葉桜の君に 八

 ですが、いつまでも逃げている訳にはいきませんし、そうはさせてくれません。

 ある日、女子の水泳授業を同僚の代わりに監督することになりました。男性教師が女子生徒の授業を受け持たなければならない事情は、教員の多忙を考えれば致し方ないことではあるのですが、それにしても不運なことに、その場には春川桜子がいたのです。門外の授業の様子など勝手がわからない私は、彼女にことの運びを任せ、日陰でその様子を眺めていました。

 私は最近まで、女子生徒はまだまだ子供だと、そう思っていました。しかし彼女の作品を読んだ今、目前で水泳着に身を包んだ彼女達が、どうにもこうにも、女に見えてくるのです。私は夏の日差しとその奇妙な感覚に目眩がして、塀にもたれるようにうずくまっておりました。

「先生、このような感じでよいですか」

 陽光眩しく見上げれば、春川桜子が私の前に立っていました。水泳着から溢れ出た水が彼女の体を滴り、股の間の柔らかな部分で水滴となり、私の足の爪の上で弾けました。

「基礎運動をいつものように。あとは自由行動ということで」

 彼女の細い両足の向こう側では、女子生徒達が水の中で戯れていました。規則によらずにようやく自由に水遊びができる、そんな歓喜の声が賑やかに響き渡っていました。

「ええ」

 生返事の私を見て、彼女は目前にかがんで、あの時と同じように、私の顔を覗き込みました。私の視界には、その透明な瞳と、隆起する胸、揃えられた下肢の間に、無防備な秘部の膨らみが、限りなく生まれたままの姿に近い、女の肢体がそこにあったのです。私はぐらりと揺れるような感覚に、思わず眉間を押し込みました。

「具合がよろしくないのですか」

「いえ、大丈夫です」

「そうは見えませんが」

 まったく、情けない限りでした。授業もろくにこなせずに、生徒に任せ、その上心配までされるとは。心の整理すらままならない己の未熟さを恥じました。そんな私を気遣いながら、彼女はわずかに振り返り、そして生徒たちの様子を確認すると、落ち着いた声で言ったのです。

「授業は、このまま私が見ておきます。何かあったら呼びますので、先生はそこで休んでいて下さい。それと、あとで水を持ってきます」

 その言葉が、私の中の何かを弾けさせました。

「――君は、なんでも出来ますね」

 霞がかった意識の中、その言葉は意識の外から、勝手に、口から飛び出ていました。

「今も、そうして私の気を引いているのですか。無防備を装って、際どい所をあえて私に見せて、その反応を楽しんでいるのでしょう」

「先生?」

「あの作品も、そのために書いたのですか。自分の方がより優れた文章が書けると、あんな挨拶文を書いた私に、当てつけるために――」

 そこまで言って、私は自分がとんでもないことを口走っていることに、ようやく気がついたのです。それと殆ど同時に、彼女の人差し指が、私の唇にそっと触れたのです。

「その話は、放課後に。――あの場所で」

 その表情は、木漏れ日の下で見たものと、同じでした。

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