第9話 ロウソクの試練
学院には中庭がある。
ドーム状の天井の下に砂が敷き詰められていて、誰かが声を上げると何度も反響するような作りになっている。
いま、グリエはその中央にいた。噂を聞きつけて集まってきたのだろう、若い生徒たちが中庭を囲むように眺めている。
グリエはここではちょっとした有名人らしい。その名前をささやきあうような声が聞こえてくる。
「では、グリエ。あなたの魔法を試験しましょう」
シュウウはゆったりとした足取りで、背の高い燭台を三本、等間隔に並べて立てた。それぞれの上に白いロウソクが一つずつ。
グリエから見て十歩ほどの距離だ。火のついていないロウソクが三つ。
「確認するぞ。グリエがその試験とやらに合格したら、あんたは俺たちに像を渡す。失敗したらどうなる?」
「彼女にはこの学院にもどって、真面目に勉強してもらいます」
「セージを助ける使命は?」
食い下がることをあきらめていない様子で、グリエが問う。
「これがこなせないようなら、使命を果たすには力が足りなかったということです」
「運命だとか使命だとかを本当に信じてるのかよ?」
セージは皮肉のつもりで言ったのだが、学長のリザドは真面目にうなずいた。
「使命があればこそ、自分を認められるのです」
「ったく……グリエ、さっさと終わらせろ」
「うう」
気が進まない様子で、グリエは三本並んだ燭台へ向き合った。鉤尻尾が力なく垂れている。
「三本のロウソクのうち、真ん中の一つだけに火を着けなさい。それができれば試験は合格です」
告げて、シュウウが燭台から距離を取る。身を乗り出す生徒たちに、手つきで下がるように命じている。
「挑戦の機会は三度まで。三回でできなければ、不合格です」
「なんだ、簡単じゃねえか。『強火のグリエ』なんだろ?」
気軽な調子で、セージはグリエの肩をたたいた。少なくとも、魔力を失う前の、エルフであったころのセージなら朝飯前、どころか眠りながらでもこなせそうな試験に思えた。
「そ、そうだよ。あたしならできる……!」
つぶやいて、赤髪のしっぽ族は自分自身の言葉を反芻した。
「落ち着いて……余計なことは考えない……」
「声に出てるぞ」
集中しようとするグリエ。セージは思わずつぶやいたが、中庭を囲んでいる生徒たちは固唾をのんで見守っていた。
「……よし」
胸の高さで両手を突き出す。そして、グリエは自分が使える唯一の魔法を唱えた。
「《イグナイト》!」
途端、グリエの両手から逆巻く炎が噴き出した。炎は放射状に広がり、天井に届くほどに燃え上がる。
グリエは真ん中のロウソクだけを狙ったつもりだったが、炎は三つのロウソクすべてを巻き込んでいた。いや、それどころか、燭台もほぼ包んでいた。強すぎる火力でロウソクは一瞬にして溶けてなくなり、見守っていた生徒たちまで熱風に包まれた。セージからは見えなかったが、シュウウが何かの魔法で彼らを守ったのだろう。
広い中庭を真っ赤に染めた炎は数秒でおさまり、ドーム内の気温を明らかに何度か高めた。
冷やかしのつもりで見に来ていた生徒たちは冷や汗を浮かべ、たった今見たものが信じられない、というようにお互いを見合っていた。
「なんだ、今の……」
「すっげぇ……」
「すごいはすごいけど……」
猛烈な炎の勢いにあっけにとられている。
シュウウの表情は、相変わらずよくわからなかった。じっとグリエを見つめていた。
そのグリエは表情をこわばらせて、両手を前に突き出したまま固まっていた。
「……おい」
ぼそりと、セージがうめいた。
「『強火のグリエ』って、『強火しか出せない』って意味かよ! なんでロウソクに火をつけるだけであんなに力を込めるんだ!」
「だ、だって仕方ないじゃん! あたしがやるとこうなっちゃうの!」
「どぉーするんだよ! お前のせいで俺が元にもどれなかったら!」
「そ、その時はあたしの学院生活に付き合って」
「嫌に決まってんだろ! こんなバカの面倒を見るくらいなら、ラビオリの鳥かごに入ったほうがマシだ!」
「またバカって言った! あたしは火を噴いただけなのに!」
「火噴きしか芸がないくせに、それもまともにできないからだろーが!」
グリエの髪を引っ張って怒りを表現するセージ。グリエは目もとに涙を浮かべながら、それを引きはがそうとしていた。
