第27話 俺たちは一生

「せ、先輩……?」


 俺が声をかけても先輩は離れない。しっかりと背に手を回したまま、体温が伝わるほど密着していた。しかし、俺は先輩の背中に手を回す勇気が出ずにいた。そもそもなんでハグされてるんだ……?


「……ごめんなさい」


 小さく、消えていきそうな声だった。その声と同時に先輩が俺から離れる。俯いた先輩の顔は泣きそうになっていて、いつも丁寧に整えられている長い髪の毛が乱れていた。


「い、いえ! え、ええっと、何かあったんですか?」


「……何か……あるといえばある……とも言えるけど、私にはそんな資格ないから……。今のは……つい……」


 途切れ途切れの言葉だった。先輩の顔からはすっかり元気がなくなっていて、どう言葉をかけたらいいのか分からない。先輩の言っていることも分からないし、この不確定な状況でかける言葉を間違えてしまうと、一生後悔する気がした。だから俺は……だけど俺は……


「と、とりあえず、一旦落ち着きましょう……」


 成功も失敗もしない、見せかけだけの言葉を選んでしまった。それでいいのか? 下木優。

 今の言葉で何が変わる?

 これじゃ、先輩はずっとわだかまりを抱えたままだ。

 でも……、俺のたった一語で何が変わるんだ?

 いいや、先輩だって悪いんだ。いつも何か意味ありげな表情を浮かべる癖に、結局最後は誤魔化す。そんなんじゃ何も分からない。俺が何を言えばいいのか、分からないのも当然だ。

 いいや……、先輩に押し付けてどうする。それこそ何が変わるんだ。

 行き場のない思いが頭の中を駆け巡る。

 俺は何をすればいい。俺は、俺は――


「先輩……。俺には、分からないです」


 逃げることを選んだ。

 何も分かろうとしないまま、分からないなんて決めつけて。


「そう……よね。ごめんなさいね。ほら、今日はもう寝ましょう」


 悲しげな表情を浮かべたかと思えば、直ぐに取り繕った笑みを浮かべる。そんな表情をさせているのは俺だ。最悪だな、俺。

 無言で部屋に戻った先輩。この部屋には、俺と妙な喪失感だけが残った。

 その日の夜は、中々寝付けなかった。


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 朝日が昇りきっていなかった。

 時刻は四時半。結局、二時間も寝れなかった。部屋にいてもすることがないので、静かにドアを扉を開け、外に出る。とりあえず温泉に行ってみたが、開いていなかった。しかし、何故か女風呂の明かりは付いている。


「あら、お早いですね。おはようございます」


「あっ……。木村さん。おはようございます」


 仕方なく帰ろうと振り向いた時、仲居の木村さんがいた。こんな時間から働いているのか……? 大変だな。


「最近の高校生の方は早起きなんですね。先程もお見受けしました。なんでも、温泉に入りたかったそうで……」


「そうなんですね。あぁ、だから女風呂だけ開いているんですか?」


「はい。その方がとても可愛かったのでつい……」


 大丈夫かこの人……。そのうち、可愛いから宿泊代はタダ! とか言いそうだな……。


「あの、じゃあ僕も温泉に入ってもいいですか? あまり寝つきが良くなくて……、サッパリしたいんです」


「勿論構いませんよ。掃除の方は終了していますので、どうぞお入りください」


 そう言って、鍵を開けてくれる木村さん。


「ありがとうございます」


 木村さんに一礼して、中へと入る。まさか、二日連続誰もいない温泉に入ることができるなんて……。それにしても、こんな朝早くから温泉に入りたがるなんて、変わった女子高生をいるんだな……。その言い方だと、自分まで変わった男子高校生になるのことを気づかずにどんどん服を脱いでいく。

 温泉内は熱気で包まれていた。まずは室内の湯を堪能してから、露天風呂に出た。朝の空気を全身で感じれて気持ちいい。思わず伸びをしてしまう。


「んっーー!! 気持ちいいぃー!!」


 ……誰だ。俺の声じゃない。確かに俺は伸びをしたが、こんな声は出していない。そもそも、女の声だ。まさか、隣!?

