第17話 不穏の夜明け
「ぶっ潰してやる!」
意識が戻るなり、セージは叫んだ。
最初に感じたのはにおいだ。カビの存在を感じずにはいられないにおいに混じって、新鮮な茶葉の香りがしていた。
「感心しませんね、暴力は」
次に、しわがれた声が横合いからかかった。セージが起き抜けのふらつく頭を細い手で支えながらゆっくりと首を巡らせると、見覚えのあるリザドがカップに口を着けていた。
余談だが、エルフやしっぽ族に食らえれば鋭角な形の口で、カップを使って飲むのにはいくらかのコツが必要らしい。
「シュウウ」
こめかみを揉みながら、セージはそのリザドの名を呟いた。
「いったい何があったんだ?」
「私はグリエに頼まれてあなたの治療をしにきました。詳しいことは、マリネが」
マリネは青い髪を乱して、一層疲れた様子でカウンターに肘をついていた。
「ボクも、詳しい事情は分かってませんよ。グリエがここまであなたを運んできて、看てほしいって」
「それじゃ、そのグリエは?」
「故あって待機させてます」
相変わらず、体温を感じさせない声でシュウウが答えた。
しばし、沈黙が続いた。話をしながら、セージは自分の体の具合を確かめていた。傷はない。手足も正しく動く。痛みもすっかりなくなっていた。
「そうか、思い出してきたぞ。ブルギニョンが俺を傷つけて指輪を奪ったんだ」
「なんで自分が知ってるはずのことを人に聞くんです?」
「人に情報をしゃべらせると安心するのでしょう」
「寝起きでぼーっとしてたんだ」
二人の呆れたような視線を受け流しながら、セージは腕を組んだ。
(つまり、グリエが俺をここまで運んだってことか。そして、指輪はブルギニョンが持っている……)
セージが考えたのと同じことを、マリネも数テンポ遅れて思い至ったらしい。
「って、それどころじゃないですよ。ブルギニョンって、あの冒険者ギルド長の? 議長のブルギニョン氏ですか?」
その口調はどことなくぼんやりしていた。
「そうだ。『王の指輪』を見て、目の色を変えて俺を捕まえようとしたんだ。様子がおかしかった」
セージの頭の中で、ちりちりと火花が飛んでいた。どう考えても妙だ。その妙な出来事をきちんと考えれば、何か、重要なことを閃きそうな予感がしていた。
「ブルギニョンてのは、どういうやつなんだ?」
だから、足りない情報を得ることにした。
「冒険者ギルドを興し、組織化した功労者と聞いています」
「お前も詳しくないのか?」
シュウウはブルギニョンと同じく、この街を統治する議会の一員のはずだ。だから、彼女に聞けばいくらかは情報を聞き出せると思っていたのである。
「私がこの街の学院へやってきたのは、十年ほど前のことですから。冒険者ギルドが作られたのは、五十年以上前と聞いています」
シュウウはまっすぐセージに目をまっすぐに向けていた。リザドが人と話をするときには、みんなそうするのかもしれない。
「グリエも言っていたな。冒険者ギルドをやつが作ったって。それで、組織化された冒険者たちが俺の宮殿を根こそぎ掘り返してたわけだ」
「森の遺跡からは、貴重な道具や知識がたくさん見つかりました。いまのボクたちの暮らしになくてはならないものもたくさんあります」
マリネにとっては古い道具は研究の対象であり商売の種だが、それを作った本人を前にすると、やはりそれなりに言い訳をしたくもなるようだ。
「向学心はたいへん結構なことだ。俺が封印されてなきゃ、もっといい暮らしができてたはずだがな」
「奴隷としての生活でしょう」
シュウウの口調は、ふだんよりもずっと鋭い。マリネは師の意外な態度に驚いて顔を上げていた。
「そうだ。でも、こんな非文明的な街より安全で清潔に暮らせていた」
「もしもの話をするのはおやめなさい。あなたも、この時代を生きていくしかないのですよ」
「ああ、ええと、今は議論している場合では……」
ふたりの間に視線を行き来させて、マリネは明らかに困惑している。
だが、セージが気にしていたのはまったく別のことだった。
「ったく、カルダモンが余計なことしなけりゃ……」
あぐらをかいて頬杖をつき、セージは毒づいた。
(カルダモン……?)