「二人とも、機会はあと二度ですよ」
シュウウが鼻から息を漏らすように声をかける。いつの間にか(もちろんふたりがケンカしている間に決まっているが)新しいロウソクを燭台に置いている。
「二度……」
「まだ二度あると思うな。一回で決めろ」
「緊張するようなこと言わないでよ」
三つ並んだロウソクを見つめながら、グリエは自分を呪っていた。発火術の制御は、彼女が学院で何度も学んだことだった。
シュウウは粘り強くグリエに発火術の押さえ方を語って聞かせ、鍛錬にも何度も付き合ってくれていた。だが、グリエの魔力は成長し続けていた。
毎日少しずつ、グリエの体のなかに燃える火は大きくなっていく。なのに、グリエの心はいつまでもその火に見合うことはなかった。
今だって、必死に抑えたつもりだった。なのに、シュウウを傷つけかねないほどの火が溢れてしまったのだ。
グリエの生活は、いつもこの熱と共にあった。胸の奥、横隔膜の上あたりで、自分にしか感じられない炎が燃え続けていた。それを押さえつけておくには、自分を律し続ける必要があった。その方法を教えてくれたのはシュウウであり、その教えがなければとっくに炎はグリエからあふれていたに違いない。その時に何が起きるのかは、考えたくもない。
「そうか、わかったぞ」
考え込んでいるうちに暗く沈みかけていたところで、セージの声が聞こえた。
「自信がなくなったんだろ。ここでどれだけ学んでも、発火術の扱いをおぼえられなかったらどうしようって」
「そんなこと……!」
グリエはわずかな怒りと、それ以上の焦りを顔に浮かべていた。
「そうだよな。必死に頑張っても、結果が実らなかったら何もかもムダだ。それなら、訓練を続けるより遊んで暮らした方がずっといい。どうせいつか何かをしでかすんなら、借金も賭博も大したことじゃない」
「セージ、やめて」
「努力を無駄にするくらいなら、ヤケを起こして自堕落になるほうがずっといい。それなら、最後の瞬間にこう思える。『ああ、やっぱり』ってな」
「セージ!」
グリエは思わず拳を握りしめていた。それを目のまえの小さな妖精に向けようとしていたことに気づいて、ぎゅっと目を瞑る。
「でも、いいか、もうお前だけの問題じゃない。お前があのロウソクに火をつけられるかってだけのことが、この俺の問題でもある」
荒くなった息を必死に整えながら、グリエはセージを見つめていた。
いったい、彼は何を言おうとしているんだろう?
「俺は大天才だから、お前が言い訳する余地をなくしてやる。よく聞け……」
金の髪をなびかせて、妖精はまっすぐに真ん中のロウソクを見つめた。
「炎は本来、制御できるようなものじゃない。だから、炎を支配できるなんて考えるな」
「ど、どういうこと?」
怒りが高まったぶん、グリエの頭は急速に冷まされていた。急に、視界が広くなったような気がする。
「お前が炎の一部になるんだ。炎があのロウソクに着こうとしていて、それをお前が手助けしてやるんだとイメージしろ」
「炎が……」
自分の胸のなかに燃える炎は、ただそこにあるだけだと思っていた。それがどこかに向かおうとしているなんて考えたこともなかった。
「……よし」
グリエは指を一本立てて、まっすぐにロウソクを指さした。鷹のように目を鋭くして、広がった視界をその一点に集中する。
「《イグナイト》!」
グリエの指先からほとばしる炎は獲物に襲い掛かるヘビのように、ロウソクに向かった。
「やった……!?」
だが、それでもなお、炎の勢いは強すぎた。火をつけるだけにとどまらず、ロウソクの胴に命中し、融解させてしまったのだ。
「ああ……」
誰のものとも知れない悲嘆が聞こえた。
「ずっとよくなりましたが、残念でしたね」
「ま、まだ! もう一回、チャンスはあるはず!」
食らいつくグリエに、シュウウは目を細めてうなずいた。
「よろしい。次はもっと鋭い発火を」
そう言って、懐からロウソクを取り出した。
「待て!」
燭台にロウソクを据えようとするリザドを、セージが制止した。
「セージ?」
「俺に秘策がある」
妖精はにやりと笑った。
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