 そしてなにより、この声に聞き覚えがある。


「あっー! やっぱり露天風呂は最高ね! こんな堂々と露出できる所なんて他にないわ!」


 やはり、アイツである。声をかけるのもいいが、もう少し様子を見よう。


「んーっ! 朝の空気が気持ちいわ! はぁ、はぁ、ここに人がいてくれたらもっと最高なんだけど……」


 ……物音がしなくなった。まさか、バレたのか? 確かめるために、壁際に寄る。


「んっ……はぁ……。んんっ」


 聞こえてきたのは、あのクールな印象からは想像できない程の甘い声。あいつ……まさか……


「おい! 南波!」


 流石にこのまま聞いておくのもまずいので、声をかけることにした。このまま聞いておけば、男としては成長するが、代わりに何かを失う事になるだろう。


「はっ!? ひぇ!? はぁ!? あ、ちょっ、いやっ!」


 向こうで物凄い音がする。


「お、おい、大丈夫か……?」


「な、なんで!? 下木!? 下木なんだよね!? ねぇ!」


 耳が痛くなるほどの大声だ。焦りが伝わってくる。


「はい下木です」


 とある素晴らしい世界のカ〇マばりの冷静な反応。一度言ってみたかったんだよなこれ……。


「なによそのカ〇マみたいな反応!」


「なんで分かったんだよ!?」


「あ、いや……。私、アレじゃない……? だから、高校に入って直ぐは友達と遊ぶことが少なくて、アニメとか見ることが多かったから……」


「な、なるほどな! また、好きなアニメとか語り合おうぜ! 俺もアニメ好きだからな!」


「あ、そんな言うほど見てないので大丈夫です」


「冷たいな!?」


「そ・れ・よ・り。聞いてたの? 聞いてないの? どっち?」


 あ、くそ。誤魔化せると思ったのに……。


「……聞いたよ」


 包み隠さず、正直に言う。数秒間、壁の向こうからは物音が聞こえてこなかった。


「……もしかして、アレしてるのも……?」


 そのアレが何を指すのかは分からないが、恐らくアレだろう。


「……あぁ」


「……」


 再び押し黙る南波。


「はぁ……サイアクね」


「ほ、ホントにすまん……」


「いいのよ。私が悪いし。でも、忘れてよね!」


「あ、あぁ! 勿論」


 二人の間に沈黙が流れる。き、気まずい!


「ねぇ」


 そんな中、沈黙を破ったのは南波だった。


「二人で、日の出見に行かない?」


「へっ? あ、あぁ、いいぜ」


 予想外の言葉に少し戸惑ったが、快く了承する。日の出を見るなんて、滅多にない。


「じゃあ私出るから。下木も早く出てよね」


 足音が遠ざかる。俺も立ち上がり、南波と合流するために温泉から出る。


「……あっ。露天風呂……」


 結局、入れなかった。まぁ、今日の夜にでも入ればいいか……。


 -------------------

「あ、よっす」


 温泉を出たところで待っていると、南波も出てきた。


「ごめん、待たせた?」


「いいや、全然」


 壁の越しで話してた時とは違い、冷静だ。切り替えの速さすごいな……。


「ごめんね、無理言って。行こっか」


「全然、俺も暇だったしな」


 俺たちは足並みを揃えて歩く。旅館から出る際、木村さんがこちらを見てニヤニヤしていたのは触れないでおこう。


「ねぇ、昨日行ったあの見晴らしのいい場所、行ってみようよ」


「いいなそれ」


 外は少し明るくなっていて、日はまだ出切っていない。あの場所に着くまでには昇りきらないでほしい。


「私、日の出見るの好きなんだ」


「よく見るの?」


「うん。昔から早起きは習慣なんだ」


「すごいね。俺なんか朝弱すぎて、毎朝辛いよ」


「でも、今日は早いじゃん」


「あー……。今日はよく眠れなくて……」


 咄嗟に誤魔化してしまう。南波に相談出来たらいいのだが、勝手に話してもいい事案なのかと思い、はばかられる。


「ふーん? そうなの」


 南波は特に気にしていないといった風に振る舞う。少し助かった。


「もうすぐ着くよ。ピッタリ見れそうだね」


「ん、あぁ。そうだな」


 幸運なことに、日はまだ昇りきっておらず、見晴らしのいい場所で最高の日の出が見れそうだ。


「……ねぇ、下木」


 到着すると、柵に腕を置いてこちらを見てくる南波。その顔は、何か決意を固めたような顔だった。


「どうした?」


 何か真剣な話かと思い、俺も姿勢を正す。南波は、こちらを向くとこう言った。


「私は、下木に救われたよ」


 朝日が昇りきり、目が眩むような眩しさが目に入る。陽の光の南波が重なり、綺麗な銀髪が煌めく。端的に言うと、美しかった。


「救われた? 俺にか?」


 俺は南波に何かしただろうか。考えても思い浮かばない。


「そうだよ。裁縫部に入れてくれたのも下木だし、あの時だって私を励ましてくれた。それに……」


「それに?」


 俺が問うと、南波は恥ずかしそうにはにかんだ。


「ううん! なんでもない!」


 口元を綻ばせた、満面の笑みだった。思えば、南波の全力の笑顔を見たのは初めてだった。呆気に取られたとも束の間、南波は俺の額をビシッと指さす。


「だから! 下木も私を頼ってね。今なら……少なくとも少しは力になれる……かもだから」


 何のなのか分からないが、これはいわゆるあれだろう。普通なら、声に出して言うのは恥ずかしいことだ。しかし、今の俺は朝日に当てられてテンションが上がっているのか分からないが、すらすらと言葉が出てきた。


「ありがとな。親友」


「なっ……!?」


 南波は戸惑った様子で頬を掻いた。


「なーにが親友よ。ばーか」


 どん、と俺の肩を押す南波。これも、南波なりの照れ隠しなのかもしれない。


「まぁ、それもいいかもね」


「 何か言ったか?」


「ううん、なんでもない」


 その後、俺たちは暫く談笑して過ごした。俺は頃合を見て、こう切り出した。


「なぁ南波。相談したいことがある」


「ん。言ってみて」


「少し、長くなるかもしれないし、複雑かもしれないぞ」


「全然いいよ。だって私たち、でしょ?」


 ホント、南波は……。

 俺はあの梅雨の日、南波と出会えたことを心から感謝した。

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