第18話 純情は苦く、そして重い

 電車で揺られること数十分。俺たちはとある市民プールにやってきた。


「わー! 久しぶりに来た!」


 入口をくぐると、香織が歓声をあげた。この市でプールと言えばここしかないので、地元の人なら一度は来たことがある場所だと思う。俺とこの場所には、実はある関係性がある。


「三年前……か」


 ふとあの時のことを思い出しながら、少しばかり懐かしく思う。


「優? どうしたの?」


 ひょっこりと視界に香織が現れる。


「いいや、なんでもないよ。行こうか」


「そう?」


 香織は首を傾げたが、直ぐに視界から消えた。すると、香織は先輩にべったりくっ付いていた。


「先輩、いきましょ!」


「えぇ。そうね」


 いつの間にこんなに仲良くなったのだか……。俺はその光景に、心が癒されるのを感じながら歩みを進めた。


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 三年前のように男子更衣室のロッカーが故障してるはずもなく、俺は一人で男子更衣室へと入った。


「確か、ここら辺……」


 中のレイアウトは女子更衣室と左右対称であった。俺は三年前にパンツがあった場所を男子更衣室に照らし合わせ、ロッカーを選んだ。

 プールに近いロッカーの三段目。今思えば、女児用パンツを履く身長だと、この高さは届かないのではないだろうか。俺は周りに誰も居ないことを確認して、脚を折り、腰を縮めて小学校低学年ほどの身長を再現する。


「頑張れば届くか……?」


 背伸びをしたら届きそうだ。とりあえず、俺はこのロッカーに荷物を入れて着替える。もちろん、女児用パンツは入っていなかった。


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 外に出ると、日差しが俺の体を刺してきた。今日は思わず目を細めるほどの快晴であった。三人はまだ着替え終わってないようだったので、予め決めておいた待ち合わせ場所に待機する。ざっとプール全体を眺めるが、今日は運がいいことに人が少ない。人が多いとまともに練習も出来なそうなので、正直有難い。


「お待たせ」


 声がしたのでそちらを振り向くと、南波が一人で立っていた。


「あれ、他の二人は?」


 俺が尋ねると、南波は言いにくそうに頬をかいた。


「んーと、なんか、先輩が『絶対ムリ! 絶対ムリ!』って言ってなかなか出てこないから、香織がどうにか説得しているところ」


「どういう状況なんだよ……」


 中の様子を想像しようとするが、どうも上手く想像できない。


「私にも分からないよ」


 南波は苦笑いをして、俺の横に立った。南波の水着は、ラッシュパーカーで隠されていて分からない。ただ、スラリの伸びるスタイルの良い脚だけが露出されていた。そんな南波の姿に、俺は違和感を感じる。


「南波、なんでラッシュパーカー着てるんだ?」


「はっ!? 何見てんの!? キモ」


 うっ……。容赦ない。ただ、今のは俺の聞き方が悪かったかもしれない。


「違う違う。その、あれだろ。露出癖があるのに、なんで着てるんだってこと」


 どうにかオブラートに包もうとしても、どこか気持ち悪い言い回しになってしまう。


「あ、あぁ。そういうことね。てか、露出癖って言うな」


「はい、すみません」


 南波は何故か露出癖と言うと怒る。間違いないと思うんだけど……。やべぇ、怒られる。


「やっぱり、あの二人見たら自信無くすよ」


「自信?」


 俺が聞き返すと、南波は少し視線を落とした。俺も合わせて視線を落とすと、直ぐに納得してしまう。


「あぁ、そういうことな」


「納得するな!!」


 南波はぷいっとそっぽを向いてしまった。こういう時って何言えばいいんだ……。そうだ、とりあえず褒めろ! 褒めるんだ俺!


「まぁ、でも、いいよね。脚は」


「えっ……」


 ヤバい流石に引かれたか……? 俺はおどおどしながら南波の方を向いた。


「そ、そうかな。あ、ありがと」


 俺の心配は杞憂に終わったのか、何故か感謝されてしまった。


「い、いえいえ……?」


 そこからしばらくなんとも言えない空気感になった。頼む! 早く二人とも来て!


