第4話 早速のラビオリ

「ごきげんよう、グリエさん」

 その女は、堂々と立っていた。くっきりと伸びた背筋。栗色の髪を編み込み、頭の後ろにまとめている。

 白いシャツにぴたりとしたパンツ。毛の長い馬の尻尾。


「や、やぁラビオリ。元気そうだね」

「あなたこそ。聞きましたよ、マリネさんのところにいいものを持ち込んだとか」

 つかつかと、ラビオリは長い足で近づいてきた。表情には、グリエに対してプレッシャーをかけるような鋭さがあった。


「さすが『早速さっそくのラビオリ』。耳も早いんだね」

「それはどうも。挨拶を済ませたところで、何かおっしゃるべきことがあるのではなくて?」

 二人の視線が交錯する。見えない火花が散るその下で、セージは居心地悪そうに二人の顔を見回した。


「お前、何やったんだよ?」

「大したことじゃないよ、借金があるだけで……」

「ああ、もっとマシなやつが封印を解いてくれればよかったのに」

 わざとらしく嘆きながら、ごろんと横になる。その姿を、奇妙なものを見る目でラビオリが見下ろしていた。


「このトンボさんはどうしましたの?」

「フェアリーだよ」

「エルフだよ」セージは即座に訂正した。

「あたしが保護してるんだ」


 ラビオリの、切れ長な目がテーブルの上の妖精に向けられた。セージはふてぶてしく寝ころんだままだ。


「フェアリーとは珍しいですわね。どうかしら。わたくしに譲ってくれたら、債務を半分にしてあげますよ」

「サイムって?」

「借金のことです!」

 キョトンとするグリエに、いきおい大声で返すラビオリ。


「セージ、すごい評価だよ」

「俺を売っても半分にしかならない金額が気になってきたよ、俺は」

「こんな機会はありませんわよ」


 ラビオリは尻尾を振って、大きく胸を反らした。

 グリエは尻尾を逆立てながら、テーブルの上の妖精をそっとつまみ上げた。


「おい」

 意に沿わずつかまれたセージは抗議のために手首を蹴ったが、ビクともしない。


「セージをどうするの?」

「鳥籠に入れて安全に愛でて差し上げます」

 ストレートに言い放つラビオリ。


 グリエはうんと一度うなずいてから、ラビオリを真っ直ぐ見つめ返した。

「使命は売り渡せない」

「では、出すものをお出しなさい」

 背筋をすらりと伸ばし、ラビオリは片手を突き出した。長い指を拡げて、手のひらを見せる。


 グリエはそれに応じるように、ゆっくりと立ち上がった。


「ラビオリ……」

 セージを胸に抱いて、ふっと微笑む。そして……

 前触れなく、走り出した。


「ごめんね!」

 テーブルを一つ飛び越えて、一直線に宿の出口へ。


「ふぅ……」

 ラビオリは入り口を飛び出すグリエのカギ尻尾が見えなくなっても、あきれた顔でため息をついた。


「逃げられないとわかっているくせに」


 🌳


 砂が敷き詰められた道の上を、グリエがひた走る。


 つかまれたままのセージはバトンよろしく上下に激しく振られている。地面と朝の空とが交互に視界いっぱいに広がった。


「何考えてんだよ、てめーはっ!」

 ガクガク頭を揺さぶられながら、必死に抗議の声をあげる。妖精の小さな体では、しっぽ族の握力に抵抗できないのだ。


「お金がないから仕方ない!」

 こういう時だけハキハキと、少女は声をあげる。


「冒険して俺を見つけたんだろ。他にカネになるものはなかったのかよ?」

 セージの金の髪がバサバサと乱れる。オモチャのように振り回され、せめて両手で頭を押さえて耐え続ける。


「マリネから銀貨五十枚をもらったんだけど……」

 グリエは宿から離れる方へと夢中で走り続けている。朝だ。まだ人通りは多くないが、しっぽ族やオーガとすれ違うたび、彼らは何事かと振り返る。


「使っちゃった」


「何に?」

「みっつの箱からひとつを選んで、中に羽が入っていればお金が倍になるゲームがあってね」

賭博とばくじゃねーか!」


「絶対当たるような気がしたんだもん!」

「三分の一の確率で二倍って、やればやるほど損するようになってんだよ!」

「でも、もし二回連続で当てたら四倍だよ?」

「その発想がもう負けてんだよバカ! 深刻なバカ!」

「ひどぉい!」

 今も体ごと振り回されている。踏んだり蹴ったりだ。


 そして、グリエがある建物の影を通り過ぎて道を曲がろうとした時……

「観念しなさいな」

「ぎゃっ!?」

 目前に、女が立っていた。長身、栗色の髪、馬の尻尾。


 ラビオリだ。


「先回りしたのか?」

 グリエに握られたままのセージは驚いていた。宿からまっすぐに遠ざかっていたのだから、近道を使っても追いつけるわけがない。


「わたくしの疾走術しっそうじゅつから逃げられないと分かっていて、どうして逃げるのです?」

「やってみなくちゃ、可能性はゼロなんだよ」

 グリエは胸を張って、堂々としていた。


「その可能性に負けた経験から学べよ」

「セージは黙ってて!」

「これが黙ってられるか。おいラビオリ、助けてくれ! 俺をこのバカから解放してくれ!」

