第9話「人の家で勝手に、」
「ヒロの家でオセロしたいなぁ」
構ってちゃんの独り言のような口調で呟くK田。
このとき私が一人暮らしだったならば、即座にその意図を感じ取って断っていただろう。
というか、唐突に「オセロがやりたくなったから家に行きたい」なんて、怪しすぎる。
下心があったに決まっているのだ。
だが私はこのとき実家暮らしで、厳しい両親がいて、ガタイのいい弟たちもいることをK田はもちろん知っていた。
知っているうえでこんな度胸のある発言をするだろうか?と思った。
私一人しか家にいないことが事前に分かっているならまだしも、日曜の夕方で、家族が勢ぞろいしているかもしれないのだから、この人は本当にオセロがやりたいだけなのかもしれない。
「うーん、たぶん大丈夫だと思いますけど」
一応、家族もK田の存在は知っていた。
弟たちは中学を卒業するまで一緒の武道を習っていたし、両親は道場長先生の友達だから、道場に出入りするし。
まぁとはいえ、別に家族とK田は親しいわけではない。
日曜の夕飯時に急に家に来て、リビングでオセロボードを広げるのはかなりのKYだ。
となると、必然的に私の部屋に招かなきゃいけないことになる。
気まぐれでここ最近は部屋を綺麗に保っているから、別に入ってもらっても大丈夫なんだけども…。
「一応、家に連絡しますね」
「おう」
誰かがすぐ取るであろう家電にかけると、一番下の弟が出た。
「もしもし?ヒロだけど」
「んー?」
「いま家にみんないるの?」
「ううん、俺だけ。父ちゃんと母ちゃんは週末の食料の買い込み行ったし、兄貴たちは体育館借りてバスケしに行った」
てことは、家にはこの弟が一人で、みんな当分は帰って来ない。
「…あんた、どっか行く?」
「別に、俺は今日なんも予定ないから家にいるけど。何で?」
何となく小声で、K田さんがオセロしに来るかも、と伝えた。
「はあ」
急なオセロに、弟は間の抜けた声を出す。
「何でオセロ?」
思わず吹き出すが、電話の向こうで弟が深刻な声色になった。
「別に来てもいいけどさ、いまリビング超汚いよ。いまから俺が片付けて何とかなるレベルじゃない」
うちの実家は人数が多いせいもあってか、すぐ散らかる。
「あ、うん。それに関しては大丈夫」
私の部屋でやるから。
っていうのは何となく言わずに、電話を切った。
「家、誰がいるの」
電話の間、耳をそば立てていたであろうK田が聞いてくる。
「弟がいます。他の家族もすぐ帰ってくるでしょうけど」
「よし、それなら時間も時間だし、一戦だけにしよう」
この出来事、私の中では今でも鮮明に覚えていることの一つなんだけれど、書きながら思ったことがある。
一戦だけにしようっていうのは、本当に時間帯を気にしてのことだったんだろうか。
あとからどんどん分かってくることだけど、K田は表面上の「それらしい」理由を装い、ほどよく距離を置いたり、あるいは縮めたり、上手い具合のところを行き来するのが得意だった。
一戦だけにしようというのは、半分は本当に時間帯を気にしていたんだろうけど、もう半分は、「両親が帰ってくる前に何事もなかったかのようにおいとましたかった」からなんじゃないだろうか。
そもそも、このとき下の弟が一人だけじゃなくて、家族全員がそろっている状況だったら、それでもK田は来ただろうか。
今となっては分からないことだけど、K田の性格を考えると、「日曜に家族団らんを邪魔したら悪いな。また今度にするか」とか言ってた気がする。
あのとき、一人だけでも弟が家にいてくれたことに、実はすごく感謝するべきなのかもしれない。
我が家の庭に停めたK田の車から降りると、紅色と青が混在した、濃い薔薇色に染まった空が綺麗だった。
何となく、これから色んな道路が混み始めるであろうことを連想させる色だ。
「えーと、リビングいまちょっと散らかってるんです。私の部屋、案内しますね」
