第16話 きたる夏にて、俺たちは燃え上がる
「そろそろ一学期も終わりね」
家を出て数十分、もうすぐ学校に着こうとしていた頃、今日はやけに無口だった先輩が空を見上げて言った。
「そうですね。もう七月です」
六月末に行われた期末テストは、裁縫部の皆が協力してくれてなんとか乗り切れた。香織の様子がどこか落ち着きなかったのは、前回のテストを気にしていたからなのだろうか。そんなテスト期間の鬱憤も梅雨とともに明け、本格的に気温が上がってきたのを感じる。時が経つのは案外早いもので、一学期も残すところあと二週間ほどとなっていた。
「……そうね」
先輩は呟くと、少しずつ歩調を緩め、やがて立ち止まった。
「優くん」
「なんですか?」
先輩は少し俯き、そして意を決したのかしっかりと俺の目を見る。先輩の頬は何故か少し朱色に染まっていて、夏の太陽の日差しを想起させる。
「……パンツの持ち主探し。そろそろしたほうがいいんじゃないの?」
先輩は少し声の音量を落とし、俺に伝えてくる。パンツを毎日被るなかで、俺もやらなければと思っていたが、自然と後回しにしていた。
「そうですよね。そろそろ……」
俺が頷いて了承しようとした時、あることを思い出した。それは、以前パンティエルから送られてきたメールだ。そのメールには、南波のことを"要注意"と記してあった。この真意を確かめるためにも、そろそろ本格的に始めないといけないな。俺は、決意を固めて強く頷いた。
「はい。やりましょう」
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「はぁ……。パンツの持ち主探し、ね……」
俺は屋上にいた南波に、女児用パンツの持ち主探しのことを伝えた。"要注意"という言葉が何を指すのかは分からないが、とりあえず本人に探りを入れるのが良いだろうと考えた。南波が持ち主本人なのであれば、何かしらの反応は示すはずだ。もし本人じゃなくても、何か手がかりを知っている可能性もある。南波は少し怪訝な顔をしたが、仕方ないという風に承諾してくれた。
「入部させてもらったわけだし、それくらいは手伝うよ」
「ありがとう。恩に着るよ」
俺が感謝の気持ちを伝えた。この反応は、持ち主本人じゃないと考えていいのか……? すると、南波は少し不安げな表情をした。
「でも、私が協力できることって少ないかも。ほら、私って他の生徒と関わりないし……」
俺は心配ご無用と言うように胸を張る。
「大丈夫だ。その点は香織が主にサポートしてくれる。南波は香織と一緒に動いてくれ。でも、無理はするなよ。何かあったらすぐ言ってくれ」
香織と一緒に探してもらうことで、社交的な香織が南波のことを全面的にサポートする形をとる。これは、南波が持ち主本人じゃなかった場合に、俺の考えた作戦だった。勿論、香織には話を通してある。
「香織となら……。分かった。ありがとうね」
南波は少し考えて、納得してくれた。"要注意"の真意は分からないままだったが、持ち主を探していくにつれ分かってくるだろうと思い、俺はとりあえず感謝の気持ちを伝えた。
「南波、ありがとう! 助かったよ」
俺は南波に頭を下げた。南波は「いいよいいよ」と手をひらひらとして返した。俺は戻ろうと、南波に背を向ける。ふとポケットに手をつっこむと、柔らかい包み込むような感触が伝わる。これは……
「あ、そうだ南波。"これ"について何か知っていることはあるか?」
俺は今日、何か起こる予感がして、念の為持ってきていた女児用パンツをポケットから取り出し南波に見せる。南波は顔を真っ赤にして、手で顔を覆った。
「は、はぁ!? 知らないわよ! まずなんで今持ってるわけ!?」
「ごめんごめん、たまたま入ってたんだよ。いつもは家に置いてきてるんだけど、今日は無意識のうちにポケットに入れてたのかも」
説明のしようがないので、適当な理由をつけると南波は訝しんだ後、落ち着いたのかはぁとため息をついた。そして、何かを察したのかハッと俺の方を見てくる。
