第8話 学院

 学院、と呼ばれる場合、それは建物のことでもあり、組織のことでもある。

 パステシュの街には、同じような機関は他に存在しない。だから、他の呼び名はなく、『学院』と呼ぶ。

 街のなかで最も大きな建物は議事堂だが、最も高い建物は学院だ。四つの棟に囲まれた、中央の棟は四階建てだ。


 セージとグリエはいま、その棟の三階にいた。長机と椅子が四つあるだけの狭い部屋だ。

「四ってのは、何か意味があるのか?」

 天井近くを漂いながら、セージは待ち人が現れるのを待つ間の時間つぶしに聞いてみた。


「四は理性の数字でしょ。ひとは計画して四角いものを作るから」

 グリエは足をぶらぶらさせながら、コンコン、とテーブルを叩いてみせた。その四角いテーブルが答えだ、というように。


「ふうん」

 セージは気のない返事をした。

 グリエの説明はまるで腑に落ちなかったが、彼女に詳しく聞いて答えが引き出せるような気がしなかった。おそらく、もっと説明すべきことを彼女は省いて話している。

 だが、それをわざわざ問いただすほどの興味はなかった。あくまで時間つぶしだ。


「緊張してるのか?」

 代わりに、別のことを聞くことにした。頭を下にしながら見ると、グリエが逆さまになったように見える。翅を使って飛ぶことにも、ずいぶん慣れてきた。


「ど、どうして?」

「ソワソワして落ち着いてない」

「あたしに落ち着きがないのはいつものことだよ」

「自分で言うのは相当だぞ」

 セージが思わず閉口する。必然的に、部屋の中には沈黙が訪れた。


「……あたしね」

 先に沈黙に耐えられなくなったのはグリエだった。セージは首を軽く振って続きを促した。

「まだここの生徒なんだ。寮にはあたしのベッドがあって、いつでも使っていいことになってる」


「じゃあ、なんでわざわざカネのかかる宿を使うんだ?」

「居づらくて」

 セージはまた口を閉じた。グリエはテーブルの上に視線をさまよわせていた。そこに、次にいうべき言葉が転がっているか探しているかのように。


「ほとんどの生徒は十歳までに学院に入って、十五歳か十六歳までに基本課程を終わらせる。ラビオリやマリネみたいに」

「二人とも魔法使いだな。ここでは魔法を教えてるのか」

「魔法とか、他のいろいろを」

 それから、グリエは不安そうに自分のカギ尻尾をつかみ、指でその毛を整えはじめた。


「でも、あたしはまだ十三歳の課程を終わらせてない」

「お前の歳は?」

「十五歳」

「二年遅れか」

「ううっ。言いにくいことをズバッと」

 細い肩をますます狭めるグリエを見おろしながら、セージはまた鼻を鳴らした。


「ふうん」

「あたしにとっては深刻な問題なの」

 妖精の軽々しい反応が不満らしく、しっぽ族は頬を膨らませた。


「ひとがみんな同じなわけじゃない。遅れるやつくらい、他にもいるだろ」

「何も言わずに姿を消したのは、彼女だけです」

 新しい声が話に混じった。低くしわがれている、女性の声だ。


 小さな扉をくぐって、いつの間にかひとが現れていた。ウロコに覆われた肌は、濃い緑と薄い緑が縞になっている。

 彼女(おそらくそうだろう)は、黒メノウのような瞳をきゅっと細めた。


「おかえり、グリエ」

「あう……」

 答えに窮するグリエ。このままではらちが明かない。セージは話を進めるため、彼女の前に進み出た。


「セージェリオンだ」

 ウロコの肌を持つ女性は興味深そうにセージを眺めて、ゆっくり目を閉じた。

「学長のシュウウ。見ての通り、リザドです」


 🌳


「事情は分かりました」

 セージが一通りの説明を終えると、シュウウはしわがれた声でゆっくりとうなずき、オレンジグラスの香りを漂わせる茶を一口飲んだ。


 同じものがグリエにも出されているが、セージに合う大きさのカップはなかった。「次までには用意しておきますよ」と、シュウウは言ったが、それが冗談なのか本気なのか、セージには見分けがつかなかった。