おう、と返事をし、モルモットがごそっと入りそうな大きい靴を脱いだK田は、私のあとをついて、のしのしと階段を上がる。
私が電気をつけて部屋に鞄を置くと、K田は素早く部屋を見回し、驚いた声を上げた。
「あれっ、オセロは?」
昔どこかで感じたことのある違和感が、さっと背筋を走った。
この人は急に来ておいて、なぜ自分のために「すでにオセロが用意されているもの」だと思っているんだろう。
「下にあるので、お茶入れるついでに取ってきます」
ややイラついた気持ちを呑み込み、部屋で待っているよう伝えると、リビングへ降りる。
電話に出た弟が、ゲームをしていた顔をあげた。
木造のこの家では、リビングの声が二階に響くことをわかっているから、口パクで会話する。
「ナンデ、キタノ」
「ワカンナイ」
スグカエル、と伝えると弟は頷き、再びゲームに目を落とした。
何となくだけど、私の部屋に他人をずっと一人で置いておくのは嫌で、急いで一人分のコーヒーを入れると、オセロボードを引っ掴んで二階へ戻った。
ドアを開けると、座って背中を丸めて、俯いているK田がいた。
「あの、コーヒー」
言いかけて、頬が引きつった。
K田は二階の廊下の本棚にあったはずのマンガを、座って勝手に読んでいた。
「おっ、サンキュー。このマンガ懐かしいな。昔うちにもあったんだよ」
出されたコーヒーをすすり、慣れた手つきでマンガを床に置く。
「これ、廊下の本棚にあったやつですよね」
「そうそう、部屋入る前に目についてさ」
つまり、私がリビングにいる間にこの部屋を出て、廊下の本棚を物色し、勝手に持っていったということだ。
「いやー、懐かしい…どうした?早くオセロやろうぜ」
「…それ、弟たちのでもあるんです」
「あ?」
先輩だからと思って色々呑み込んできたものが、我慢できずに喉の奥からしぼり出てくる。
「廊下の本棚って、私のでもあるけど弟たちのものでもあって。いわば家族全員のものなんです。それを勝手に取って見られるのは、ちょっと」
私の部屋の本棚を漁るなら、まだしも。
私がいない間、勝手に家族の領域にまで踏み込まれたようで、嫌な気分でしかなかった。
「…ていうか、人ん家、ですし」
泣くのを我慢してるときみたいに、喉が痛かった。
若さゆえに弱かった私は、色んなことに対して、遠慮したり我慢したりするクセがついていた。
だからのちに「都合のいい奴」認定されてしまうわけなんだけど、色んな経験をして大人になった今の私なら、この時点で間違いなくキレている。
「帰れ」。
きっとそう言うだろう。
でも、このときの私は本当に弱くて。
7つも上の先輩に、車で送り迎えしてもらって、しかも昼食も奢ってもらった「恩」みたいなものを感じてたから、これが精一杯だった。
「あー…分かったって、悪い悪い」
重くなった空気に耐えられない、という風に、K田は片手でパタパタと空間を仰ぐような仕草をしながら、軽く謝った。
私も気まずい雰囲気になりたくなかったし、一応謝ったしと、済んだこととして受け止めることにした。
K田はなかなかオセロが強くて、思いの外、一戦だけでも時間がかかった。
このときどっちが勝ったかは、あまりよく覚えていない。K田だった気もするけど。
勝敗がつき、コーヒーに手を伸ばしたK田が聞いてきた。
「ヒロの分は?」
「あ、さっき急いでたから、K田さんの分しか入れてないです」
ふーん、とマグカップを揺らしながらK田は言う。
「お前、それは失礼やぞ。普通こういうときは、相手と自分の飲み物を用意するもんだ」
思い出すほど非常識な人間だったK田だけど、時と場合によっては、たぶんこのマナーは合っている。
「あ、そうなんですね」
「そーだ」
チラチラとマグカップ越しに、こちらを見られている気がした。
何か言った方がいいんだろうか。
ていうか、ちょっと不機嫌?
