第34話 パンティエル

 私がこの市に帰ってきたのは、中学二年生の頃だった。父がまた転勤になり、再び戻ってきたのだ。以前住んでいた、下木家の隣には、既に人が住んでいた。今回は、下木家の右斜め前の中古物件に住むことになったのだ。引越しの挨拶は、両隣と正面の家だけで済んだ。正直、ホッとした。


 引っ越してから数日間、優くんに会いに行く勇気は出なかった。その頃の私は昔とは違い、髪を伸ばし、口調も変え、身なりも大人っぽく成長していた。告白も時々されていたし、自分の容姿に自信が持ててきた。しかし、しばらく会っていなかった不安からだろうか、優くんのことになると咄嗟に自信がなくなってしまう。そして、ずるずると引きづって数ヶ月が経ち、季節は夏になった。


 私は私立の中学校に転入していた。公立の中学でも良かったのだが、母がこの際挑戦してみなよとうるさかったので、やむなく転入試験を受けたのだ。

 幸いにも友人関係に悩むことはなく、日々平穏に過ごしていた。そんな中、夏休みにプールに行く計画ができた。

 私はうきうきで準備した。その際、約束のパンツを持っていくことも忘れなかった。いつ何時に、優くんと鉢合わせるか分からなかったから。

 しかし、問題が起こった。プールから帰宅し、水着などを洗濯するために荷物一式を出したところ、約束のパンツがなくなっていた。私は焦りと不安の衝動に駆られ、直ぐに家を飛び出そうとした。しかし、今から行っても帰りが遅くなる、と父に止められてしまい、やむなく明日確認することにしたのだ。


 そして翌日。運悪く、一時的に女子更衣室が男子更衣室に変更となっていたのだ。私は半ば諦め状態であった。

 その数日後、私は再度見に行った。しかし、そこに約束のパンツはなかった。

 どうしようもない喪失感に襲われながら帰宅した。

 もう、優くんに合わせる顔がないと思った。私のせいで、初恋を終わらせてしまった。

 私はしばらくの間、殻に閉じこもったままであった。そこから三年間、私は優くんと鉢合わせないようにして動いた。平日は登校時間をずらし、休日はできるだけ家から出ないようにした。


 高一の終業式が終わり、春休みに入って少ししてからのことだった。もう、優くんは、私のことを忘れていると思い始めてきた私は、行動も少し大胆になってきていた。

 その時の私は、カーテンを開けて、日光を部屋に取り込もうとしていた。ふと優くんの家を見ると、衝撃の光景が目に入った。


 優くんが、約束のパンツを被っていた。


 向こうのカーテンが開いていると、こちらから丸みえなのだ。向こうは見られているとはつゆ知らず、ずっと被り続けている。どこか恥ずかしい気持ちもありながらも、衝撃の方が強かったことを覚えている。

 そして、その時に優くんが着用していたのは私が通う高校の制服だった。


 これは、神様が与えてくれたチャンスに違いない。


 私は、気付いたら行動していて、優くんの家の前まで来ていた。しかし、いざとなればあと一歩が踏み出せず、しばらくの間、出先でうろうろする不審者となってしまっていた。


「ウチに何か用かしら?」


 その時、優しい女の人の声が私の名前を呼んだ。


「あ、ええっと……」


 逃げなきゃ。本能がそう叫ぶ。

 人目見ただけで、優くんの母親だと分かった。

 でも、ここで逃げちゃダメだ。


「下木優くんの、お母様ですか?」


 私は精一杯の勇気を振り絞って尋ねた。


「えぇ、そうだけど……。優のお知り合い?」


「はい。お母さん。私……実は……」


 昔の話をした。

 優くんのお母さんは、優しく微笑みながら、相槌をうって聞いてくれた。


「そうなのね……。それにしても、あの子がこんな美人な子を連れて遊んでいたなんて……」


「そ、そんなこと……」


 美人、なんて言われ慣れてないので思わず照れてしまった。


「それなら優を呼んできましょうか?」


 ここで、素直に頷いておけば良かった。

 しかし、ネガティブな私がそれを阻止したのだった。

 向こうが私に気付けばいいのだが、万が一気付かない場合も有りうる、と。


「いえ……、それは大丈夫です。その代わり……」


 こんなことを言っていいのだろうか、と躊躇われた。今呼んできてもらうより、ハードルが高いことだ。しかし、こう回りくどいことをしないと、勇気がない私は、優くんに近づけない。

 刹那、私はとあるひとつの作戦を思い付いた


「優くんの、メールアドレスを教えてももらっていいですか?」


 会って確認が出来ないのならば、会わないで確認すればいいのだ。それでもって、忘れていたら、何とかして思い出させればいい。しかしそれは、メールアドレスが入手出来なければ始まらない。


「えぇ、いいわよ」


「……! ホントですか!?」


 一気に安堵の気持ちが広がった。決して、大成功ではないのに。


「それと、お母さん。この事は優くんには秘密にしておいてくれませんか? 理由は……ええっと……、言えないのですが……。あと……、これを入学式前日に、優くんのカバンの前ポケットに、入れておいてくれませんか?」


 お母さんは怪訝な顔をしたが、了承してくれた。もし、優くんに話したら話したでいい。その時は作戦失敗だ。後の自分に任せよう。

 作戦PT。

 絶対に、私に気付かせて見せる。

 そんな熱い意思から生まれたのが、パンツの天使、パンティエルだった。


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