第8話「思わせぶり」
K田はどちらかというと、地味でモテないタイプだった。
服や髪型はTHE地味で、美意識は高くないし、何かにこだわりがあるわけでもなかったから、好きなブランドもないし、私物がオシャレなわけでもない。
それ自体悪いことではないんだろうけど、「自分はこう生きるんだ」「これが自分なんだ」「こういう自分が好き」っていう意志やこだわりみたいなものを、少しも感じなかった。
なんというか、ヌボーッとしてるタイプ。
周囲の人によく言われたのは、「K田さんってストーカーになりそうな感じがする」。
全くもってその通りで、付き合ってからK田にはストーカーまがいのことをされるのだが、それはまたあとの話。
とにかく、あまり良い意味ではないオタクっぽいタイプだったK田だが、過去には不思議と女性関係はあったのである。
それは恐らく、大学生になった私にしていたように、ものすごく巧みな言葉で思わせぶるのが得意だからである。
そして十分に思わせぶり、都合よく遊べる女性を作るのだ。
*
「土曜日、ですか」
大学1年生になったある日、K田が土曜日の自主練に誘ってきた。
「いいですけど」
「じゃあ朝からしよう。9時でどうだ?」
「大丈夫です」
「よし」
K田は道場長先生に土曜日の使用許可をもらいに行き、やたらと嬉しそうな顔で戻ってきた。
「いいってさ」
別に土曜日は何も予定はなかったし、練習することに関しては、子どもの指導者を任されてはりきっていたから。
土曜日の朝、親の車で送り迎えしてもらうのではなく、大学生になってから買った自分の原付で道場まで向かう。
本当は車に乗りたかったが、「大学生の身分で維持費を払い続けることは難しい」と親に反対され、仕方なく大学4年間は原付愛用者となったのだ。
車や免許に関して、私は当時、相当なコンプレックスを持っていた。
田舎あるあるかもしれないが、他の同級生たちはみんな土地がある。その土地に住む祖父祖母から、自動的に引き継いだお金がある。
つまり金持ちが多くて、親に何でもお金を出してもらうのが普通だった。
教習所に通うお金、受講費、免許取得に必要なお金、車を買うお金…
彼らは当たり前のごとく、親の金で教習所に通い、親の金で買った車を早々に乗り回していた。
だが、うちの家庭は違った。
経済的に豊かかどうかは置いといて、「自分のことは自分でやる」家庭。
私が高校3年間で貯めたバイト代を、ほとんど教習所の費用や原付代に使ったのは、そのせいだ。
「何でも親が甘やかしては、子ども本人が自分で生きていく力をつけられない」「親はいつまでもいるわけじゃない」
うちの親はたびたびそう言っていた。
その意味は大人になった今は十分わかるし、周囲の同級生たちは、やはり甘やかされていたとも思う。
が、苦労せずにお金を出してもらえる環境というのは、やっぱり羨ましいものがあって。
自分の経済力のみで自分のことをしなくてはならなかった私は、同級生たちと比べると、持ち物や身の回りのものがワンランク劣っていて。
「ヒロちゃん、何で原付なの?」
「車買ってもらいなよ!」
「えっ、原付なんだ(笑)」
たまにバッタリ会う同級生には、どこかバカにされていた。
そういうのは決まって、あのとき小学校で一緒だった奴らだった。
実は私は免許も、ミッションで取るつもりだったのを、金銭的な問題と、大学入学までに取らなければいけないタイムリミットから(遅生まれのため)、ミッションをあきらめてオートマで取っていた。
だがそんな事情を知らない同級生たちは、遠慮なしに私の心をえぐってきた。
「あたしミッションなんだー!女子でミッションってすごくない?え、ヒロちゃんオートマ?…ふーん、そうなんだ。うちは教習所とか、全部親に出してもらったよ!」
当時、こんな感じの同級生(特に女子)を何人、頭の中でしばき倒したか分からない。
あまりにも腹が立った奴は、戦車で轢かせて頂いた。
あ、もちろん私の頭の中で。
「てか、遅…」
道場の庭に停めた、春先の太陽をサンサンと浴びて輝く原付を眺めて待っていたが、9時を過ぎてもK田は来ない。
さすがに9時15分になると、今日の自主練の約束はウソだったんじゃないかと思い始めて、携帯をパカッと開けて、先日交換したばかりの連絡先を探した。
電話番号をプッシュしかかった時、見覚えのある水色の軽が庭に入ってきた。
「おう」
道場のドアを開けたK田は、ヨッス、みたいな感じで軽く右手をあげた。
スタスタと歩いて更衣室へ向かい、道衣を着て出てきたと思ったら、「いやー、まいった」と両手を顔で隠した。
「土曜日、寝れるんだよなぁ」
それはつまり
「寝坊、ってことですか」
ん?と、K田はおどけた顔をする。
「起きるのが普段より遅かっただけさ」
練習が終わる頃、母屋にいた道場長先生が顔を出し、「昼飯食いに行くか」と、誘ってくれた。
K田が車を出し、先生と私を乗せて山道を登る。
道場から一番近い、山の奥にぽつんと建ったラーメン屋。私が好きだったお店。
名物の大盛りラーメンをすすりながら、先生は話してくれた。
