第18話 カルダモン

「エルフがこの街を支配してるなんて、聞いたこともありません」

 マリネは珍しく怒りを露わにしていた。眉をこわばらせ、セージをにらんでいる。


 しっぽ族の誇りは自治と自律に根ざしている。それが、かつての彼らの支配者だったエルフに今も支配されている、などと言われれば、気分を損ねるのも当然である。


「巧妙に隠されているが、間違いない」

「そのエルフというのは、だれのことです?」

 シュウウの声は冷静さを保っている。マリネの驚きがさらに増した。


「先生、信じるんですか?」

「確かめたいだけです」

 そして、黒い瞳をセージに向ける。フェアリーは体を起こして、ゆっくりと浮き上がった。ふたりよりも高い位置から話すためだ。


「おおよその見当はついてるんじゃないか?」

「他人の口に語らせようとするのはおやめなさい」

 怒りの感情こそ表していないものの、セージの高圧的な態度を戒める意思はあきらかだ。セージはごく小さな肩をごく小さくすくめた。


「ブルギニョンだ」

「なぜそう思うのです?」

「やつは俺から『王の指輪』を奪った」

「でも、あの指輪はセージさんしか扱えないはずでしょう?」

 マリネが唇を噛みながら言う。侮辱とも取れる発言を説明されているはずが、ますます話が見えなくなっているからだ。


「いまの技術じゃ、そうだ。でも、俺の時代から生きている者なら……そして、俺のことを知っているものなら、俺の魔力をまねるか、指輪に仕掛けをほどこすかして使えるかもしれない。俺なら、十通りは方法を考えつくぜ」

「五百年以上生きていて、あなたのことを知っているものとなれば、かつての王国にいたエルフだということですか」

 セージは片目をつぶって、空中でくるりと身を躍らせた。


「その通り。それができるエルフでないと、あの指輪を欲しがる理由がない」

「ただ欲しかっただけかもしれないじゃないですか」

 マリネの反論に、セージは小さく鼻を鳴らした。


「ラビオリみたいに? ラビオリにだって、まだグリエを困らせようって動機があった。しかし、ブルギニョンがわざわざ俺やグリエを敵に回してまであの指輪を欲しがる理由は他には思いつかないね」

 長い髪をかきあげて、セージは二人からの反論を待った。しかし、シュウウもマリネも反論することはなかった。


「俺の推理ではこうだ。王国は俺という偉大な指導者を失い、その隙を他の国に突かれた。おそらく、エルフたちは俺がいなくても勝てると考えてたんだろう。だが、実際にはそうはいかなかった。俺を失ったエルフの軍は脆弱で、王の指輪を抜きにしては魔道具も完全には動かせない。結果、王国は滅んだ……だがグリエの話じゃ、エルフたちは今は身を隠しているらしいから、全員が死んだわけじゃない」


「生き残ったエルフのなかに、この街に潜んだものがいると?」

「いいや、潜んだんじゃない。おそらく、そいつがこの街をつくらせたんだ。ここは俺の王国のすぐ近く。遺跡を探索するための拠点になる」

「それじゃあ、この街が成立した時からブルギニョンが関わってたというんですか?」

「当時は別の姿と名前だったんだろう。幻影術を使ってしっぽ族やドワーフに姿を変えて、この街を育てたのさ。それとも、魔法で別の人格を作って、体を操らせていたのかもしれない。体も心も作り物だ」


 二人は何も言わず、セージが話し続けていた。

「しっぽ族が自立心を得たところで、冒険者ギルドを設立した。その真の目的は、王の指輪を探すことだ」

「そんなに時間があるなら、最初から自分で探したほうが早いのでは?」

 マリネの疑問ももっともだ。ただし、それはしっぽ族流の考え方である。


「つねに誰かに命じる立場で居続けたかったんだ。エルフの寿命が長いといっても、百年以上も奴隷なしで生きるのは自尊心が許さなかったんだろう」

 マリネはなにか言いたげに眉を寄せたが、それを言葉にはしなかった。グリエとは違って。


「信じがたい話ですが、仮にそうであったとして……」

 シュウウは額を押さえ、頭の中でセージの推論を整理していた。だが、どうしても納得しかねるようだ。


「いまさら、王の指輪を手に入れてどうなるというのです。すでに王国はなく、エルフは大陸に散り散りになっています。王の証明となる指輪を手に入れても、何もできないのでは?」

