第15話 グリエが走る
セージをできるだけ揺らさないようにしっかりと腕の間に抱きしめている。妖精の呼吸はすぐ近くにいても感じられないほどか細く、いまにも潰えてしまうんじゃないかとおもえた。
頼れる人はあまり多くなかった。実のところグリエはこの街の外の生まれで、顔見知りもあまり多くはない。接点のない相手と仲良くなれるほど器用ではなかったから。
だから、最初に思い浮んだ場所へまっすぐに走っていった。
「マリネ!」
古道具屋の中に駆けこんだ。マリネはカウンターの奥にある小部屋(本当に小部屋)で眠っているところだった。彼女もまた疲れ切っていた。
「グリエ? また明日にして……」
寝ぼけ眼で告げるマリネだが、グリエの切羽詰った表情で何事かを察したらしい。かぶっていた毛布をはねのける。
「どうしたの?」
「セージが……」
グリエの胸に抱かれたセージの姿を見て、マリネは一瞬、目を見開いて動きを止めた。考えが停止しそうになるのを首を振って振り切り、彼女はすぐに行動に移った。自分が使っていた毛布をカウンターの上に広げる。グリエはそのうえに、そっとセージの体を寝かせた。
「う……く……」
妖精は苦しげにうめいていた。しっぽ族とは体の構造はだいぶ違うらしい……血を流したり、汗をかいたりはしていなかった。だが背中の翅は弱弱しく透けて、今にも破れそうになっている。
「なにかフェアリーを治せるような道具はない?」
一縷の望みをかけて、グリエは聞いた。使い道の怪しい古道具にも、もしかしたら役に立つものがあるかもしれない。
「そんなのわかんないよ。普通のケガに効く薬を作ってみるけど、どれだけ効果があるか……」
セージを寝かせた傍らで、マリネはすり鉢や蒸留器を並べていく。それから、いくつかの薬草が詰まった袋のなかを吟味し始めた。
(マリネはすごいな。あたしより、ずっと頼りになる)
グリエには薬学の知識はない。学院で薬学課程を修めていないし、一年前はそれを学ぶ段階にまだ達していなかった。
彼女にできることは、ただセージのそばにいることだけだ。
「セージ、もうすぐマリネが助けてくれるからね」
かすかな呼吸をつづけるセージの髪を、そっと指で整える。それだけのことでも、何かしてあげないと自分の息がつまりそうだった。
そして、ようやく安静にさせたことで気づいたことがあった。ぐったりと体を横たえているセージは、うわごとのように何かをつぶやいていた。グリエが耳を近づけて、ようやく聞き取れるような妖精のつぶやき。
「……カルダモン……」
「カルダモン?」
確かに、どこかで聞いた気がする。でも、とっさには思い出せなかった。
「どうしたの?」
すり鉢で薬草をつぶしながら、マリネが不思議そうな顔でこっちを見ていた。グリエは怪訝に眉を顰めながら、ぐるぐると忙しい頭をまとめようと、くせっ毛を掻いていた。
「セージが言ってる。カルダモンって。聞き覚えない?」
「ない……と思う。エルフの言葉かな」
「そうかも。シュウウ先生ならわかるのに……」
今や、グリエは頭を掻きむしるだけでなく、狭い古道具屋のなかをぐるぐると歩き回っていた。自分の頭のなかで起きていることをまとめきれず、考えるよりも先に言葉になって口から出てくる始末だ。
「そうだ、シュウウ先生!」
ぱっと、頭のなかで花火が閃いたみたいだった。それぐらい、いいアイデアに思えたのだ。
「先生ならエルフ語もわかるし、フェアリーの体についても詳しいかも。あたし、先生に会いに行ってくる」
「こんな夜に?」
「緊急事態だから!」
いてもたってもいられない。グリエは思いつくが早いか、マリネの道具屋を飛び出していった。
マリネはその背中に何か声をかけようとしたが、とっさのことで何も言えなかった。
「グリエ……」
セージのことはもちろん心配だ。フェアリーのケガの程度がわからないし、自分の薬が効くのかも分からない。自分たちが復活させたエルフの王が、こんなに短い時間で息を引き取ったら、どれくらいの損失なのか想像もつかない。
でも、それ以上にマリネは友人であるしっぽ族を心配していた。
