第16話 妖精の夢
夢を見ていた。
セージの体は薄緑の粒子に包まれていた。それはセージ自身の体に宿った魔力だ。右手に着けた指輪に集まり、そして流れ出していく。砂時計の砂のように、ゆっくりと、少しずつ。
(これは、俺の記憶だ)
意識のどこかがそう感じていた。像の中に封印されている間のことに違いない。
像のなかに封じられた間、セージの意識はひどく薄く、ぼんやりとした状態だった。強靭な精神力をもってしても、つよく集中しないとものを考えることができないほど。そのせいで、封印が解けた後には忘れていたのだ。
その記憶のカギが、何かの拍子に開いたのだろう。
(ってことは、俺は今、眠らされてるってことか。ちくしょう、酩酊する薬でも飲まされてるのか)
実際には、マリネの調合した薬の影響だった……フェアリーの体が小さいせいで、少々効き目が大きすぎたのだ。そのことをセージが知るのは少しあとのことになる。
とにかく、夢のなかで自分の記憶に入り込んでいた。五百年以上の時間が薄く引き伸ばされた記憶である。
実際にどういう状態になっていたのかはわからない。魔力によって作られた広大な空間の中を漂っていたような気もするし、目に見えない鎖が全身をからめ取っているようにも思えた。確かなのは、像がセージを封印しようとするその力が、セージの魔力を利用して作られていることだ。
複雑な魔法の理論は置いておくとしても、セージをして感服させるほどよくできた魔道具だ。封印している本人にその封印を維持させるための魔力を消耗させる。いつか、魔力を使い果たしたら、抜け殻になった体が解放されていたのだろう。
だが、セージェリオンは大陸一の魔法使いだった。
常人なら思考することさえ難しい封印のなかで、内側からその仕組みを考え、呪縛から逃れる方法に思いを巡らせた。すぐに、封印が指輪に反応しているらしいことが分かった。
(あの指輪は、エルフの王の指輪だ。あれを着けている限り、エルフの魔法は俺には通用しない……)
そのはずだった。だが、カルダモンはそれを逆に利用したに違いない。セージが確立した魔法理論のどこかにほころびを見つけ、王の指輪の持ち主だけに通用する魔道具を作ったのだ。
そこで、指輪を外すことにした。そうは言っても、自分の肉体を知覚することさえできない状態だったから、身動きもできなかった。だから、別の方法を使った。
変身だ。
自分の体をずっと小さなフェアリーに変えれば、指輪が外れるに違いない。肉体の自由は利かなかったが、意識を働かせ、魔力を感じることができた。フェアリーに変身する魔法など考えたこともなかったから、意識のなかだけでその呪文を作り上げた。そのために、百年以上の時間を使ったに違いない。
魔力が奪われきる前に、セージは呪文を唱えた。果たして、それは成功した。像の中にある魔法的空間のなかでセージの体はエルフの形を失ってフェアリーへと変わり、指輪は主の指から離れた。
指輪を外せば、魔力の供給を失って封印が解けるだろうとセージは期待したが、カルダモンの魔法は想像よりも強固に作られていた。魔力を失っても封印は続いたのだ。ただし、その封印が脆くなっていたのも確かだ。時間とともにほころび、髪の毛一本が通るほどの小さな穴が生まれたに違いない。
(それを、グリエが見つけたわけだ)
自然に封印が解けるのを待っていたら、さらに五百年はかかっていたかもしれない。
自分がフェアリーになった経緯を思い出したとはいえ、もうろうとした意識のなかでくみ上げた変身術は解くことを想定していない、不可逆なものだった。エルフの王国が残っていれば、臣下たちに命じて解かせることもできただろうに。
けっきょく、元の姿に戻る方法は新しく探すしかなさそうだ。
(しかし、俺の精神力と修行の賜物とはいえ、夢のなかでもはっきり意識があるのは不便なこともあるな)
自分の体がいまどんな状態になっているのかわからないのだ。多少の不安もあったが、ブルギニョンにとどめを刺されていないことには少なからず安心した。
(目が覚めたらどう罵ってやるか、考えておかないとな)
🌳