 セージが話している間、グリエは一言も発さなかった。ただ自分の尻尾を膝の上で押さえていた。

「確かに、マリネから魔力のこもった像を預かっています。いい研究資料になりそうなので、私が保管していたところです」


「それは俺を封印するための機能を持っている。他人に渡しておきたくない」

「不安はよくわかりますよ」

 シュウウはウロコの肌をなでて、長い鼻から息を吐いた。


「しかし、我々にとっても貴重な研究対象なのです。『王の指輪』はもともとあなたのもの。あなたが所有権を主張するのは分かります。しかし、像は他のエルフの遺産と同じように扱うべきでは?」

 しわがれた、感情を抑制したような声だ。リザドの中でも、シュウウが特にそういう話し方をするのだろう。


「あれはカルダモンが作ったものだ。どんな力を秘めているか、エルフに詳しいものじゃないとわからない」

 セージにとって、リザドであるシュウウの表情は読みにくい。彼女が何を考えているかは、類推するしかなかった。


 シュウウは静かだった。どこか落ち着きのないしっぽ族とは違って、リザドはその気になればじっと動きを止めて考えることに集中することができる。だから、この交渉には時間がかかった。


「では、交換条件としましょう」

 彼女を説得する方法が見つけられず、セージが非合法な手段を検討し始めた時、シュウウは長い指を立ててひとつの提案をした。


「何をすればいい?」

 学長がほしがるものをセージが持っているとは思えない。何かをやらせるつもりなのはすぐに察せられた。


「あなたが私のためにできることはたくさんあるでしょう。しかし、最も重要なものを優先したい」

「重要なもの?」

 静かな部屋の中で、シュウウの返事を待っている間はひときわ静かに思えた。このリザドは、静かさを服と一緒に纏っているような雰囲気を持っていた。


「グリエ」

「ひゃいっ!」

 黙って話を聞いていたグリエは、突然名前を呼ばれて裏返った声を上げる。

「あなたです。あなたが学院で正しい力の使い方を学んでくれることを、私は望んでいます」


「あたしは、そんな」

「何度も言ったはずです。あなたの力は劣ってなどいません。強すぎるほどなのです」

「本当にぃ?」

 二人の間に(物理的にも)割って入るセージ。自分を置いて話が進もうとしているのがガマンならなかったのだ。


「ええ。学びさえすれば、もっといい魔法使いになれます。そして、彼女のなりたいと思えたものになれるように」

「あたしは、冒険者でいいよ」

「あなたにいくつもの選択肢があり、その中から最良の選択をしたのならば、私は尊重します。しかし、あなたは学院での学びをやめ、そのまま冒険者になって……一年以上も、私の前にあらわれなかった」


「あたしには勉強は向いてなかった。マリネみたいにはできない。でも、冒険ならできる。ブルギニョンがやり方を教えてくれたんだもん」

「自分で下した決断とは思えません。ブルギニョン議長はあなたの発火術師としての腕を知っていて自分の勢力に引き込んだのでは?」

「そんなことない!」

 テーブルを叩いて、グリエは大きく声を上げた。はっとしてから、ゆっくり座りなおす。


「大きな声を出して、ごめんなさい」

「いいえ、議長があなたを助けたのも本当なのでしょう」

 シュウウは静かに座ったまま、続きを促した。


「あたしは、セージを助けたいと思ってる。あの像を見つけた時、きっとこれは使命だって思った。今まで誰も見つけられなかったものを、あたしが見つけたんだもん。他の冒険者が今まで見つけてなかったし、あたしが今も学院で勉強を続けていても見つからなかった。だから、このあたしにしかできないこともあるんだって思えたんです。だからセージのことは、あたしの問題でもあるんです。セージを助けて、彼がもとにもどったら、あたしも自信を持てるようになると思う。だから、途中でやめたくないんです。あたしにも使命があって、それを成し遂げることができたって、信じたいんです」

 グリエは何度も息を吸い込みながら、セージとシュウウの間に視線をさまよわせて、ぽつぽつと言葉を続けた。言い終わるまで、誰もそれを遮らなかった。


 シュウウはその顔を見返して、それから目を閉じて、きっちり十秒、考えるしぐさをした。

「よろしい。それなら、試験をしましょう。あなたがそれに合格したら、像を渡します」


「待てよ、俺の問題にこいつが付き合ってるだけだ。なんで俺の問題をグリエに託さなきゃならないんだ?」

 こらえきれずに飛び出すセージへ、シュウウはしわがれた声でゆっくりと告げる。


「もはやこれはグリエの問題でもあります。自分だけが状況の中心にいるとは、思わないことですね」

 そう言って、シュウウは片目をつぶった。リザドの表情は読みにくい。だがその時はじめて、セージは気づいた。


(こいつ、楽しんでやがる……)

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