第2話 セージとグリエ
「んん……」
目を覚ました時、最初に目に入ったのは木組みの天井だった。
(樫の宮殿じゃない……)
伐採した木を同じ形に切りそろえて作った天井だ。見慣れない四角い形が、異様に不自然に思えた。エルフは木工をしない。求める形に木を育てるからだ。
「どこだ、ここは」
呟いて、ぎょっとした。自分の声とは思えない、少年のような甲高い声になっていたからだ。
「あ、起きた。ちょっと待っててね……」
女の声が聞こえた。自分の体は、柔らかい布の上に横たえられているらしい。かすみがかかったような頭を押さえて、感覚を取り戻そうとする。
そのとき……
「よ、っと」
その視界いっぱいに、巨大な女の顔が現れた。
「ぎゃっ!?」
悲鳴を上げて後じさる。すぐに背中を壁にぶつけて、またそれに驚いて布の上に這いつくばった。
女はニヤニヤしていた。赤い髪。大きな黒い瞳。血色の良い頬にピンク色の唇。
他に何かするでもなく、ただニヤニヤしていた。
「あたしの言葉、わかる?」
「下位語だな。奴隷の言葉だ」
「なにそれ。あたしは奴隷じゃない」
女の頭の向こうに、ちらちらと動く尻尾が見えた。鉤状に癖のついた猫の尻尾だ。
「しっぽ族か。なんでこんなに大きいんだ?」
しっぽ族には毛皮はない。だが、獣に似た特徴をいくらか備えている。強靱な体に鋭敏な感覚。それから、のんびりした気性などだ。
「そんなに大きいかな? 確かに、ちょっとはおっきくなったかも」
そう言って、しっぽ族の女は自分の胸を軽く持ち上げた。彼女自身の手のひらに収まるには、少し余る、くらいだろう。
体自体の大きさを指摘したのであって、発育の具合など気にも留めていなかったのだが。
そのとき気づいたが、彼女は何も着ていなかった。
「どわっ!?」
驚きのあまり飛び上がった。それは比喩ではなく、背中の魔法の翅がはためいて体を浮き上がらせたのだ。
それで、わかったことがみっつ、いや、よっつあった。
ひとつめは、ここが四角い、机と棚しかない部屋だということ。
ふたつめは、いままで自分が寝ていたのは蔦を編んで作られた籠の中だったこと。
みっつめは、部屋の中には自分と女、二人しかいないこと。
そしてよっつめは、目に映る何もかもが大きいということだ。
「ど、どうなってやがる?」
いや、いつつめがあった。いつの間にか背中に翅が生えて、自分が飛んでいるということだ。
「暴れないでよ、フェアリーさん。友達になろう?」
「ふぇありぃぃぃ?」
裸のまま、しっぽ族の女はじわりと距離を詰めてくる。一瞬のうちに、思考が駆け巡った。
(状況を把握しないと。この体格差だ、力じゃ敵わない。この女は俺に敵意はないらしい。いや、敵意がないと見せかけたがってる。自分の方が強いと思ってるからだ。自分の方が強いと思っているうちは、余裕を見せたがる……そこにつけ込むしかない)
「……鏡か何かあるか?」
「あるよ。ほら、後ろ」
机の上には、手鏡が置かれていた。手鏡の形はしていたが、全身を使って壁に立てかけなければならないほど大きい。
いや、そこに映った自分の姿を見ると、認めざるを得なかった。
まわりが大きくなったのではない。自分が小さくなったのだ。
それも、弱々しいフェアリーの姿に。
「なんっ……だこれは!?」
「大きい声出さないでよ。隣の人に怒られる」
「お前はまず服を着ろ! しっぽ族の裸なんか見たくもない!」
怒りのやり場を失って、思わず地団駄を踏んだ。足が鳴らす音も軽く、頼りない。
「あたしは体を拭いてるところだったの。そっちが勝手に起きたんでしょ!」
「へんっ、お前が大きい声出してるじゃねえか」
「こいつー!」
しっぽ族はきっとにらみつけてきたかと思うと、妖精の眼前に手をつきだし、ぴしっ! とその顔面を弾いた。
「痛ってぇっ!」
小さなフェアリーの体はそれだけで尻餅をついてひっくり返る。その間に、女はショーツを着け、シャツを頭から被るように着た。
「ふふん。いくら見た目がかわいくても、あんまり生意気な口をきくと容赦しないよ」
「てめぇ、それはこっちのセリフだ。優しくしてやろうと思ったが、もう終わりだ」
フェアリーは素早く指を折り、呪文を唱えた。手の形が魔法を補助する。長い詠唱をいくらか省略できるのだ。
「うわ、な、なに、魔法!?」
(風の魔法で吹っ飛ばしてやる。さっきのお返しだ!)
