっと考えた。


どういう意味での、ありがとうだったんだろう?





考えても分からなかったが、一つだけ変化があった。


その日を境に、休日に2人で自主練をすることが無くなった。






翌週からの通常練習で、K田の態度はいつも通りだった。何も変わらなかった。



しかし、いつものように週末になっても、K田は自主練に誘ってこなかった。


そのうえ練習後はさっさと帰ってしまい、聞くこともできなかった。





土曜日、一応行くべきなんだろうか?


今まで当たり前のように、もはや暗黙の了解的にしてきた自主練だし、誘われなかったからと私が行かなくて、いつも通りK田だけが来たら?


いやでも誘われなかったし来る気はないのかも…と、どうしたらいいのか分からなくて、迷った挙句メールで聞くことにした。





【お疲れ様です。

明後日の土曜日って、自主練しますか?】




汗で重くなった道衣を洗濯機に突っ込み、熱い風呂に入り、母親が用意しておいてくれた遅めの夕飯を食べる。


他の家族はすでに寝ている時間なので、テレビの音は最小限に、録画しておいたドラマを観る。



日付が変わって、歯を磨いてベッドに入った頃に、ようやく返信はきた。






【今週は仕事で行けません】







いつもは何かしらついてくる絵文字や顔文字の無い、端的な文章。



私はまた迷った。



今週は、ってことは、来週はあると思った方がいいんだろうか?


というか、仕事で行けないことが分かっているなら、なぜ事前にK田の方から伝えてこないのか。


何も知らされなかった私だけいつも通り自主練に行って、待ちぼうけになったら…とか考えなかったんだろうか。




また、あの違和感が胸をかすめた。






その後も、練習のときのK田の態度は変わらず、相変わらず関節技の研究をさせてくれと言って身体を密着させてくるし、周囲の男性陣と一緒になって、私をいじってきた。




しかし、自分から自主練の話を持ち出すことは一切なくて。


しかも、自主練について私に何も聞かれないように、さっさと帰っているみたいだった。



というのも以前は練習が終わると、私が女子更衣室で着替えている間にK田は道場長先生と雑談しており、着替え終わって出てきた私に「今週もやるか」と伝えてから、帰っていっていた。


何なら急いでない限りは、「夜道の原付は危ないから、後ろから照らしてやる」と言って、二台で一緒に帰っていた。




ところが自主練に誘ってこなくなってからは、私が更衣室に入るや否や「ありがとうございました」と、K田が道場を出て行く音が聞こえるようになったのだ。



まるで私が着替えている隙をついて、帰っているみたいだった。








2ヶ月も毎週続けていた自主練を急にパタっと辞めるとは思えなくて、私は週末になるたびに確認のメールを送った。



でも、返事はいつも、何かしらの理由で来れないというものだった。




【今週は家族の誕生日で出かけるから】


【幼なじみと久しぶりに遊ぶ約束してて】


【今週は仕事です】


【最近疲れてるから、休みにしよう】




理由はバラバラだったけど、共通していたのは、一度もK田から断りの旨を伝えてきたことがなかった、ということ。


いつも私が聞いてから、返事をもらう形。




さらに7月の練習会もK田は休み、8月は元々練習会は休みの月で、2人で話せる機会がなかなか無かった。


そうこうしている間に、8月になっていたというわけだ。






避けられている、というのは感じ取っていた。


だが避けられる理由が分からなかった。



あれだけ脈ありのような言動を繰り返してきていたから。




仮にあれが私の勘違いだったとしても、だ。


普通は、相手をこれ以上勘違いさせないよう、ウソでもなんでもつくと思うから。


「彼女がいる」とか「他に好きな人がいる」とか。




自主練にしても、私のことを避けたいなら、はっきり言えば済むことだ。「もう2人で自主練はできない」「やめよう」って。




だが、K田はそれらしいことは、一切言わなかった。





しかも自主練や練習会など、2人になる状況を避けていながらも、通常練習では以前と同じように、身体を密着させてきたりからかってきたり、「そう思われても仕方ない」行動を続けていた。





何を考えているのか分からず、モヤモヤする日々が続いた。



私が知りたかったことは、一つだけ。





私のことを好きなのか?


そうじゃないのか?





全く、分からなかった。






この時点で、別にK田のことは依存するほど好きなわけではなかった。



なので、可能性が無いなら無いで、キャンパス内で新しい恋愛を見つけたかった。



だからこそ、K田からはハッキリした返事を聞きたかったのだ。







大人になった今、こんなハッキリしない状況に置かれたら、自分から見限りをつけるだろう。



先々K田と別れたあとで、私は何人かの男性とそれなりの恋愛をしてきた。


その中で特に学んだことは二つ。




「返事がないのが返事」であること。


「言ってることより、やってることがその人の正体」であること。




これらを理解してからやっと、変な男に引っかかることは無くなった。






だが当時は、そんな上手な人付き合いなんて、できるはずもなく。



頭のどこかで分かってはいても、自分の納得がいくまで追い続けてしまうのが、18歳の私だった。




だから瑠香の手紙には、こう返事を書き始めた。







『るかへ


そうだよね、正直私もK田さんが何考えてるか分からないんだけど、改めて直接聞いてみようと思います……』





その日、補講が終わってから道場へ向かった。


ジワジワと鳴くセミの声と、肌を焼いてくる太陽が、すごく暑い夏だった。

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