その時、頭のなかに散っていた火花が、ぱっと弾けた。ある考えが閃いたのだ。妖精は目を見開いて、その可能性に関する検討をはじめた。
「……五王国はどうやって滅びた?」
急な質問に、シュウウとマリネは顔を見合わせた。やがて、シュウウが小さく答える。
「さまざまな説があります。はっきりしたことは分かっていません」
「確かなことだけでいい」
シュウウはカップを一度傾けてから、じっと妖精の姿を見つめた。
「四つの王国が共同して、エルフの国を攻めました。その後、何らかの理由でのこりの四王国も激しい争いを始め、争いの中で滅んでいきました」
「そうか……」
セージは腕を組み、物思いにふけるように目を閉じた。
「だいたい、わかったぞ」
「何がですか?」
いまの質問と何がつながっているのかわからない、という様子で、マリネが首をかしげる。
「ずっと考えてた。従順が取り柄のしっぽ族がどうやってこんなふうに自分たちで街をつくったのか。他の種族ならともかく、しっぽ族が自治なんて」
「ボクたちにも自主性くらいあります。セージさんの時代から五百年以上たってるんですよ」
「そうなんだろう」
マリネの抗議は軽く聞き流した。それが主題ではないからだ。
「でも、自分たちの力がすべてだと思ってるなら、たぶん勘違いだ」
「何を言いたいのですか?」
「この街はいまも支配されてる。たぶん、昔からずっと」
「ここは自治都市です。しっぽ族を見下すのはやめてください」
マリネの声にも、抑えきれない怒りがにじみはじめている。だが、セージはそれ以上の確信を持っていた。
「いや、だれも気づいていないくらい最初から、そいつはいたんだ。この街をお前たちの先祖が作ったころから、ずっと」
「誰によって?」
妖精は頭を掻いて、どう表現すればいいかを考えた。そして、ゆっくりと告げた。
「エルフだ」
🌳
夜明けが近い。
パステシュの街の東には、かつてエルフの王国が栄えた森がある。パステシュを囲む壁の向こうに広がる木々の間から太陽が登ってくる。それを眺めるのは、ムニエルの毎朝の楽しみだった。
夜明けとともに冒険者ギルドの会館に向かい、受付に座って一日を過ごす。毎日ぴったり同じように暮らしている。
闇が徐々に藍色に透けはじめ、グラデーションがかったオレンジに染まっていく。早朝の人のいない大通りを歩いていると、その様子がよく見える。街の建物は低いから、景色を遮るものはなかった。
昨晩は、ギルド長とグリエの間で軽いいさかいがあったようだ。ムニエルは、あの部屋で何があったのかをよくは知らされていない。
(ギルド長はもうお年なのに、元気すぎるのは困りものだ)
その程度に受け止めていた。下から上への報告は綿密に行うが、ブルギニョンが伝える必要がないと思ったのであれば、自分が聞いても対処しようのないことだったに違いない。
しかし、グリエは若い。もしかしたら、彼女が傷つくようなことがあったのかもしれない。
(次に会った時には何かフォローをした方がいいかもしれない)
グリエは強い力を持っているが、不安定だ。彼女と数時間過ごせばほとんどの人はそういった印象を受けるだろうし、ムニエルもまったくその通りに受け取っていた。
ギルドの問題ではないだろうが、彼女が気に病むような何かがあったのならば、少々気に掛ける必要はあるだろう。長いイタチの尻尾を揺ら、空を眺めながら考えていた。彼は、それほど特別なしっぽ族ではなかった。自ら望んで平凡に生きている。おおむね、それが彼の満足につながっていた。
やがてオレンジが彼の頭上にまで押しやられ、パステシュを囲む石壁と、その上にわずかに覗く森の木々の間から白い光が昇ろうとしていた。木々のシルエットがちくちくした地平線として映し出され、やがて太陽が顔を出す。
「……妙だな?」
見慣れた森の中の中に、妙な気配があるように感じた。
いくつもの木々が黒々とした影となっている。いつもの見慣れた景色のはずだが、その奥に、何か途方もないものがいるように思えた。自分の命が危険にさらされているときのあの感覚。森の奥、いや地の底から、傲慢で荒々しい獣がこちらを睥睨しているかのようだ。
心胆に冷たいものを感じて、ムニエルは歩を進めた。ギルド会館はもう目の前だ。
ギルド会館で寝泊まりしているのは、ギルド長であるブルギニョンだけだ。ときおり宿の当てがない冒険者が床で寝ることもあるが、今日はそうではなかった。ムニエルは駆け出したい気持ちを抑えて階段を上り、ブルギニョンの私室の戸を叩いた。
「ギルド長、起きてください。何かが妙です。森の方から……」
だが、ノックに対する返事がない。いつもならすでに起きているころあいだ。やむなく、ムニエルは扉を開けてみた。
部屋のなかに、ブルギニョンの姿はなかった。
言い知れぬ不安が、ムニエルの全身に広がった。
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