イライラを込めて、叫ぶ。
「《ゲイル》!」
詠唱とともに手をつきだした。……が。
「……あ、あれ?」
そよ風ひとつ起こらない。それどころか、風を操作する感触さえなかった。
「ま、魔力が……ない」
「驚かせてくれちゃって。ほら、遊んでないで事情を聞かせてよ。お姉さんが力になってあげるから」
すっかり余裕で振る舞いはじめた女の顔をいまいましくにらんでも、何も起こせはしない。それどころか、
「う……」
ぐら、っと体が傾き、再び倒れてしまう。それこそ、人形のように。
「うわっ。ど、どうしたの?」
「は……腹が……減った」
妖精は、情けなさを全身で感じていた。
🌳
「あたしはグリエ。妖精さんはなんて言うの?」
しっぽ族の少女はにこにこ上機嫌だ。寝袋の上に座って、脚をあぐらに組んでいる。
ちなみに、ようやく服を着てくれた。
「セージェリオン」
妖精は……妖精になってしまったものは、ビスケットの端をかじりながら答えた。
「どっかで聞いたような」
「エルフの王セージェリオンだ」
「えっ!?」
グリエはまた大声を上げた。もはや隣への迷惑のことは頭から吹っ飛んでいる。
「それって、あのエルフの王様? 世界侵略を企んで封印されたっていう?」
「はぁ? 実態とかけ離れているな」
ビスケットをかじりながらでは何を言っても様にはならない。つくづく情けなかった。
「でも、そうか、あのとき……カルダモンが俺を封印しやがったのか。それで、俺は魔力を奪われてこんな姿になっちまった」
「カルダモンって?」
「俺の手下だったやつだ」
グリエはふぅん、と鼻をならして、またすぐに次の疑問を口にした。思いついたことはすぐに口をついて出るらしい。
「本当に、エルフの王様? なんでフェアリーになってるの?」
「魔力を奪われたんだ、たぶん。エルフよりもフェアリーの姿のほうが、ずっと少ないエネルギーで生きていける」
まったく不本意だ、と目をつり上げて、妖精はさらに考える。
「だから、さっき魔法を唱えても何も起きなかったのか。くそ、肉体も魔力も。大陸一の王だったこの俺が……」
「そんなこと言いながら、全部食べきってるし」
フェアリーの小さな体には似合わないスピードで、ビスケットを平らげている。グリエは呆れたような感心したような、そんな表情だ。
「本当ならこんな獣くさいものを食べる身分じゃないんだ。いまは仕方なくな」
しっぽ族の少女はあえてその言葉を聞き流した。
「とにかく生きてるんだからよかったじゃん、セージ」
あっけらかんと、グリエは言う。
「セージェリオンだ!」
「しっぽ族は誰もそんな風に呼ばないよ」
「言うことを聞けよ」
「やだ。あたしがセージの言うことを聞く筋合いはないもん」
「奴隷は主人に従え」
「あたしは奴隷じゃない。次にまた言ったら……」
きっとにらみ付けて、グリエは指を弾く形にした。
「うっ」
それだけで、反射的に妖精は身を固くする。指で弾かれただけだというのに、この小さな体では抵抗できないのだ。
「うっふっふ。こうなっちゃったら王様もかわいいものだね」
その反応に満足して、グリエは手を解いた。
「セージは知らないだろうけど、五王国はぜーんぶ滅んだの。だから、いまの大陸には奴隷はいない。いろんな種族が好き勝手に生きてる」
「それじゃあ、俺の王国も滅んだのか?」
「確か、そう。細かいことは忘れちゃったけど」
しっぽ族はもう少し何か言おうとしたようだが、けっきょく何も思いつかなかったのか、肩をすくめるにとどめた。
「ちゃんと歴史を学んでおけよな」
「ううっ、痛いところを」
王国がすべて滅んだ……ということは、エルフの王国も滅んだということだろう。ショックがないではないが、王を失った国の当然の末路だ。
「ざまあみろ」
「性格悪いなあ」
自分に向けた言葉だと思ったのだろうグリエの反応は無視して、妖精は再び思考する。
(そんなに長い時間、俺は封印されていたのか。十年や二十年じゃないだろう。もしかしたら百年以上……)
「グリエ」
「なぁに?」
まずは状況把握に努める必要がある。セージは顔をあげて、基礎から確かめることにした。
「いまは星暦何年だ?」
記憶が確かなら、封印された時は星暦三百九十二年。星暦はエルフの星詠みが夜空の形を元に数えた暦だ。
「星暦はもう使われてない」
赤髪のしっぽ族はしっぽを揺らしながら、彼女にとっては常識中の常識である答えを返した。
「いまは新暦五百二十年だよ」
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