葉桜の君に 七

 季節は初夏を迎え、校舎から望む桜並木は青々した緑を陽光に輝かせていました。校庭からは陽炎かげろうが立ち上り、窓に隔たれ空調の整ったこの教室からでも、その暑さが視覚を通して伝わってくる、そんな陽気が続いておりました。

 私は授業中、生徒が板書するのを待つ傍ら、こうして外を眺める機会が多くなっていました。理由は、授業中に幾度となく送られてくる、春川桜子の視線から逃れるためでした。無言の訴えは私に居心地の悪さを与え、言葉を発していないにも関わらず、詰問をされているかのような息苦しさを覚えるのです。そしてその行為についても、残念ながら、心当たりがあるのです。それが余計に、私を追い詰めるのです。

 あの日以来、彼女との関わりは少なくなり、必要以上の言葉を交わすことはなくなりました。私が意識的にそうしていたのです。私は、逃げていたのです。

 あの小説を読んだ夜から、私は彼女に対してどう接したらよいのか、まったくわからなくなっていました。その内容が、あまりにも衝撃的だったからです。


 小説は、高校に入学するために地方から上京してきた女学生が、華々しい学生生活を送る中で、恋人に騙され、望まない形で処女を散らしてしまうことをきっかけに、自堕落な欲求に身を任せるようになるというものでした。そうして彼女が学校を卒業する頃には、自分が何者であるかのかも分からず、他人に依存しなければ生きていけないことを悟り、夜の街に居場所を求めて繰り出していく。物語は、そこで終わっていました。作中で女学生は、入学当初の若く美しかった自身を満開のソメイヨシノに重ね、散った花弁は己の愚かさと後悔だと言い、汚れながらもなおも女として美しくあろうとする姿が、これ以上花弁を失わないようにとすがる、醜い葉桜のようだと言及しました。

 小説は純文学のような体裁で、女学生が思春期に抱える悩みを、赤裸々に綴っていました。男子学生の視線がどこにあるかを知るたびに優越感に浸り、自身に気を引かせる為にあの手この手を実践する。そして逞しい腕や指を見る度に劣情を抱き、優しさの果てに乱暴に扱われることを想像し、股を濡らす。授業中に抑えきれなくなって保健室に向かい、そこで何をしているのか。それは、男子学生がするそれよりも遥かに高等で、艶かしく、不純でした。

 私はこれを見た時の気持ちを、未だに上手く言い表すことが出来ません。あえていうなら、持ち合わせていた価値観が、音を立てて崩れていった、という所でしょうか。

 私は男です。そして教師です。男子学生が考えそうな欲望など、可愛くも一通り理解しているつもりでした。しかし反対にどうでしょう。私は女子学生をあまりにも神聖視しすぎていたのではないか、と感じたのです。それほどまでに、この女学生が語る内面や行為というものは、欲望にまみれ背徳的で不純であり、それほどまでに、主人公の日常というものは、現実感を帯びていたのです。

 これが、中学を卒業したばかりの、少女が書き上げたものだと言うのか。

 これが、あの春川桜子が見ている、女学生の世界だと言うのか。

 それを意識すれば、学生達への印象ががらっと変わってしまうのです。いや、変わってしまったのです。例えば、今、消しゴムを落とした女子生徒は、わざと際どい所に落としているのではないかと。無防備なのは、相手に意識させるため。拾ってくれた男子生徒が顔を赤らめながら手渡すものを笑顔で迎え、その指の感触を手のひらに残していく。それが愛嬌の裏に隠された、うら若き女の劣情の現れであるように見えるのです。

 意識すればするほど、不思議と春川桜子と眼があう機会が増えていきました。彼女はその透明な眼で、ずっと私を凝視するのです。一見、何も汚れをしらないような、そんな透き通った瞳の裏で、いったいどんな事を考えているのかを思うと、私は微動だにできなくなりました。チョークを持った指先に視線を感じれば、背筋が凍りました。彼女の頭の中で私の指先がその体にどんなことをしているのか、それを考えると、まるで罪を犯したかのように感じるのです。

 私はこの感覚に慣れるのに、一月を要しました。その間、彼女になんて答えればよいのかも、皆目見当がつかなかったのです。彼女は返事を待つ、そう言い残してあの場を去りました。しかし一体何を答えれば良いというのでしょうか。まさか、本当に添削をすることだけを期待しているのでしょうか。私にはとてもそうは思えませんでした。あれは、作家という、何かを作り上げる、そういう生み出す側の人間が、同じ土俵に立つ人間との対話を望んだ結果だ――。そう考えるのが普通です。となれば、その作品内容に触れずして、成り立たない。しかしこんな不純な妄想を、しかし男が土足で踏み込むには憚れる繊細な領域に、まして教師でもある私が、一体何を言えばいいというのでしょうか。一対一で話すということがどういうことなのか、それを考えるだけでも恐怖でした。

 そう考えると、やはり認めざるを得ません。彼女には物書きとしての才能がある。「葉桜の私」は恐ろしく内向的で破滅的で、とても年頃の女性が書いたとは思えないものでしたが、読み手の精神に深く侵食する影響力と共感性は、天性のものと言わざるを得ないでしょう。得ようとして、得られる類いのものではないのです。

 私は扱いあぐねていたのです。

 春川桜子という、生徒を。春川桜子という、才能を。

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