第23話 たった二人の前夜祭

 東坂が入部するや否や、突然行われることになった合宿だが、先輩が場所などの細かい案を出してくれて助かった。おかげでスムーズに事が進んだ。夏休み直ぐに合宿という、少しイレギュラーな形だが、皆異論はないようだ。

 今日は合宿前日、つまり終業式。放課後、部活は休みとなった。先輩たち四人は、必要なものを買いに行くそうで、俺も誘われたが、女子の買い物についていくと言うのは少し気が引けたので、一足先に帰宅した。

 帰宅して直ぐに準備に取り掛かった俺だが、早速行き詰まっていた。合宿や旅行に行く時、持ち物に困ったことはないだろうか。無駄なものを持っていても邪魔なだけだが、必要以上に削りすぎても不便になる。俺も絶賛、そんな持ち物の壁にぶち当たっていたのだ。ちなみに、それは……


「パンツ持っていこうかなぁ……。どうしようかなぁ……」


 この、"パンツ"とは男性用パンツのことではない。当然、例の女児用パンツのことだ。

 パンツを持っていくか、いかないか。俺の中で様々な思いと葛藤が渦巻いていた。


「肌身離さず持ってたいよなぁ……。でも四人にバレたら終わりだよなぁ……」


 俺は四人に見つかった時の反応を想像してみる。


「優くん……。そのパンツ、大事なんだね……」


「優……。流石にちょっと……」


「下木、それは流石に引くかな……」


「……単純にキモイ」


 あぁぁぁぁぁダメだ! もうやめて! 下木のライフはもうゼロよ!

 勝手に想像して自爆してしまう程に俺は迷っていた。


「でも、お預けはなぁ……」


 今回の合宿は二泊三日である。一日目は朝に、三日目は帰宅してからパンツを見れるが、二日目は確実にパンツをお目にかかれない。

 たった一日、そう思う人もいるだろう。しかし、ダメなんだ! この一日がどれほど大きいことか……。

 俺は手にパンツを握りしめ、悩んでいた。そんな時、俺の携帯が鳴った。


『やっほー! パンツの天使、略してPT! パンティエルだよ! 明日から合宿なんだって? 準備はしっかりやったかな? あ、そうそう! 占いしてあげるね! あなたの明日のラッキーアイテムは女児用パンツ! じゃあね!』


 今までで一番まわりくどく、それであって分かりやすいメールだった。要するに、合宿にパンツを持っていけってことだろう。

 俺はため息をついて、パンツをカバンの中につっこんだ。勿論、バレないように出来るだけ奥に入れた。今更パンティエルのメールに驚くことはない。しかし、何故パンツを持っていくよう指示したのかは分からない。まぁ俺も迷ってたし、良くも悪くも、だな。

 カバンのジッパーを締めて、部屋を出て、階段を降りる。ついに明日は合宿。合宿というより遊びにいく、みたいな感じだが……。


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 夜の帳はすっかりと落ち、睡魔が襲ってきた時だった。

 ピリリ、ピリリ、と電話の音が鳴った。パンティエルが電話をかけてきたことは今までないので、誰からかと思い携帯を見ると、それは香織からであった。迷わず電話に出た。


『あ、もしもし? ごめんね、起こしちゃった?』


「いや、大丈夫だよ。どうかした?」


『いや……、特になにかあるわけじゃないんだけど……、眠れなくて……』


 少し眠気がきていた俺だったが、その気持ちは分かる。楽しみにしすぎるあまり、興奮して眠れないのはよくあることだ。


「あるあるだよね」


『そうだね』


「……」


『……』


 共感したのはいいが、その後に紡ぐ言葉が出てこない。電話なんて久しぶりすぎて、何を話せばいいのか分からない。


『……もし、優が良かったら……なんだけど』


 数秒間沈黙が続いた俺たちだったが、それを破ったのは香織だった。


「うん?」


『今から、少し会えないかな……?』


「……えっ!?」


 思っていた発言と違うものが出てきて困惑する俺。てっきり、少し話そうかと思っていた。


「い、いや! 無理なら無理でいいんだけど……。実は、眠れないっていうのは嘘で、もう優の家の近くまで来てるんだ……」


 また新たな事実を知って驚愕する。

 時計を確認する。時刻は二十二時を少しまわったくらい。まぁ、まだ余裕はあるし大丈夫か……。


「分かった。いいよ。今どこら辺なんだ? 迎えに行くよ」


「ほんと!? あー……、実はもう優の家の前なんだ……」


 そう言われて、俺は窓から下を除く。そこには香織がいた。Tシャツとショートパンツのラフな格好だった。香織と目が合うと、香織がはにかみながら手を振ってきたので俺も咄嗟に振り返す。