「あんた……、まさか他の女の子にもそうやってパンツを見せて、これはあなたのパンツですか? って聞いたわけじゃないでしょうね?」
「いや? そのまさかだ」
南波は「はぁ……」と呆れたようにガックリと肩を落とした。
「ほんと凄いね……。それで、そんな事を誰にしたの? まさか、先輩と香織に?」
「いいや、違うぞ。一年の東坂ってやつだ」
俺が東坂の名を言うと、南波は食い気味に反応した。
「東坂って、あの東坂いずな?」
「そうだけど……、知ってるのか?」
「中学が同じだったんだよ。別に仲良かったってわけじゃなかったんだけどさ、東坂さん、実はある事で一部の間では有名だったんだよね……」
「ある事? なんだ?」
俺は興味本位で聞いてみる。
「誰にも言ったらいけないよ」
南波は口元に人差し指をあて、口外禁止のポーズを取った。そして、俺の耳元で囁いた。
「パンツにはこだわりがあるって噂」
南波との距離、耳にかかる吐息、俺は心臓が跳ね上がったが、南波の言ったことに全てもっていかれた。
「それ……、どういうことだ?」
俺は思い当たる出来事があったが、南波に尋ねてみる。
「いや、私もあんまりよく知らないんだよね。でも、東坂さんを頼ってみるのもいいかもね。パンツにこだわりがあるんだったら、きっと力になると思うよ」
「……そうだな」
東坂とは過去にいざこざがある。俺の頼みなんて聞いてくれるか……? まぁ、やるだけやってみるか。
「南波、ありがと! 助かったよ!」
「それ、さっきも聞いた」
南波が楽しそうに笑うと、「早く行っておいで」と促してくれた。俺は東坂を探すために校舎内へと戻った。それにしても、パンツにこだわり……か。確かに、黒のレースはこだわってるよな。
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「はぁ? 絶対に嫌だ」
「そこをなんとか!」
俺は東坂を協力者として引き込もうとなんとか交渉しようとしていた。しかし、見ての通り難航していた。
「そもそも、あんたは勝負に負けたじゃない」
勝負とは、テストの点数勝負のことだ。俺はイレギュラーが起こり負けてしまったのだ。
「いやでも、東坂がテストに勝ったら黒のレースであることを忘れるってだけで、持ち主探しの協力はしないとは言ってないよな」
「それを言ってる時点で忘れてないじゃない......。あ、私としたことが忘れてた。記憶抹消しておかないと......」
すると、東坂はポケットから紐がついた五円玉を取り出した。え、なにそれ常備してるの......?
「これを見ときなさい。ほーら、忘れなさい。あー、これを見ると下木は私が黒のレースを履いていたことを忘れたくなーる。あー、忘れろー」
「......」
俺は一瞬東坂が何をしているか分からなかったが、冷静になった。まさか、これは催眠術......? 全くかかってないが、ここは一つかかったフリをしとくか......。
「あれ......、俺は何を?」
俺は記憶が飛んだ時の定番中の定番であるセリフを言った。
「よしよし、催眠術成功ね」
よしよし、催眠術にかかったフリ、成功ね!
「東坂、俺は今なにをしてたんだ?」
「いや、何もしてないわよ。あぁ、でも、パンツの持ち主探しを協力してほしいっていうのは言ってたわね」
「パンツの持ち主......? あぁ! そうだった。東坂、是非協力してくれ!」
なにやら東坂は機嫌がいい様なので、漬け込んで協力を得ようとする作戦に出ることにした。
「んー、どうしようかな」
東坂はまだ渋っていた。しかし、悪戯っぽい表情をして呟いた。
「あいつはまだ催眠術にかかっている。ここはちょっと辱めに合わせるとしましょうか......」
いや、聞こえてるから! 聞こえてるよ!
「ねぇ、下木。人様にお願いする時は土下座して頼むべきじゃないの?」
「土下座......!?」
流石の俺も土下座は......。と思ったか!! プライドが死んでいる俺は土下座なんて無心でもできるぜ!!
