第33話 初恋

 時々思い出された過去は、俺と先輩が本当に体験したことだ。

 俺たちは家が近かったこともあり、たまに公園で一緒に遊んだりしていた。

 関係性を表すなら、幼なじみと言えるのだろうが、少し歪であった。

 しかし、俺が小学校二年生の時、急に引っ越してしまったのだ。

 まったく、なんで忘れていたんだ。

 ……俺の、初恋だったっていうのに。


 これは、あの時の夢の続き――

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「ねえねえ、見てみて!」


「あぶな――」


 少女、華憐は大きな石に躓いて転んでしまった。

 少年、優は手を差し伸べる。


「どんくさいの。ほら、立って」


 華憐は涙目になりながら、優の手をとる。

 その時、強風が華憐を襲った。


「きゃっ」


 優の手を握っている華憐に抵抗ができるわけなく、秘密の花園はあらわになってしまう。優には、それがしっかりと目に焼き付いてしまった。


「……見たでしょ」


 優の手を握りながら、頬を赤らめ上目遣いで問う華憐。その姿は、少年には少々刺激が強すぎたようで、心臓がドキッと跳ねるのを感じ、思わず顔を背けた。


「見てねーし」


「見た見た、絶対見た!」


 ここでやっと華憐は手を離す。ホッと一息ついたのもつかの間、華憐は優をポコスカと殴り始めた。


「痛い痛い! やめろって!」


 そういいながらも、まだ胸の高鳴りが収まらない優。


「むぅ……」


 華憐は不服ながらも攻撃を止めた。今度こそ一息つける、そう思った優だったが、更なる追い打ちが彼を襲った。


「……まぁ、優になら見られてもいいけど」


 少年、下木優。

 完全に落ちた瞬間であった。

 これほど、ハッキリと確信した初恋。何故忘れていたのか。

 その理由は、七年前のことだった。


 これも、あの時の夢――


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 子どもと言うのは、好奇心の塊である。気になったことは直ぐに行動に移し、気になったものは直ぐ触れようとする。それは、優たちにも言えたことだった。その日の昼、窓に子石が当てられている事に気付いた優は、華憐に、二人でどこかに行こうという提案をされる。仕事で親が居なかった優は、迷うことなく頷いた。

 二人が向かったのは、電車で数駅行ったところにある、お祭りだった。そこは現在、優たちが合宿に来ている場所だ。


「ねぇ、優! こっちこっち!」


「ちょっと待ってよ」


 少女、華憐が先導して走っている。

 少年、優は少し離れて追いかけている。


「もう、優遅い! 早くしてよ!」


 華憐は急かすように手招きする。

 優はなんとか追いつこうとするが、中々追いつかない。


「華憐が早いんだよ……」


 やっとのことで追いついた優は肩で息をする。華憐はまだまだ余裕そうな表情だ。


「ほら、見てっ!」


 華憐が指差す先には、最高の絶景があった。手前には和風の街並みがあり、奥はビルが立ち並んでいる。縁日の様子も見て取れる。ビルは夕日が反射し、橙に煌めいている。そんな神秘的な光景に優は思わず感嘆の声を漏らした。華憐は満足そうに頷いた。


「優、大事な話があるの」


 華憐はこの絶景ではなく、優を見ていた。それに気付いた優も、華憐のほうを向き直る。


「大事な話?」


「うん、大事」


 そこから華憐は、自分が引っ越すことを話始めた。小学校三年生の語彙で、なんとか伝えたのだ。優は、事態がのみ込めていない様子だった。


「華憐は帰ってこなくなるの?」


「……それは分からない」


 それを聞いた途端、優は咄嗟の衝動に襲われた。自分の気持ちを、伝えたい衝動に。

 言わなければいけない、ここで伝えたら、華憐も引っ越しを考え直してくれるはず、と思ったのだ。父の仕事の都合で引っ越すのだから、言ったところで無駄なのだが、当時の優はなんせ子供だ。そんなことも考えれるわけなく、自分の感情に任せて想いを伝えようとした。

