第19話 いざ、夏の陣「策士」

「お、お待たせ……」


 声のした方を向くと、先輩と香織が立っていた。


「あ、こ、こんにちは……」


 俺は言葉を失った。咄嗟に紡いだ言葉も、どこがたどたどしく、不審に思われたかもしれない。でも、仕方ないと思う。だってそこに、先輩が立っていたのだから。あれ、やべぇ地の文までおかしくなってるな……。


「う、うん……」


 俺と先輩の間に微妙な間が流れる。先輩はモジモジして、どこか居心地が悪そうだった。


「あの……。そんなに見ないで……」


「す、すみません!」


 咄嗟に目を逸らす。しかし、目にはしっかりと先輩の水着姿が焼き付いていた。日差しを防ぐためか白の大きな帽子を被っていて、綺麗に長く伸びる黒髪が強調されていた。そして、上下黒い水着を着ていて、上はビキニだが、下はパレオになっていた。そこからスラリと伸びる太ももは、思春期の男子には刺激が強すぎる。あえて上半身は見ない。なぜならここで見てしまうと、男としての何かが失われる気がしたので自重した。


「ねーねー、優。私は?」


 目の前に回り込んできて、香織が上目遣いで俺を見てくる。


「え、ええっと。いい、と思うよ……」


 直視することができず、俯きがちに言ってしまう。チラリと見えた香織の水着は、上は黄色のフリル型のビキニ、下は青色の花柄が入ったものだった。黄色は香織の元気な印象を表していると思い、そこに青色が入ることでクールさも兼ね備えていて香織にピッタリだと思った。それをしっかりと伝えることが出来たらいいのだが、童貞には少し難しい。


「むぅ。ぷーん。まぁ、ありがと!」


 香織は頬を膨らませて拗ねたと思えば、そっぽを向き、そして元気に笑って感謝された。表情豊かなやつだ……。


「ねぇ、そろそろ行かない? プール、入ろうよ」


 南波が見かねたように言ってくれる。


「そうだな。行くか」


 提案に乗っかり、俺は先輩と香織のほうを向いた。二人は頷いて、各々の準備を始めた。俺はプールサイドに腰掛けて、足だけ入水する。ひんやりとした感触が伝わってきて、少し入るのを躊躇ってしまう。


「よっと」


 そんな俺の隣で、南波がゆうゆうとプールに入っていた。


「なにしてるの? 入らないの?」


「は、入るよ」


 俺も慌てて入水する。水しぶきが顔にかかり、思わず目を閉じる。


「ちょ、荒い荒い。焦りすぎだよ」


「ご、ごめん……」


 先程まで感じていた冷感はなくなり、体が水温に適応したのか、逆に暖かく感じていた。


「二人が来るまで泳ごっか」


「いや、泳げないから練習しにきたんですが……」


「あ、そっか」


 すると、南波は少し考える素振りをして、首を横に振ったかと思えば直ぐに縦に振った。こいつも感情豊かなやつだな……。


「なら、私に掴まって泳いでみたら?」


「……ん?」


「だーかーら、私の腕でも腰でも肩でもいいから掴まって泳ごって言ってんの!」


「そ、それは分かってるけど……」


 そう言いながら南波の体を見る。うむ、いいのかこれは……。


「……何見てんのよ」


 ジト目で見つめられたので、俺は咄嗟に目を逸らした。


「ま、まぁ南波がそこまでして、俺と一緒に泳ぎたいって言うんだったら仕方ないよな」


「そ、そんなこと言ってないし!」


 バシャッ。顔面に水が飛んでくる。今度は俺がジト目で睨み返す。


「おっと、南波は俺が小学生の時に付けられた異名を知らないのか……」


「な、なによ……」


「水かけの覇者、だ!」


 そう言って南波に水をかけ返す。 勿論そんな異名は嘘だ。夏の日差しにあてられて、少しテンションが上がっているのかもしれない。


「ダサッ! 絶対嘘でしょっ!」


「信じるか信じないかはあなた次第ですっ!」


「なにそれっ!」


 言葉が発せられると共に水もかけられる。そして俺もかけ返す。

 そんな時間が暫く続いていた。


「お待たせ……って何してるの?」


 そこに、香織と先輩がやってくる。


「ふっかけられた喧嘩に乗ってました」


 かけられたのは水だけどね!

 ……危ねぇ。口に出さなくて良かった……。一瞬、水が氷水に変わった気がしたぜ……。


「かけたのは水だけどね!?」


 いや、お前が言うんかいッッ!

 心の中で南波に盛大なツッコミをかましつつ、俺は冷静に対応する。


「かけたことは認めたな」


「あっ、いや違くて……」


「よしよし、戦争の続きと行こうじゃないか」


 俺は手を組み、水鉄砲のように水を噴射させた。南波には当たらないようにしたが、彼女はむすっとした顔でこちらを見つめていた。


「あのー、お二人さん?」


 遠慮がちな香織の呼びかけが、俺たちを冷静にさせる。


「「はい、すみません……」」


 俺たちの声が重なり、ふと南波のほうを向くと、ぶくぶくと南波が泡を吹かせていた。水に隠れた頬は、少し赤くなっている気がした。こっちまで恥ずかしくなるからやめろ!