明らかに、グリエは焦っている。落ち着きがなく、視野が狭くなっているように思えた……そして、彼女のそんな姿を、マリネは何度となく見てきた。そのたび、グリエは大小の失敗を経験していた。失敗の大きさに関わらず、グリエはいつもひどく落ち込む。「大したことじゃない」とか「もう済んだことだから」とか、マリネがいくら言っても、数日は回復しない。
そんなことが積もり積もって、グリエはあるとき学院を去ったのだ。
「ううん、大丈夫」
自分に言い聞かせて、マリネは手元に視線を落とした。グリエが向かった先こそその学院なのだ。過去を乗り越えて、彼女も成長してくれるはず。
そう信じるしかなかった。
🌳
グリエが走る。
学院の門はすでに閉められていたが、無理やりに乗り越えた。学院は夜にも人が居る。何度か止められそうになったが、さいわいグリエは学院では有名だったし、今日彼女が学院でしたことは噂になっていたから、「シュウウに会いたい」と伝えれば、尋常の事態ではないことを察してもらえた。
学長室は中央の棟の4階だ。息を切らしながら、ひたすら駆け上った。
夜にもかかわらず、あごからしたたるほどに汗をかいている。しっぽ族は上下の移動に慣れていないから、学長室の扉をノックする頃には、足がぴくぴくと震えていた。
「先生、グリエです。お願いがあってきました」
一呼吸の間があって、扉の向こうから返事があった。
「入りなさい」
息をのんで扉を開いた。生徒がここに立ち入ることはめったにない。とはいえ、特別な部屋ではなかった。シュウウは執務机に座って、まっすぐにグリエが入ってきた扉に向き合っていた。
シュウウと向き合うと、緊張と焦燥が喉元につっかえた。昼に会ったばかりだが、その時よりもずっと居づらく感じた。何が違うのかはとっさにはわからなかったが、グリエは今、ひとりだった。
「ご、ごめんなさい、夜遅くに」
「私は寝る時間が短いですから、構いません」
何かを書き記していたらしい手をその場にとどめたまま、シュウウは静かに言葉を続ける。
「願いというのは?」
何か声を発しても、シュウウに届く前に消えてしまいそうな静けさをグリエは感じていた。本人を前にすると、身勝手なことを頼みに来たんじゃないかという思いが急にこみ上げてきたのだ。それでも、苦しげにうめくセージの姿が脳裏に浮かんだ。
「あたしの友だちがケガをして、苦しんでいます。先生なら、治癒術を使って助けられると思って……」
「友だちというのは、あのフェアリーですか?」
「そうです。セージを助けてください」
「彼はいま、どこに?」
「マリネの店です。いまは、マリネが診てくれています」
「あなたの頼みを聞くことは、やぶさかではありません。ただ……」
シュウウの口調はゆっくりとした落ち着いたものだった。グリエを見定めているように。
「ただ、なんですか?」
「以前にも言った通りです。あなたが自分の意思で考えて決めたことなら、私は尊重します」
「あたしの意思です。あたしは、セージを助けたいんです」
「すべて自分で下した決断だと自信を持って言えますか?」
その質問は、グリエにはあまりにも唐突で不思議に聞こえた。なんでそんなことを聞くのだろう? 混乱したグリエが口を閉ざすと、師はようやくペンを置いて立ち上がった。
「昼に私があなたに課した試験をおぼえていますね?」
「も、もちろんです。あの時も、セージのおかげで火をつけることができました。セージはあたしが火を制御できるって信じて、命がけでロウソクの前に」
燭台の明かりが、リザドの顔を照らしていた。ウロコが作る薄い陰影のなかで、黒い瞳は深い闇のようにグリエを見つめていた。
「彼は命をかけてなどいません。あなたにそう思わせただけです」
「そんなことありません、あたしが火の威力をしぼれなかったら、セージも巻き込まれていました」
「いいえ、グリエ」
シュウウは断固とした口調を保っている。グリエは尻尾が逆立って、何かとてもイヤなことを言われる予感に身をすくませた。
「幻影術です。ロウソクのすぐそばにいるように魔法で見せていただけです」
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