 しかし、それは華憐に阻まれた。


「ダメだよ」


「え?」


「今言ったら、辛くなるでしょ」


 華憐は歪んだ笑顔で伝えた。

 年上らしく、少し大人ぶったのだ。


「……」


 優は何も言えなかった。いつもは元気で子どもっぽいところを見せる、彼女の歪な表情に圧倒されていたのだ。


「私は年上らしくもないし、いつも優に迷惑かけてばっかり。だからね、もう私のせいで迷惑かけるのは嫌なの」


 違う。何も迷惑じゃない。そう思った言葉も、声に出すことはできなかった。


「私のことは忘れて」


 華憐は精一杯、涙を流さないように言葉を紡いだ。優もなんとか言葉を紡いだ。


「無理だよ。忘れられない」


「……」


 自分で滅茶苦茶なことを言っているのは薄々感じていたからこそ、華憐も黙るしかなかった。でも、自分に負い目を感じていて、今の頭脳じゃこれくらいのことしか思いつかないのも事実。反対の感情が入り混じってしまい、どう判断すればいいのか分からなかったのだ。


「じゃあ……」


 年下の幼なじみを世話するのは、年上の私の仕事。そう答えを出した華憐は、ひとつの提案をした。


「またいつか再開して、もっと大人になったら、優に可愛いって言ってもらえるようになる! そしたら、私たち……」


 一旦言葉を区切った。そのまま続けて言うのは、少し恥ずかしかったのだ。


「……付き合おっか」


 優の望んでいた答えとは少し違ったが、ゆっくりと頷いた。ここで否定してしまうと、一生チャンスはない気がしたのだ。


「じゃあさ、また再開したときの為に、秘密の約束とか、合言葉とか決めておこっ」


 華憐が提案する。優は、全て華憐に任せると言った。


「秘密の約束……、合言葉……、忘れちゃったらダメだしね……。何か忘れないような強烈なことを……」


 すると、華憐はハッ顔を上げた。


「パンツ! あの日、優が見た私のパンツにしよっ。あれなら優は忘れないでしょ」


「……パンツ? でも、どうやって確認するの?」


「私がずっと持っておくの。私はぜーったい優の顔覚えてるし、再開したらすぐ分かるはず」


「……分かったよ。ピンクと白の横縞パンツね」


「……言わなくていいし」


「確認のためだよ!」


 優と華憐はそこからしばらく談笑して過ごした。

 そして、旅行から帰って三日後、華憐が引っ越した。


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 口約束は絶対ではない。

 よく、そんな言葉を聞く。


 俺は忘れないはずだった。

 離れ離れになって、三年間程は、ずっと想っていた。

 しかし、年齢が上がるにつれ、記憶も上書きされていく。それに、思春期だ。気になる女の子の、一人や二人はできていた。


 俺は中学にあがる頃、先輩のことをほとんど覚えていなかった。

 覚えていたのは、身長が小さく、ショートカットと言うことくらいだった。


 忘れられない、なんて言っといて、無責任だ。思い返すと、自責の念に襲われる。


「優くん……」


 そっと俺の手を握る先輩。先輩の容姿を眺める。長く伸ばされた綺麗な黒髪、整った顔立ち、大きく成長した胸、引き締まったお腹、ほどよい太さと、長さを兼ね備えた下半身。


「可愛くなりすぎだろ……」


「ひぇ!?」


 思わず口に出してしまっていた。先輩は今にも蒸発しそうなくらい顔を真っ赤に染めていた。一瞬、否定しようかとも思ったが、事実なのは変わりないので、それも悪いと思いやめておいた。


「ごめんなさい、先輩」


「え?」


 今度は素っ頓狂な声をあげる先輩。


「俺、忘れちゃってて……。それに、全く思い出せないで……」


 俺が俯きながらなんとか言葉を紡ぐと、先輩は首を振って、ぎゅっと俺の手を握り直した。


「いいのよ。今、こうして思い出したわけだし。それだけでも凄い確率でしょ?」


 確かに、凄い確率だとは思うが釈然としない。未だに後悔や罪悪感は残っているし、まだ謎も多い。


「まだ納得いかないって顔してる。分かった。私が全て話すわ」


 先輩は近くのベンチに腰掛けた。座るよう促されたので、俺も隣に座った。

 先輩は、ゆっくりと語り始めた。

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