「ところが、そうじゃない。少なくとも、やつにとっては」


「先ほどから、ブルギニョン氏の正体に心当たりがあるような口ぶりですね」

 セージは大きく息をついた。


「おそらく、間違いない」

 喉の奥から吐き出すように、セージはつぶやいた。

「カルダモンだ。俺の腹心だったエルフだよ」


 🌳


 深い森のなかに、それはあった。堅い樫が組み合わさり、柱となり、床となり、枝葉が屋根を成している。


 樫の宮殿。最初にして最後のエルフ王セージェリオンの居城だ。

 その中心部には、玉座の間であった空間があった。


 かつてその天井はヒカリソウに覆われ、淡い明かりが空間を満たしていた。いまは伸び放題になった樫の枝が幾重にも重なって光を遮っている。

 かつてその床は魔法の力によって整えられた樫が水平を保っていた。いまは根が土を隆起させ、茫々たる下生えに覆われてでこぼこになっている。

 かつてその玉座には王が座し、幾人もの騎士たちがかしずいていた。いまはその空間にひとりの姿だけがあった。


 いかめしい皺だらけの顔。鋭いまなざし。ヤギの尻尾。

 ブルギニョンは空間を見渡した。しっぽ族は暗闇を見通すことはできない。だが今、彼は明かりを持たずに暗闇の中を歩いていた。凹凸のある床を苦も無く進み、彼は玉座の前に立った。


 玉座は朽ちかけていた。それは生きた樫の木ではなく、魔法銀と紫檀で作られていた。精緻に作られたはずだが、何百年という時を超えてその場に在り続けただけでも驚嘆すべきだろう。


「古びたな」

 時間は悪食だ。あらゆるものを飲み込んでいく。宮殿の栄華はすっかり食い尽くされていた。だが、すべてが失われたわけではない。


「すぐに元通りになる。王さえいれば」

 ブルギニョンの指には、『王の指輪』があった。暗闇の中でさえ、それは緑色の燐光を発し、この場所にふさわしいものが居ることを示している。


「多くの時間と多くの労力を払った。この私がしっぽ族なぞに……」

 指輪を着けた手で、ブルギニョンは顔を覆った。その指の隙間から魔力の光が漏れだしていく。最初に瞳が褐色から青へ色を変えた。皺だらけの肌は光に覆われ、陶磁のように艶を浮かべ、皺は消え去っていく。尻尾は糸がほつれるように細まり、ついになくなった。


 尖った耳にかかる髪を掻きあげると、それは長い銀色になっていた。

 幻影術のヴェールを脱ぎ去ったエルフは、大きく息を吸い込んだ。長い長い時間が空気と共に彼の肺を満たす。時間を飲み込んだ代わりに、カルダモンは魔法の言葉を吐き出した。


「光よ来たれ」

 指輪から光の輪が広がった。広大な空間を発光が満たし、魔法の制御を失った樫の樹皮が形作る複雑な隆起が、混沌じみた複雑な絵を描いていた。カルダモンには、その陰影のひとつひとつまで見通すことができた。


 全身に魔力が満ちて、かおは――比喩ではなく――輝いていた。


「とにかく、この指輪がここにある。私の手の中に。いずれ、大陸のどこかへ潜むエルフたちが私のもとに再び集まるだろう。新たな王のもとに。彼らのために、狼煙を上げてやらねば」


 玉座の先には、やはり朽ちかけた台座がある。はるかな過去、彼がここにいた時の記憶がよみがえってきた。エルフの王セージェリオンをここで小像に封じた。五百年以上の時を超えて、王の命令を実行に移す時が来た。ただし、王はもはやセージェリオンではない。


「エルフの王カルダモンが命じる」

 指輪の魔力が燐光となって台座に注がれる。樫の宮殿のはるか地下に、巨大な『力』が眠っている。その中心に自分が立っているのがわかった。


「ティーゼローファよ、起動せよ」

 樫の宮殿の地下で、大きな魔力がうごめきはじめた。湖のように静かにたたえられていたそれが渦を巻き、やがて大きな波紋を生み出していく。力のうねりは地面を揺らし、やがて森全体が震えはじめた。


 森の木々がざわめき、枝に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立った。それはパステシュの東の空を灰色に濁らせ、のぼったばかりの朝日を遮った。まるで、夜明けを拒んでいるかのように。


「貴種流離だ。偉大なるエルフは他の王国によって国を奪われ、遍歴の旅を過ごした。だが、ついに王の指輪を取り戻し、玉座にふさわしいものとなって帰ってきた!」

 かしずくもののいない空間に、カルダモンの哄笑が響く。幾度も反響して元の音が定かではないこだまになった。彼の耳には、それが自らを称える声のように聞こえた。


「薄汚いしっぽ族に身をやつして苦難の日々を過ごしたことも、輝かしい伝説の一部として民に愛されるだろう」

 魔力が森に満ちていた。ティーゼローファが本来の姿を取り戻そうとしている。


 カルダモンはきしむ玉座に腰を落ち着け、大陸の広さに思いをはせた。いまや、それが彼の手の中にあるように感じられた。


「私が王だ。唯一にして絶対の」

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