最終話 裁縫部はこれからも

 机の引き出しを開けるが、そこにはもう女児用パンツは入っていない。

 きちんと返すべき人に返し、パンツの持ち主探しは閉幕した。

 どこか寂しさも感じながら、俺は階段を降りた。


「優、おはよう。今日から学校でしょう。今日はお母さんお仕事休みだから、朝ごはん作っておいたわよ」


「ありがとう」


 俺は黙々と食事を摂りながら、母さんに向かって嘆く。


「先輩のこと、言ってくれたら良かったのに」


 母さんは少し驚いたような表情をして、やがて微笑んだ。


「ダメよ。女の子の秘密はトップシークレットなのよ」


 そういうものなのか……?


 ピンポーン


 その時、インタホーンが鳴った。


「あらあら、噂をすればね。それにしても、ちょっと早くない? もしかして、優に早く会いたくて♡ なんてことあるかな〜、あるよね〜。もぉ〜可愛いなぁ」


 ……仕事が休みの時の母さんは、いつもより八割増でテンションが高い。少し黙って欲しい気持ちもあるのだが、無理強いはできない。連日仕事漬けなのだ。少しくらいは我慢だ。


「はいはい、ちょっと見てくるよ」


 俺は早足で玄関に向かった。


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 私は窓から右斜め前の窓、つまり優くんの部屋を眺めていた。


「あ、カーテンが……」


 思わず、隠れてしまう。我ながら、監視しているようで少し気持ち悪いとは思う。まぁ、これくらいは許して欲しい。私は階段を降りて、リビングに入る。


「おはよう華憐。今日から学校か?」


「おはよう。うん、そうだよ」


 パパは出勤時間がランダムなので、居る時と居ない時がある。今日は前者みたいだ。


「母さんはまだ寝ているのか……」


「見てないけど、多分寝てると思う」


 ママはかなりマイペースだ。仕事がない日はいつまでも寝る時がある。ダメな母親だと思うが、家事をしてくれているのだ、大目に見よう。


「……なぁ、華憐」


「ん? どうしたの?」


 パパが新聞から顔を覗かせて、こちらを見る。本当は新聞なんて読まないのに、威厳のため、とかで読んでいる時がある。そして、そういう時に限って、何か私に言いたいことがある。


「最近何かいい事でもあったのか?」


 そして、それは不器用なほどに単純なのだ。


「うん! あったよ」


 私は包み隠さず頷く。優くんや、香織さんたちと話す時とは違う。大人ぶった語尾も、ここでは使わない。


「そうか……。………………それは、男か?」


「さぁ、どうだろうね」


 それは、まだ隠させて。ちょっと恥ずかしいの。

 私は誤魔化すように、いってきますを告げた。後ろからパパの嘆く声が聞こえたが、気にしない。


 私は、秋の空を見上げて、深呼吸する。澄んだ青は、まるで私の心のようだった。

 今思えば、あれは秘密じゃなくて悩みだったのではないかと思える。

 言えないこと、だけど言いたいことでもある。そして、言えたらスッキリした。


「よし」


 ピンポーン。

 聞きなれたチャイムの音が、今日も下木家に響き渡った。


「あっ……、来るの早すぎた……」


 まぁいいか。パパのせいだもん。私は悪くない。

 ……優くんにそのまま伝える訳にもいかないし、誤魔化そう。


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「先輩、早いですよ」


「だって、新学期よ? 早く登校しないとダメでしょう」


「そんな決まりはないと思いますけど……」


 俺は一旦扉を閉め、せっかく母さんが作ってくれた朝食を流し込んだ。ブレザーに袖を通しながら歯を磨き、直ぐにカバンを持って扉を開けた。


「いってきます!」


「はーい。いってらっしゃい」


 久しぶりに、聞いた気がする。やはり送り出してくれる存在がいると、朝のやる気に繋がる。


「遅いわよ」


 ドアを開けると、ムスッとした表情を浮かべる先輩がいた。


「だから、先輩が早いんですよ」


 俺はいつも通り、先輩に着いていく。

 いや……、俺と先輩の距離が一歩近い。

 不思議なものだ。


「優くん、忘れ物してない?」


「大丈夫ですよ」


 そう言いながらも、俺はカバンを確認する。

 筆箱、雑巾、クリアファイル、上履き……よし、OK。

 あと、前ポケットも一応……。

 あの時のように、女児用パンツが入っている……、なんてことはなかった。そりゃそうか。


「もうっ。パンツなんて入れてないわよ」


「そうですね」


「それとも、入れて欲しかった?」


「要りませんよ!」


「そんな事言わないでよ。あ、そうそう。この新作パンツを是非優くんに……」


「履きません!」


 少し、懐かしくなるやり取りだ。夏休み前はこんなやり取りをすることはなかった。なんだか、春に戻った気分になる。

 今は、まだ暑さが残る九月始め。もうすぐ、俺たちの二学期が始まろうとしていた。


「早くしないと遅刻するわよ」


「絶対しませんから! もう学校の前ですよ!」


 時計の針は八時二分を指していた。今日は始業式だ。あんなに不安だった高校生活、波乱はあったがこれからは平穏に過ごしていけそうだ。俺は先輩に別れを告げ、教室に入った。


「新学期早々、二人仲良く登校ですかー。ぶー」


 教室に入ると香織がいた。こちらをみて頬を膨らませている。あの夏祭り以降、香織は少し俺に厳しい気がする。

 ……俺、何かしたか?