私も大学生になったことだし、毎月一回、日曜日に開催される、県の合同練習会に参加してはどうだということ。
K田も以前から、その練習会に参加しているということ。
その他、高段者になったことで、これからは研修なども増えていくこと。
「勉強になるし、参加した方がええ」
以前から、先生とK田は週明けになると、日曜日の練習がどうのこうのって2人だけで話してたけど、そうか、県の練習会なんてものがあったのか。
2人だけで、2人にしか分からない話をしている姿を思い出し、口の中に入れたホタテの貝柱を噛み締めた。
塩とバターの旨味がじわっと染み出して、口の中に広がった。
ーそれに参加すれば、私も仲間になれるんだろうか。
「行きます」
こうして、私は県の合同練習会にも参加することになった。
これがキッカケで、あんなに苦しむことになるなんて、この時は思ってもいなかった。
次の週、通常の練習終わりにK田はまた誘ってきた。
「ヒロ、今週末もするか?」
自主練。
「うーん」
正直、大学がはじまって慣れない生活の中、ストレスがかかっていた。そのうえ、これから月に一回の合同練習会にも参加するとなると、極力他の休日はオフにしておきたかった。
「どっちでもいいですかね」
「どっちでもいいって、なんやそれ!自分の無い奴やなぁ」
自分の無い奴。っていうのは道場長先生の口癖で、人に流されたりハッキリした意見を持たない子に、よくそうやって喝を入れていた。
この場合、使い道が違う気がするけど。
「じゃあいいですよ、やりましょうか」
となると、自主練の翌日が合同練習会になので、少し疲れるかもしれない。まぁいいか。
「今度は遅刻しないでくださいよ」
K田は「しないって」と軽い口調で言ったあと、清々しい笑顔を見せた。
「たぶん!(笑)」
9時ギリギリになってからK田が現れた、次の土曜日。
「ほら、大丈夫だったろ?」
彼が着替えて更衣室から出てくるときには9時を過ぎていた。
その日は道場長先生がいなかったので、練習を終えた私はさっさと帰ろうとしていた。
そんな私にK田は言った。
「ヒロ、飯食いに行くぞ」
え?
2人で、ってことだよね?
と思ったが当たり前だ、この空間には私とK田しかいないのだから。
だが私はその誘いを、断らざるを得なかった。
「すみません、私今日、直接道衣で来ちゃったので、着替え持ってないんです」
道衣で飲食店に入るのは御法度だ。
K田はつまらなさそうに「なんだよー」と言うと、明日の合同練習会について話し始めた。
「練習会は、○市でやるんだよ。ここから車で4、50分くらい。国道使って行かなきゃいけないし、距離や時間を考えると、お前の原付だとキツい。だから明日、お前の家に迎えに行くから」
「つまり、車を出して頂けると」
「だから、そう言ってるだろが(笑)」
○市ってあんまり行ったことないけど、確か電車でも行けた距離のはずだ。
それをK田に言うと、さらっと受け流された。
「いや、いいよ。俺が迎えに行く」
練習会当日の車の中では、やっぱり何か話さなくちゃいけなくて。
そこまで長々と喋ったことがなかったので緊張していたが、案外K田とは、ゲームやマンガの趣味が一緒であることが分かった。
それですっかり気を許した私は、この日のお昼ご飯も誘われたわけだけど、何の抵抗も感じなくて。
練習会は丸一日なので、お昼休憩用に自分で握ったおにぎりを持ってきていた私に、K田は「近くのうどん屋さんが美味いんだ」と言った。
会計のとき、K田は当たり前のように「2人分一緒で」と店員に言った。
「いや、ダメですよ。出します」
「いいって」
「いやいやいや」
よくあるやり取りを店員は困ったように見るしかなくて、K田は強引に「一緒で」と言った。
そして私の方を振り返る。
「男に恥かかせないでくれよ」
何だか変な気分になった私は、帰りの車の中で、できるだけ行きと同じように打ち解けた感じを装って喋った。
「ヒロ、他に何のゲーム持ってた?」
「うち、基本的にゲーム禁止だったんですよね。今朝話した、特別なときに買ってもらったソフト2つ持ってただけで、あとは近所の男の子の家でやらせてもらってました」
「厳しそうだもんな、お前のうち」
「そうですねー。だからゲームの意味違うかもしれないけど、オセロはよくやってましたよ」
「オセロ!(笑)」
オセロなら俺も得意だなと顎を上げるK田に、相当オセロに自信のあった私は、いまでもボードが家にあること、弟たちとたまに遊ぶことを自慢した。
「マジで?ボードって本格的なやつ?家にあんの?」
「ありますよ、大きいやつ」
ふーん、と窓の外を眺めたK田。
車は信号で停まり、微妙な静寂が訪れた。
「じゃあやるか、オセロ」
やるか、の意味がよく分からず聞き返した。
「え、今?ですか?」
「ここまで話したら、今やりたくなってきたな」
「どこでやるんですか?」
K田はこちらを横目で見て、にんまりとした。
「ヒロの家」
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