第3話 それでこれからどうするつもり?

 夜が明けた。


 グリエが使っている宿は、二階に客室があり、一階は食堂になっている。いまふたりは、食堂の片隅にあるテーブルに座っていた。

 正確には、テーブルに座っているのはセージだけで、グリエは椅子に座ってテーブルに向かっていた。


 セージはあぐらをかき、小皿に盛られた木の実を一つずつ拾い上げてかじっていた。リスのようだ、とグリエは思ったけど、口には出さない。


「今日は静かだね」

 代わりに、そう聞いた。目つきの悪いフェアリーは、少し落ち込んでいるように見えた。


「気が付くと五百年以上経ってたって知らされりゃ、落ち込みもするよ」

「知らない場所に来たときは、誰でも困惑するものだよ。あたしも最初にこの街に来たときには……」

「お前に慰めてもらってもうれしくねえよ」


 宿の客は、グリエも含めて十数人。ほとんどがしっぽ族だが、ドワーフやオーガの姿もあった。彼らは、はじめて見る小さな妖精をちらちら眺めている。セージは好奇の視線に晒されることにいらだっていたが、無視に努めている。いちいち気にしていられないからだ。


「お前、家はないのか?」

 グリエに気を使われていることが癪で、セージは話題を変えることにした。まわりの客に聞こえるようにわざとはっきりと。ペットだと思われないようにだ。


「お金がある人は冒険者にはならないよ」

「しっぽ族だもんな」

「お金持ちのしっぽ族だっている」

 グリエはスープにパンを浸しながら妖精をにらんだ。


「冒険者ってのは?」

「セージは知らないか。五百年前から来たんだもんね」

 ぷくく、と口元を押さえて笑う。かぎ尻尾がゆらゆら動いていた。


「この半獣女はんじゅうおんな……」

 殴りかかってやりたいが、力で敵うわけがないから、怒りを飲み込むほかない。


「大陸には五王国の遺跡がたくさんあるでしょ。危険な場所も多いから、その中を調べたり、貴重なアイテムを見つけてくるのが冒険者なんだよ」

「遺跡……か」

 自分が生きていた時代のことをはるか昔のように語られるのは妙な感覚だ。


「あたしみたいな魔法の才能があるしっぽ族は頼られるわけ」

「しっぽ族はひとりにつきひとつの魔法しか使えない。才能とは呼べないだろ」

「エルフから見ればそうかもしれないけど」


 グリエはぐっと身を乗り出して、正面からセージを見つめた。目の高さを同じにしようとすると、ほとんどテーブルにあごを乗せるような格好だ。


「セージはフェアリーでしょ」

「いまは姿が変わってるだけだ」

「昔はもっと魔法を使えたの?」

「あらゆる魔法をな」


 がりがりとクルミをかじり、セージは自分の手を見おろした。

 その手は驚くほど小さかった。手だけではない。自分の体がおそろしく小さく、脆く、弱弱しい。


「あたしと同じで、何かひとつくらいは親和性しんわせいがあるかも」

「お前は何ができるんだ?」

「よくぞ聞いてくれました。あたしは発火術師はっかじゅつし。『強火つよびのグリエ』だよ」

 それが誇りだと示すように、グリエは胸を張ってみせた。


「発火術……炉釜番ろがまばんの子孫か」

 けっきょく気を使われているから、セージは怒らせてやろうというつもりだった。だが、奴隷扱いされたことにグリエは気づかなかった。


「そうかも。わかんない」

「自分の先祖のことがわからないってことはないだろ」

「五王国時代のことは記録がほとんど残ってないんだよ。ずっと昔のことだし、家系図をずっと残してるなんて、よほどの家柄じゃないと」

 しっぽ族は大盛りのスープをスプーンでぐるぐるとかき回していた。セージはそれを止めようかとも思ったが、そこまでしてやる義理はないと思い直した。


「そういうしっぽ族もいるのか?」

「一人は知ってる。あんまり多くはないかな」

 スープ皿をカラにして、グリエはため息をついた。どうやら、あまり思い出したくはない相手なのかもしれない。


「それで、冒険者のグリエさんはまた俺たちの家を漁りに行くのか?」

「人聞きわるいなあ。それじゃあたしが泥棒みたいじゃん」

「事実だろ。俺をどこで見つけたんだ?」

「森の奥にある、樫でできたお城のなかで……」


「『樫の宮殿』か。まさに俺の家だ」

 五百年を経ても、宮殿は偉容を留めているのか、セージは思いをはせた。樫が宮殿の形を保ち続けているのなら、魔力がまだ働いているということだ。

(さすが俺の設計だ)