 バシバシとグリエの手の甲をたたくセージ。もちろん、ダメージを与えた様子はない。


「何さ、昨日はしっぽ族なんか、って言ってたくせに。ラビオリもしっぽ族でしょ」

「その中でもお前はとりわけひでえんだよ! 気品と知性を持て!」

「要求は一つずつにして!」

 人形のような妖精と同レベルでケンカを始めるグリエ。それを眺めて、ラビオリは大きく息をついた。


「相変わらず、ほんとうにお金がないんですわね。ついでに計画性も」

「言ってやれ! もっと言ってやれ!」

 ラビオリは目を閉じて、ゆっくり左右に首を振った。


「そのフェアリーをわたくしに渡せば半分帳消しにしてもいい、と言いましたわね。別のものをさしだせば、もう半分も免除して差し上げます」

「えっ、本当に? どうすればいいの?」

 意外な申し出に、グリエがぱっと瞳を輝かせる。自分に都合のいい時に輝くようだ。


 直後、二、三歩の距離を取っていたはずのラビオリが、目のまえにいた。グリエが気づくよりも早く、その頬に長い指を触れさせている。


 ほんの瞬く間に、まったく違う位置にいる。

「あなたも、わたくしのものになりなさい」


(目にもとまらぬ高速移動……なるほど、疾走術か)

 自分自身の体を素早く、そして軽くする魔法だ。さきほどの先回りも、同じ術を使ったのだろう。グリエより速く走って追い抜き、先回りして待っていたというわけだ。


「そ、それは、ちょっと」

「あなたの財産運用から寝癖直しまで、わたくしが面倒をみてさしあげます」

 つう、とラビオリの指がグリエの頬を撫でる。


「ひやっ……!」

 冷たい指の感触を受け、グリエのしっぽがぶわっと膨らんで逆立った。

「こんなバカがほしいのか?」

 セージは、どことなく蚊帳かやの外にされているのが気に入らない。


「ペットはちょっと欠点があるくらいがいいのです。あなたも、口の悪さをじっくり矯正してあげますわ。うふふふ……」

 ラビオリの目が、セージへと向けられる。ねっとりと絡みつくような、ギラついた瞳。本気で言っていることは疑いようもなかった。


「ぐ、グリエ。なんとかしろ」

「な、なんとかって言われても」

 グリエは脅威を感じた時の猫のように後ずさりしていた。ラビオリは追いかけなかった。いつでも捕まえることができる余裕からだ。


「魔法使いなんだろ。得意の発火術を使えよ」

「でも……」

 周囲に人通りは少ない。グリエとラビオリが騒いでいるから、近づきたがらないのだろう。朝の通りには人々が行きかっているが、彼女らがいる一角だけは避けて通っている。


「この場をなんとかしないと、俺たちまとめてあの女のペットだぞ。お前がちゃんとカネを残しておかなかったせいで!」

「ああもう、わかったよ!」

 半ば自暴自棄に叫んで、グリエは両手を突きだした。掌を上に向けた独特の構えだ。


「街中ではしたないことはおやめなさい。どうせ、わたくしには通用しません」

「一瞬でいい、目をくらませろ」

 ラビオリの言葉がグリエに届くのを遮るように、セージは囁いた。そして、グリエの赤い髪の中に小さな体をもぐりこませていく。


(もうどうにでもなれ!)

 グリエは心の中で叫んでいた。


「《イグナイト》!」

 グリエが呪文を唱えた瞬間、両手の間から炎の壁が噴き出した。


 🌳


 炎はグリエの頭よりも高く、放射状にラビオリとの間に広がっていく。


「呆れた人ですこと」

 グリエと違って、ラビオリには状況を判断する余裕があった。人通りが彼女らを避けていたおかげで、人を巻き込むことはなさそうだ。疾走術を使って、炎が届くよりも先に数歩、後ろへ飛びのけばラビオリ自身にも被害はない。


 燃え上がった炎からは黒煙と火の粉が上がり、視界がさえぎられる。さすがのラビオリも、炎の中に突っ込む気にはならなかった。


「今だ、逃げろ!」

 炎が収まりきる前に、妖精のかん高い声が聞こえた。だが、グリエの足ではラビオリの視界から隠れることはできない。炎が収まってからおいかければいい。


 そのはずだった。


 だが、炎が収まったとき、ラビオリは気づいてしまった。街路樹の一本、大きく広げた枝に火がついている。炎の壁に巻き込まれたのだろう。水分を含んだ幹は無事でも、枝先は熱に耐えきれなかったのだ。


「……まったく!」

 そのまま延焼するかもしれない、と判断してから、ラビオリの行動は早かった。疾走術で街路樹に向けて飛び上がり、腰の裏に隠したナイフを抜いて素早くその枝を切り払う。白刃一閃、ものの数秒で火のついた枝を切りおとした。


「ここまで後先考えないとは、世話がかかりますわね」

 すでにグリエを自分のものにしたつもりである。ラビオリは数度枝を踏みつけて消火してから、もう一言ぶつけてやろうとグリエの姿を探した。


 だが、逃げ出していった方向に目を向けてもグリエの姿は見つからなかった。

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