「いいなー、私も先輩と登校したいー」


 それと、なにかと先輩を話題に出す。何をするにしても、先輩と〜だ。


「毎朝一緒に登校してる友達がいるだろ」


「ぶー」


 そこからしばらくは雑談して過ごした。しかし、香織の友達が続々と登校し始めると、俺は一人、寂しく机に突っ伏すしかなかった。


「(ぼっちなのも、変わらないな……)」


 そのまま流れに任せて始業式に出た。

 校長の長ったらしい話は、いつも通り全く頭に入ってこなかった。


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 始業式の後は、一時間のホームルームを済ませて終礼となる。

 放課後、俺はいつも通り裁縫部の部室へと向かった。


「南波」


 やはり居たか。


「下木」


 南波はロッカーの整理をしていた。先輩の作品(パンツ)を無造作に入れているロッカーだったが、今はきちんと整理整頓されていた。


「お前……すごいな。これだけの量を」


「暇だからね」


 暇以前に、まず男性用パンツを整理整頓しようなんて思わないだろう。その度胸と努力に拍手したい。


「夏樹、おはよう!」


「おはよう」


 元気よく入ってきたのは香織と東坂だった。香織は大きく手を挙げているのに対し、東坂は小さめに挙げている。

 たまたま会って一緒に来たというところだろうか。東坂もすっかり裁縫部の一員である。


「あとは先輩だけですね」


「呼んできなさいよ、下木」


「なんで俺が……」


 仕方なく、先輩のクラスに向かった。やはり、学年の違う階に来るのは毎回緊張してしまう。

 俺は目的の教室に着くと、後ろからそっと中を覗いた。窓際、後ろから三番目の席に先輩は居た。他の生徒は居なかった。俺は、バレないようにそっと近づき、先輩の後ろで止まった。気付く様子もない。だから俺は、先輩の右肩を叩いた。

 振り向いた際、むにゅっと、柔らかい感触が指に伝わる。


「………………何よ」


 先輩は、とても不機嫌そうに頬を膨らませた。


「いつぞやのやり返しですよ」


「もぅ……」


 先輩は机の上のものを片付けて、カバンを持って俺の横に並んだ。


「ところで、何書いてたんですか?」


「進路希望調査。今日までに、書いてこないといけなかったのだけど……」


「忘れていたと?」


「……そうね」


 やはり、抜けているところもあるのだなと実感させられる。


「ちなみに、なんて書いたんですか?」


「……秘密よ」


「えー?」


「おーい、氷堂」


 その時、後ろから声がした。あれは確か……、先輩の担任の、立花たちばな先生だ。若い女性の先生で、ボーイッシュな服装を好むらしい。


「進路希望調査、書き直したか?」


 ん? 書き直す?


「なっ……、先生……ダメですよ。勿論、書き直しましたから」


 そう言って先輩は、先生に一枚の紙を押し付けた。


「わ、私先に行くね」


 先輩は逃げるように行ってしまった。


「ありゃりゃ。怒らしたかね」


「あの、先生。書き直したって、何か不備があったんですか?」


 気になったので、聞いてみる。流石に教えてはくれないか?


「ん? あぁ、君が下木優くん? まぁ、君にならいいか」


 先生は悪戯げに笑う。その表情は、やけに似合っていた。


「氷堂には絶対に言っちゃダメだよ。あの子ね、進路希望調査に……」


 先生が耳打ちして教えてくれた。

 照れとか、羞恥よりも、思わず先にため息が漏れてしまった。


「まぁ、そんなこと書くくらいピュアだから、面倒見てやれよ」


「……はい」


 俺はそこで、先生と逆方向に進む。


「優くんのお嫁さん、か」


 思い出すと、恥ずかしくなる。


「あ、下木くん」


 先生が思い出したように呼び止める。


「君もとち狂って、進路希望調査に華憐ちゃんの婿、なんて書かないでくれよ」


「書きませんよ……」


 それに、婿ってのは俺の苗字が氷堂になるやつでは? 氷堂優……。悪くはないが、やはり結婚するなら……。


「俺も何考えてんだか」


 俺は自分の頬を叩き、気を入れ直した。


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「優おっそーい」


「ちょっと先生に呼び止められてたんだ」


「立花先生に? 何か言われたのかしら?」


 先輩の眼光が鋭く光る。


「どうせ君も書くのだから、先輩みたいにヘマしないようにって言われました」


 俺がここで正直に言ったら、先生の顔がなくなるだろう。まぁ、喋る先生も先生なのだが……。


「………………まぁいいわ」


 俺は苦笑いをしつつ、席に座る。他の四人は既に座っていた。

 最初は二人きりだった部室も、すっかり彩りを持った。ひょんなことから始まった俺の裁縫部での活動も、将来思い返せば、きっと思い出の一つとして咲いているのだろう。


「さぁ、今日の部活を始めましょう」


 先輩の掛け声で、特に目的もない部活動が今日も始まる。

 少しずつ橙に染まってゆく木々は、数ヶ月で枯れてしまう。

 しかし、俺たちは違う。少なくとも、高校生活が終わるまでは咲き続ける。放課後。この最果ての教室で。笑顔という花を。

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