 と、思うと同時、別の思いが湧き上がってきた。


「それなら、宮殿にはまだ役に立つものが残ってるかもしれない」

 エルフの王国の中心地であった樫の宮殿には、さまざまな魔法の品があった。そのほとんどは、セージが王として作らせたものだ。


(それを使えば、失った力を補えるだろう。元の力を取り戻す手がかりもあるかもしれない。それに、俺がいなくなったあとのエルフたちになにがあったのかを知らないと)

 自分の体に何が起きたのか、まだセージははっきり理解していないのだ。エルフの魔法は、きっとその手がかりになるだろう。


「そっか! セージと一緒なら、冒険がやりやすくなるってことだ!」

 グリエはぱっと表情を明るくして、カギ尻尾をぴんと立てた。

「あん?」

 セージはまだ、彼女の言わんとしたことが理解できていない。


「だって、エルフの王様だったんだもんね。宮殿のどこに何があるか分かってるはずだし、どれに価値があるかもすぐにわかる。他の王国の遺跡でも、同じ時代の知識があればいろいろと役に立つだろうし……」

「待て待て、なんで俺がお前を助けてやらなきゃいけないんだよ?」

「え?」

 今度は、グリエが聞き返した。


「だって、あたしはセージの保護者だよ。助けてあげるんだから、少しくらいは見返りを期待してもいいんじゃない?」

「いつお前が俺の保護者になったんだよ」

「自分の立場が分かってないなー、セージは」

 やれやれ、とグリエは大きく首を振った。セージはイラッとしたが、殴りかかっても勝てないことはわかっていた。


「そんな小さな体でうろついてたら、すぐに死んじゃうよ。猫に襲われるか風に飛ばされるか……」

「だからって、なんでお前が?」

「あたしがセージを見つけたんだもん。あたしにはセージを助ける使命があるってこと」


 グリエは瞳をキラキラ輝かせる。

 セージはがっくりと肩を落とす。


「使命も運命もない。たまたまだ」

「そんなことない。助け合うべきだよ」

 しっぽ族なりの信仰だろうか。グリエは『使命』という言葉に特別なものを感じているらしい。


「俺は大陸一の魔法使いなんだ。誰の助けも必要ない。樫の宮殿に行って、元の力を取り戻す」

 具体的な方法はまだわからないが、とにかく『樫の宮殿』には何かがあるだろう、という確信があった。


「それまではどうするつもり? 一人でたどり着けると思ってるの? 森には獣もたくさんいるのに。その点、あたしにはその宮殿からセージの入ってた像を取ってきた実績がある」

「ちょっとは悪びれろよ」

 赤い髪をさらりとかきあげてみせるグリエに、妖精は思わずうめいた。


(でも、確かにそうだ)

 今の体では、獣に襲われたらひとたまりもない。せめて魔法が使えれば別だが、今のところそれも見込めない。


「わかった。それじゃあ、俺が力を取り戻すまでは協力させてやる」

「えらそうに」

「お前がやりたいって言ったんだろ」

 ふん、と鼻を鳴らして、セージはそっぽを向いた。


(俺から助けを求めるわけにはいかない。しっぽ族なんかに)

 内心、そう思っていた。


 グリエは、少なくともセージが知っているしっぽ族と比べて特別ということはなかった。

 体が丈夫で前向きだが、頭の回転は鈍い。それが、彼の知る限りしっぽ族の基本的な特徴だ。


(言うことをきかせるのは簡単だ)

 セージは笑っていた。ほくそえんでいた。グリエに気づかれないように。体が小さいから弱いと思っているのなら、付け込むのは簡単だ。


(せいぜい利用して使い捨ててやるぜ)

 心の中で嘲笑ちょうしょうされているとも知らず、グリエはニコニコ笑っていた。セージが彼女の言うことに従った、と思っているのだろう。実際にはその逆だ……と、エルフの王は考えていた。


「とにかく、一番の目的はセージが元の姿に戻るってことだね」

 妖精はしっぽ族に向き直り、うなずいた。


「そうだ。そのためにはエルフの道具が必要になる」

「たとえば、どんな?」

「今の俺には魔力がほとんどないから、それ自体に魔力がある方がいい。たとえば……」


 再び、セージは自分の右手を見おろした。かつてはそこにあったものを思い出そうとしたとき……


「ごきげんよう!」

 食堂の入り口から、ひときわ大きな声がした。

 セージは他の客を無視し続けるつもりだったが、彼に向き合っていたグリエは違った。


「ら、ラビオリ……」

 グリエの顔は一瞬にして蒼白に染まっていた。

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