「お、遅いね。二人とも」


「そ、そうだね」


 会話の糸口を探してなんとか言葉を紡ごうとするも、すぐにその糸が切れてしまう。


「あ、私見てくるね!」


「あ、あぁ、うん。わかった」


 南波はそそくさと逃げるように女子更衣室へと向かった。俺はその後ろ姿を見つめる。自然と脚に視線が行っていることに気づき、思わず目を逸らした。


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「ホントなんなの……」


 私は女子更衣室の前で思わずため息を漏らす。今まで見られて恥ずかしかったことなんてなかったのに。逆に見られたいと思っていたのに。なんで? 偶然? それとも……。

 自分の中に色々な気持ちが渦巻いては執念深く残っていく。しかし、それは悪いものではなく、消えて欲しくない気持ちとして残っていた。


「様子、見に行かなきゃ」


 香織と先輩の様子を見に行くと言って離れたのだから、最低限それくらいはしておかないと。私はそのまま女子更衣室の中へと入った。

 二人がいるはずの近くまでくると、なにやら声が聞こえてきた。


「先輩は可愛いです! 先輩は神スタイルです! 先輩は神に恵まれています! 自分に自信を持ってください!」


 私はロッカーの陰に隠れて様子を見る。声をかけても良かったのだが、今は何故かこのやり取りを見ていたかった。


「で、でも。脚は南波さんのほうが細いし、ウエストだって香織さんのほうが細いわよ……」


 どうやら、先輩の容姿についての話をしているらしい。


「そ、そんなことないです! 先輩だって平均より細いですし、なによりそのナイスバディが武器ですよ!」


「で、でも……」


 今日来た時から先輩が何故、そして何を拒んでいるのかわからなかった。先輩の容姿は申し分ないし、私も見習わなければいけない部分だってたくさんある。それなのにどうして……。

 少し考えると、直ぐに一つの可能性を考えてしまい、胸がチクリと痛む。


「っ……」


 私は思わずUターンして女子更衣室を出た。その時、足元にビーチボールが転がってきた。私はそれを拾い上げ、しばらく見つめていた。ピンク色一色だけのシンプルなデザイン。どこか寂しい感じがして、思わず指でハート型をなぞってしまう。しかし、すぐに恥ずかしくなり、書かれてもないハートを手で擦って消す。


「あのー」


 ふと顔を上げると、持ち主らしき人が立っていた。


「あ、すみません! どうぞ!」


「こちらこそすみません。ありがとうございます」


 持ち主は丁寧に礼をして、去っていった。私はしばらくその場に立ち尽くしていた。さっきから正体不明の感情が心を支配している。いや、名前を付けることなんて簡単なのかもしれない。しかし、私は自らそれを拒んだ。


「……弱いなぁ」


 嘆くように呟いた言葉は、監視員のピピーッという笛の音と、「走らないでください」という注意にかき消されてしまう。その注意は私にも言われているような気がして、どこか居心地が悪かった。少し、自分の中で考える。弱い私だからこそ、確実に行く必要がある。そのためには―


「……歩けばいいじゃん」


 そうだ、焦って走る必要なんてない。弱虫な私はゆっくりと成長していくことしかできない。だから、少しずつ歩み寄っていけばいいのだ。しかしいつかはこの感情もゆっくりと成長していって、私が成長しきった頃と同時に花開くのだろうか。それとも、感情だけ走ってしまい、ブザーが鳴ってしまうのだろうか。

 今の私には分からない。


「よし」


 私は羽織っていたラッシュパーカーを脱ぐ。そして、白の水着が露になる。今思えば、銀髪に白は少し色の相性が悪かっただろうか。いや、それとも、儚さを抱いてくれるだろうか。私は一人の儚い少女なんだって、思ってくれるだろうか。

 なんて、そんな幻想を抱きながら、南波夏樹は歩き出した。

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