急に空気がどんよりし始めた気がする。
「…すみま、せん」
一応、お茶のマナー的に失礼なことをしてしまったようなので、謝っておく。
「ん」
そうそう。といった感じにK田が頷く。
しばらくの間、奇妙な空気が流れた。
その時、庭先から車のエンジン音が聞こえた。
両親が帰ってきたのだ。
「じゃ、俺はこの辺で」
マグカップを床に置くと、ジャラジャラと音を立ててオセロの駒を片付け始める。
玄関に降りると、ちょうど両親が両手に抱えた大きなスーパーの袋を運んでいたところだった。
「あらK田くん、遊びに来てたの」
これから月一回の合同練習会は、K田が一緒に乗せていってくれることを、両親には話していた。
「こんばんは。すみません、オセロして遊んでました」
オセロという、ある意味では若者らしくない言葉に両親はハハハと笑う。
「いえいえ〜こちらこそ、○市まで乗せていってくれてありがとうね」
「いえ、僕の家から行く途中ですし」
K田の家は、私の家よりも1キロほど田舎側にあって、○市をはじめとした栄えている側に行くには、私の家の前に通っている、大きな道路を使わなくてはいけなかった。
つまり私は、行く途中で拾われる形で乗せていってもらったというわけ。
「じゃあ、これからお夕飯ってときに失礼しました」
と、私の方を見ると「じゃあまた道場でな」と言った。
普段通りの感じ。
さっき一瞬、不機嫌なように感じたのは、気のせいだったのかもしれない。
「はい、ありがとうございました」
オセロの結果は覚えていない。
けどK田を見送って部屋に戻ったとき、勝手に本棚から取られたマンガが、そのまま地面に寝転がっていたことは、覚えている。
それからたびたびK田は、土曜日の自主練に誘ってくるようになった。
練習熱心な私たちに、道場長先生はたまにお昼ご飯に連れて行ってくれた。
その流れみたいな感じで、K田はごく自然に、私と2人きりのお昼ご飯にも誘ってきた。
日曜日の練習会のときも、2人で近くのうどん屋さんに通うのが日課になっていたから違和感はなくて、いずれにしてもK田が必ず奢ってくれた。
「その人絶対ヒロちゃんのこと好きじゃん」
蒸し暑くなってきた頃。
大学の友人二人と恋愛の話になったとき、話を振られ、「別に付き合っているわけじゃなくて好きってわけでもないんだけど」と話したところ、友人たちははしゃぎ始めた。
「いや、週末にご飯行く男の人がいるっていうだけね」
「だからさー、それヒロちゃんのこと好きじゃなかったら誘ってないって」
そんなこと考えもしなかった。
「でも、練習終わったあとでお昼食べに行くだけで、それ以外何もないんだよ」
「告るチャンス探ってんじゃない?」
「あたしもそう思う!徐々に距離縮めていってさ、親密になったところで告ってくるって!」
「うーん、そうなのかなぁ」
にしては、毎週同じことの繰り返しのような。
「だってその人、○大出身でしょ?話聞いてるとガリ勉っていうかちょいオタっぽいし、頭いい人特有の奥手っぽい感じ〜」
奥手……。
まぁ言われてみれば、喋るのは得意そうではないし、ぶっちゃけトークも面白くはないし、「うん」とか「おう」とか短い言葉だけで会話が終了することもある。
奥手っぽいっちゃあ、奥手っぽい。
「他にさ、脈ありだなって思うことないの?」
「えー、どうだろ」
「ていうか武道って、めっちゃ体密着するじゃん!キャー(笑)」
あ、そういえば。
「私さ、関節が柔らかいから、技がかかりにくいのね」
ウンウンと友人たちは興味津々に聞く。
「道場のみんなは私がかかりにくいの分かってるから、関節技は諦めるのよ。でもそのK田さんって人、研究だ!とか言いながら、やたら体を密着させて、色んな角度で技がかからないか、しつこく試してくるんだよね」
ただ技をかけたがっているにしては、必要以上に距離が近いというか、変に密着してくるなと思うことはある。と言うと、友人たちは少し眉を潜めた。
「それ本当に技の研究かは分からないけどさ、密着目的でわざとやってるんだったら、ちょっとキモいよね(笑)」
「でも、そうやってヒロちゃんにアピってるのかもよ♡」
とりあえず付き合ってみて、やっぱりキモかったらやめればいいんだし、進展あったら報告してねっと友人たちは言った。
大学生っていうのは高校生とはまた違った浮つき具合で、制服を着ていた頃とは違う、背伸びした恋愛をしたがる生き物だ。
大学生になった途端、女子たちは「タメの男はガキ」だの何だの言い始め、サークルや学部の先輩に憧れ始める。
というか、「サークル」とか「ゼミ」という、いかにも大学生な響きと、そこで出会った先輩と恋するシチュエーションや、そんな先輩と付き合うというキャンパスライフに憧れるのだ。
または大学の外にスリルを求める子もたくさんいて、「社会人の彼女がいる先輩を奪った」とか、「妻子持ちのサラリーマンと付き合っている」とかいう話をよく聞いた。
大学生になったからには、みんな、恋愛のステータスが欲しいのだ。
無意識のうちに、私もその一人だった。
だから周りの子に、誰かいい人いないのと聞かれて、週末にご飯を食べに行く仲になったK田の顔が思い浮かぶのは、ごく自然なことだった。
そして周りにそのことを話すたび、「その人ヒロのこと好きじゃん」と言われた。
言われてから思い返すと、自分では気がつかなかったけど、お昼に誘ってくるのもオセロのために家に来たがったのも、まさしくソレだと思えてきた。
となると、なんだか私も意識するようになってしまうわけで。
そんな折、K田は私に行った。
「ヒロ。今月末、一緒に岐阜行こうか」
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