「東坂、お願いだ! 協力してくれ!」
俺の潔い土下座に東坂は若干引いているようだった。
「催眠術がこんなにも効果があるなんて......。あ、協力はまぁ......言ったからには......。でも、条件があるわ!」
「条件?」
「えぇ」
そう言うと、東坂はビシッと俺のほうを指してきた。
「勝負に勝ったら協力してあげるわ!」
「勝負......」
"勝負"という単語には嫌な思い出しかない。前回の勝負では、香織が壊れた挙句勝負に負けてしまった。
「なによ、悪い?」
東坂がギロっと睨んできたので、俺は慌てて手を振る。
「いや、チャンスをくれるだけでも有難いです! 東坂さんまじ最高!」
「はぁ......。ほんとバカね」
また東坂は頭を抱えた。
「それで、勝負ってなんの勝負なんだ?」
「それはね......」
東坂は少しもったいぶった後、満を持して口を開いた。
「水泳で勝負よ!」
東坂が持ちかけてきたのは、水泳ということだった。俺たちの学校では、梅雨が明けると水泳の授業が始まる。
「水泳って言ったって、どう勝負するんだ。男子と女子で分かれてるし、対決しようにも出来ないだろ」
「テストでのタイムで勝負するのよ。種目はクロール二十五メートルよ」
なるほど、テスト時のタイムで勝負と言うことか。
「よし、分かった。受けて立つ!!」
俺は堂々と東坂の勝負を受けた。これに勝って、東坂の協力を絶対に得てみせる!
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「お願いします! 俺に水泳を教えてください!」
放課後。プライドが死んでいる俺は、部室で今日二回目の土下座をしていた。
「前の勉強の時と言い、なんで勝てっこない勝負を受けてしまうのかしら......」
先輩はやれやれと呆れていた。
「わ、私は協力するよ! パンツの持ち主探しのためだもんね!」
「かおりぃ......」
やはり香織は天使だ。まいえんじぇる香織。
「ぬ......。香織さんが協力するなら私も協力するわ」
お、何故な否定的であった先輩も協力してくれることに......。しかしこれはラッキーだ。俺は先輩と香織に「ありがとう」としっかりと礼をした。すると、部室のドアが開き南波が入ってきた。
「げっ......。どういう状況......?」
南波は入ってくるなり、部室のこの状況を見て困惑していた。ひどいぞ!
俺は捨ててきたはずのプライドに少しヒビが入るのを感じながら、プールへ水泳の練習に行くことなど、南波に状況を説明した。
「なるほどね。私も行く」
「おっ、いいのか!」
南波はあまり気乗りしないと思っていたので、少し意外だった。
「公共的に露出が認められている場所......プール......」
南波が小声で何か言っているのを俺は聞こえてしまったが、聞こえてないふりをした。ちゃんと水着は着てくれよ......?
「とにかく、三人ともありがとう。勝てるように全力で頑張るよ」
俺が改めて三人に礼を言った。三人とも頷いてくれたので、俺の心は安堵の気持ちで満たされた。
「それで、いつどこで練習するのかしら?」
先輩が聞いてくる。
「そうですね......。早い方がいいと思うので、次の土曜日とかでどうですか? 場所は......」
俺が少し考え事をしていると、先輩が提案してくれる。
「......電車で少し行ったところに、市民プールがあるじゃない? そこでどうかしら?」
先輩の言ったことが俺の考え事と少し一致していて少し心臓がドキリとする。市民プール......。俺がパンツを拾った場所もそこの市民プールなのだ。
「そう......ですね。じゃあ、次の土曜日、朝九時に駅集合でどうですか?」
「私は構わないわ。香織さんと南波さんはどう?」
先輩が俺に代わって聞いてくれる。
「私はいけます!」
「私もいけます」
二人とも予定は空いているようだった。
「きまりね」
先輩が俺のほうを見た。俺は頷いて返した。三年前。プール。パンツ。俺は脳内であの日の出来事を思い返していた。
「どうしたの、優?」
香織が俺の顔を覗きこんでくる。俺はハッとして、不安と焦りを隠すために笑顔で返す。
「なんでもないよ。土曜日、楽しみだね」
「もうっ。優が泳げるようになるために行くんだからね」
「それもそうだね」
俺は苦笑いして、香織から目を逸らした。そうだ、今はパンツの持ち主のことよりも、勝負に集中するんだ。俺はぶんぶんと首を振って、何事もないように残りの時間を過ごした。
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