「ほら、練習を始めるわよ」


「はい」


 先輩の掛け声で、再び冷静になる。その先輩と言えば、腕に付けていたヘアゴムを手に取り、長く伸びた黒髪を後ろでキュッと纏めていた。その際、口にくわえたヘアゴムが嫌に目に入り、意識せずとも視線が行ってしまう。冷静になったはずの心が、また少し焦りを持つのを感じた。

 すると、先輩もゆっくりと水に浸かった。パレオがふわりと靡き、太ももが少し露になる。一瞬釘付けになったが、南波からの冷たい視線に気づき、直ぐに目をそらす。

 香織がすいすいと進んでいくので、俺も歩いてついて行く。流れるプールなので、簡単に追いつける。先輩はビーチボールをギュッと抱きしめながら流れている。隣には南波がいて、また目があってしまい咄嗟に逸らす。こんなに逸らしてたら、俺が変なことしてるみたいじゃないか!


「優、泳げる?」


 ボケーッとしながら歩いていると、先に進んでいたはずの香織が声をかけてきた。


「泳げないから歩いているんだよ……」


「じゃあ、一緒に泳ご!」


 香織は、「こっち!」と言いながら俺の手を引いた。プールサイドにつれて行かれると思いきや、香織が水から上がったので俺も釣られて上がった。


「どこいくんだ?」


「ふふー、こっち!」


 言われるがままについて行くと、二十五メートルプールに連れてこられた。一般客もやや見受けられるが、やはり人数が少ないので、ゆったりと泳げそうだ。


「ここで練習しよ!」


「いいけど、先輩と南波はいいのか?」


 俺が尋ねると、香織はあからさまに目を逸らして、あたふたし始めた。


「う、うん! いいよ! 全然いい!」


 多分無許可だな……。まぁ、香織の善意で教えてくれるのだし、俺は何も言えないが……。


「じゃ、じゃあやろう!」


 誤魔化すように、ジャボンと音を立てて水に入る香織。そして先輩同様、腕に付けていたヘアゴムで髪をくくり始めた。いつものサイドテールはほどかれて、その代わりに後ろ髪は纏められ、首あたりからポニーテールが作られる。綺麗な天然の金髪は水で濡らされ、日光で反射して煌めいていた。そんな姿に、思わず目を奪われる。


「どうしたの? はやく!」


「あ。う、うん」


 香織の声で我に返る。俺はゆっくりと水に入る。先程まで温かく感じていた水だが、体感が元に戻ったのか冷たく感じた。


「じゃあバタ足の練習からしよう! できる?」


「それくらいなら……」


 俺はプールサイドを掴み、バタ足をして見せる。


「うん! できてるね! でも、少し無闇にしてる感じがあるよ。もう少し落ち着いてやってみようか!」


「わかった」


 俺は言われた通りに事をこなす。プールサイドを持っているので、実際進むかは分からないが、足はどうにかなりそうだ。


「じゃあ、手離してやってみよっか」


 バタ足をやめて、底に足をつける。一つ深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。


「よし」


 壁を蹴って、勢いよくスタートする。手は付けれないので、貸し出しのビート板を使って前に進む。無我夢中で足を動かしつつ、香織に言われた通りにして気持ちを落ち着かせる。気づけば、俺は反対側の壁に到達していた。


「や、やった!」


「おぉ! できたね! おめでとう!」


「ありがとう!」


 しかし、これで満足してはいけない。勝負の種目はクロール。このバタ足に手を付けなければならないのだ。


「もしかしたら、泳げないって思い込んでただけで、本当は泳げるのかもね」


「そう……なのかな?」


 なにはともあれ、課題の一つはクリアだ。まだ時間はあるし、今日中にクロールができるようになりたい。


「ちょっと二人とも」


 聞き覚えのある声がしたので、思わず振り返る。そこには、怒ったような顔をした南波と、少し寂しげな表情を浮かべる先輩が立っていた。


「……二人きりで何してたの?」


「香織と練習してたんだ。おかげでバタ足はできるようになったよ」


「ふーん、そう」


「……? あぁ」


 南波は俺と香織を一瞥すると、ゆっくりと水に入った。


「じゃ、手を付けて泳ぐ練習もしなくちゃね」


 そう言って、俺の手を取って促してくる。


「そう言われても……」


 困り果てて、ふと先輩を見る。先輩は視線に気づいたが、直ぐに目を逸らされてしまった。俺、なんかしたか……?


「何してるの? ほら、早く」


「あ、あぁ」


 近くでたまたまクロールをしている子どもがいたので、俺も真似して泳いでみる。しかし、思うように腕が動かない。水圧に負けてしまって、前に進まない。


「腹の下の水をかくように!」


 南波がアドバイスをしてくれる。言われた通りにやってみると、先程よりはマシになった気がする。


「よし」


「よし、じゃないでしょ。下木、息継ぎできる?」


「あっ……」


 薄々自分でも気づいていた。俺は息継ぎができない。顔を上げようとするが、どうしても上手く出来ずにその場で立ち止まってしまう。

 そこからしばらく、息継ぎの練習が始まった。しかし、上手く行くことはなく、南波も香織も手詰まりといった様子だった。


「そろそろ休憩にしましょう」


「あ、先輩」


 そう言えば、さっきから姿が見えなかった。何かしていたのだろうか。


「もうこんな時間だし、お昼ご飯にしましょう」


 時計に目をやると、短針は一を指していた。夢中で練習していたので、時間を忘れてしまっていた。


 ぐぅ〜


 時間を意識すると、急に腹が減ってきた。


「そうですね」


 俺たちはプールから上がり、荷物を纏めている場所へと戻った。時間的に考えると、練習できるのはあと三時間か四時間だ。それまでにクロールができるようになる方法……。頭を捻るが、そう簡単には出てこない。


「あーっ! お腹空いた!」


 うん! とりあえず飯だ飯! 腹が減っては戦ができぬ。ともいうしな!

 一抹の不安を薙ぎ払うように、今は昼食のことだけを考えていた。

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