「あの時、彼は幻影術を使っていました。あなたにはわからないように。そして、自分の体ひとつぶん、高い位置にいるように見せかけていたのです」
シュウウはその様子をつぶさに観察していた。フェアリーの身長一つ分は、ごくわずかな差だが、セージはグリエの二度目の挑戦を見ていた。二度目と同じ結果ならば自分が傷つかない位置を的確に選んでいたのだ。
「確かに、セージは幻影術を使っていました。でも、それはごく小さい効果だけです」
「自分のいる場所をほんのわずかにずらして見せるだけです。それも、短時間だけ」
グリエは目を伏せた。シュウウの言うことが事実なら、セージは口では命をかけていると言いながら、実際には安全な場所を見定めていたと言える。
「そ、それってそんなに悪いことじゃないかも。あたしにやる気を出させようとしたわけだし……」
「結果的には、そうです。しかし、私の生徒を騙そうとした」
「あたしはかまいません。見破れなかったあたしが未熟なんです」
「自分の命をかけているとあなたに思い込ませて、あなたの意思を操ろうとしていました。これまでにも、似たようなことがあったのではないですか。魔法を使わずとも、言葉や都合のいい理屈を使って、あなたが自分で決断する機会を奪い、彼に従うように示していたと思えませんか?」
シュウウの纏う静けさが部屋じゅうに広がって、しんと音が止まった。
グリエは今までのことを思い返していた。セージと出会ってからのことを。
『冒険者のグリエさんはまた俺たちの家を漁りに行くのか?』……罪悪感を植え付けられたのは確かだ。
『今の言葉、忘れるなよ』……マリネもそうやって、責任を利用されていた。
『俺が力を取り戻すまでは協力させてやる』……そう決めたのはセージだ。なのに、自分で決めたつもりになっていた。
彼と出会ってから、自分で何かを決めたことがどれだけあっただろう。なにもかも、自分の意思だと思い込んでいたのに、こうして指摘されると、何も決めていないような気もする。
そもそも、言葉だけで他人の決断を決めさせることができるだろうか。
(できる気がする。セージなら……そして、相手があたしなら)
マリネやラビオリならどうだっただろう。こんなに早く、簡単には決断していなかったかも。
いや、相手がセージだからなんだろうか?
グリエは急に自信がなくなってきた。自分の人生でどれだけのことを自分で決めたと言えるだろう。学院から逃げ出した時にも、ブルギニョンに勧められるままに冒険者になった。
「彼があなたにそれほどの悪意を持っていたとは、私も思いません」
シュウウはグリエが考える時間を待っていた。
「しかし、それこそが問題なのです。彼は、あなたを……いえ、あなたたちを……いえ、他のすべてを、自分の思うがままに操って当然だと思っている。エルフの王の傲慢さは、姿を変えても伝説の通りでした」
シュウウはゆっくりと歩を進めて、生徒の肩に長い指を添えた。
「それでも、見捨てるわけにはいきません。あなたともう一度会わせてくれたのは彼なのですから」
「セージを助けてください。もう一度、話をしないと」
それが本心なのは間違いなかった。セージが死んでしまったら、グリエの疑念を確かめる機会が永遠に失われてしまうのだから。
シュウウはうなずいて、迷いのない足取りで歩きはじめた。
「でも、あなたには心を整理する時間が必要です」
「あたしは……」
師はすでに扉に手をかけていた。グリエは動けないままだった。
「ここにいなさい。迷うなら、行動すべきではない」
シュウウが扉を閉めた。カギもかかっていないその扉が、やけに重く見えた。
部屋の主がいなくなって、ますます部屋は静けさを増す。耳が痛くなるほどの静寂のなかで、グリエはどことも知れない虚空を見上げた。まだ出会ってからほんの一日しか経っていないのに、そこに妖精がいないことがいやに不自然なように感じた。
「どうしよう」
うまく呼吸ができない。吸いこもうとした空気と、吐き出そうとした空気が、喉の下でぶつかっているみたいだった。
「あたし、セージと会う前はどうやって考えてたのか忘れちゃった」
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