「すぐ行く!」


 俺はそう告げて、階段を降りて玄関を出る。


「あっ、優。ごめんね、こんな遅くに」


「いや、大丈夫。そういえば、どうして俺の家を知ってるの?」


「この前先輩の家に遊びに行ったんだ。その時、先輩が教えてくれたんだ」


 夜だからか、香織の声のトーンはいつもより少し落ち着いていた。しかし、それは大人びていて、また違った香織の魅力に気付かされる。


「そうなんだ。ええっと……」


 二人ということを意識すると、急に話題が浮かばなくなる。おかしいな……、以前は二人きりで勉強会もしていたのに……。


「ふふっ、なんか密会って感じがするね」


「密会って感じじゃなくて、密会でしょ……」


「あはは! そうだね!」


 やっぱり、香織は会話のペースを掴むのが上手い。今までかなり助けられてきた。

 その後数十分程、雑談しながら過ごした。携帯を見て時間を確認すると、二十二時半をまわっていた。香織のことを考えると、そろそろお開きにしたほうがいいだろう。


「そろそろ遅いし、お開きにするか。送ってくよ」


「そうだね! ……って、え!? そこまでしなくてもいいよ!」


「いいや、送ってくよ。女の子一人で夜道は危ないしね」


「……なら、お言葉に甘えて……」


 ……なんだろう、今日の香織は香織らしくない。どう言葉にすればいいのか分からないが、直感的にそう思うのだ。

 俺は香織と並んで夜道を歩く。蒸し暑さが否めない夜だ。まだまだ夏はこれからだ、と湿気が息巻いているように思える。

 車通りもなく、人もほとんど歩いていない。まるで異世界に来たのかと思ってしまうような静けさだった。俺と香織の間に会話も特になかったが、何故か気まずさを感じることはなかった。暫くして、その沈黙を破ったのはまたしても香織だった。


「ねぇ、優」


 いつもとは違う真剣な声色だった。思わず背筋を伸ばしてしまう。


「どうした?」


「聞きたいことがあるんだけどさ」


「うん?」


 香織が見せる真剣な表情に戸惑いもしたが、表に出さないように気をつける。


「優ってさ、パンツの持ち主、探してるでしょ?」


「……そうだな」


「見つけたら、どうするの?」


 ……見つけたら、か。


「勿論、パンツを返すさ」


「それだけ?」


 香織がグッと覗き見てくる。視線に耐えかねた俺は、バッと目を逸らす。


「ねぇ、優」


「……」


 何も、答えられなかった。今まで考えたことなんてなかった。パンツの持ち主を見つけたら返すだけ、ただそれでいいと思っていた。しかし、香織に問われると、何か、心に引っかかるものがある。俺はパンツの持ち主に会えたら、何をすればいいんだ? いや、勿論返しはする。

 ……それだけ?

 心の中で引っかかってはもつれていく


「私はね」


 香織は言葉を溜めた。その言葉を発するのを躊躇っているかのように思えた。


「そのパンツの持ち主さんは、きっと素敵な人だと思うんだ」


「……どうして?」


 俺が問うと、香織は眉をひそめて、少し困ったような表情をした。


「うーん、明確な理由とか根拠はないんだけど……」


 そこで香織は一呼吸置いて、しっかりと俺の目を見て言った。


「優みたいな素敵な人が、運命的に出会ったパンツ。そのパンツの持ち主が、素敵じゃないわけないじゃん? きっと、その持ち主さんも、今も優のことを探してるよ」


 香織は笑った。しかし、やはりどこかいつもと違った気がした。


「あはは……、私何言ってんだろ。意味わかんないよね。あ、私ここでいいよ! ありがとね、また明日!」


 そう言うと、香織は走り去っていってしまった。俺が急いで言った「また明日!」も、聞こえてないのかもしれない。

 暫く立ち尽くしていた俺は、元来た道を引き返す。俺は改めて考える。パンツを返してもいいのだろうか。このパンツは、今まで俺が被ったり嗅いだりしてきた。我ながらヤバいと思う。そんなパンツを返されて、相手は良いのだろうか? 言わなければ分からないことだが、少し罪悪感がある。かと言って、馬鹿正直に告げても不快感を与えるだけだ。


「たった布切れ一枚を返すことが、こんなに難しいのかよ……」


 思わずボヤいてしまった言葉は、夜の中に落ちてゆく。

 気づけば家の前まで来ていた。俺が出た時には居なかった両親が帰宅していた。


「あら、おかえり。どこ行ってたの?」


「んー、ちょっとそこまで」


 そう言って階段をのぼり、部屋に入るやいなやベッドにダイブした。すると、一気に睡魔が襲ってきた。微睡みのなかに落ちそうになっていた時、一つの言葉がリフレインした。


「きっと、その持ち主さんも、今も優のことを探してるよ」


 もし、そうなのであれば、俺は……俺は……。


 考えるうちに意識は遠のき、電気もつけたまま、俺は微睡みのなかへと沈んでいった。

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