第8話 雨の匂いと恋の匂い

 雨、か。俺は雨のにおいに誘われて、眠りから覚めた。雨はジメジメするからあまり好きではない。よし、こんな時は......


「よし! 頑張ろう!!」


 パンツを被るに限るよな!!!


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 ある程度支度が終わったところで、インターホンが鳴る。「すぐ行きます!」と返事をして、靴を履き、ドアを開ける。


「......おはよう」


 先輩はそう言うと、歩き出した。俺も慌ててついて行く。先輩、なんだか元気ないな、どうしたんだろう。俺は脳をフル回転させ、心当たりがないか確かめる。......あったわ。

 昨日の部活。俺はあくまでもで先輩のパンツを見てしまった。挙句、先輩は部室から逃げ出してしまったのだ。とりあえず、謝らないとな......。


「先輩、昨日はすみませんでした!!」


 俺は全力で頭を下げた。最近ずっと頭下げてるな......。


「......ん、いいのよ。あまり気にしていないし」


 先輩はそう言っているが、俺には大丈夫そうには見えない。


「ほんとすみませんでした。記憶から消しておくので......」


 俺がもう一度、誠心誠意込めて謝罪すると、先輩は顔を上げてこちらを向いた。


「......消さなくていい」


「え?」


 予想外の言葉が飛んできたので、思わず聞き返してしまった。


「記憶から、消さなくていい」


「ど、どうしてですか!?」


 先輩は、恥ずかしそうに俯いて、弱気な女の子がおねだりするような表情を浮かべた。先輩もこんな表情するんだな......。と思っていると、先輩は急に慌てたような素振りを見せた。


「はっ、え? 私今なんて言った!? 下木くん、さっき私が言ったことは記憶から消して!! 」


「えっ? はい!? 分かりました?」


 先輩があまりにも早口で言うので、返答に遅れてしまった。


「も、もう。絶対消しておくこと!」


 すると先輩は、頬を真っ赤に染めて俺のほうへと近づいてきた。


「今から聞くことも、返事だけしたら直ぐに忘れること。いいわね?」


「? はい。分かりました?」


 すると先輩は、自分の持っていた傘を置き、俺の傘の中に入ってきた。そして、俺の耳元まで顔を近づけ、こう囁いた。


「私のパンツ、可愛かった?」


 心臓がドクッと跳ねた。耳にかかる吐息、先輩のにおい、先輩の全てが俺の理性を刺激する。


「な、な、なんでそんなこと!? か、かわいいと言えばかわいかったですけど......。そ、それがどうしたんですか!?」


 すると先輩は、クスッと笑い、意味深な笑みを浮かべた。


「仕返し」


 先輩はそう一言呟き、通学路へと歩き出した。仕返しというと、昨日の件のことだろうか。やっぱり気にしてたんじゃないか......。

 俺が思わず頬をかいていると、先輩はくるっと振り返り、にへらと笑った。


「さっきのことは冗談だから、忘れること! いいわね?」


「わ、わかってますよ」


「ふふ、ならいいわ。ほら、行きましょう。」


 先輩はまたくるっと回り、また歩き出した。




 そうは言ったが、忘れられるわけないだろ。

 耳元から離れる時に見せた、上目遣い。直感で、あれは冗談なんかじゃないと思った。根拠は特にない。俺の本能が、あれは本気だった、と頭の中で疼いている。先輩の上目遣いは、どこか寂しげで、悲しそうでもあった。そして、さっき振り向いた時に見せた笑み。あれは、何かを取り繕うために笑った。そんな笑みだった。何故か、先輩のことはよく分かる。数週間しか関わりがないのに、何故か。しかし、その理由は分からない。いつか分かる日が来るのだろうか。

 俺は先輩の不可解な行動に疑念を抱きながらも、先輩について行くべく歩き出した。


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「下木くん、おはよう!」


「あ、西条さん。おはよう」


 教室に入り席につくと、前の席に座っている西条さんが挨拶をしてくれた。かわいい、天使だ。


「今日から勉強会だね! 楽しみっ!」


「あ、あぁ、うん、そうだね! 図書室だよね?」


 西条さんと喋るとキョドってしまう......。はい、ここ童貞ポイント!


「そうだよ! 静かだし、落ち着いて勉強できると思うよ!」


「そ、そうなんだ! 了解!」


「うん!」と西条さんは可愛く返事をした。しかし、ここで話は終了。会話の糸口を見つけることが出来ずに、そのまま始業となってしまった。


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 休み時間の間も、特に西条さんと話すことはなく、放課後となった。


「下木くん、いこっ!」


 西条さんがカバンを持って、こちらを振り向いた。


「あ、あぁ、行こっか。」


 俺と西条さんは、並んで教室を出た。室内からの視線が痛かった気がするが、気にしたら負けだ。



 西条さんとたわいのない話をしていると、図書室に着いた。


「ここが図書室か......」


 図書室には初めて来たが、広い。壁にはぎっしりと本棚が敷き詰められていた。テスト期間だからか、勉強している人もチラホラと見受けられる。雰囲気も落ち着いているので、勉強するならここがピッタリだろう。


「図書室に来るのは初めて?」


 俺が見渡していると、西条さんが俺の顔を覗き込んできた。かわいい。


「そ、そうだよ。初めて来たけど広いね」


「でしょ! 広いし、静かだし、勉強するなららここしかないって思ったんだよね!」


 すると西条さんは、てくてくと歩いていき、机を確保してくれた。


「ここにしよっ!」


 西条さんは椅子を引き、ここに座るよう促してくれた。


「あ、ありがとう」


「どういたしましてっ」と満面の笑みで言い、西条さんも俺の正面に座った。


「早速始めよっか! 下木くんは苦手な教科とかある?」


「そ、そうだな。理系教科が基本的にダメかな」


「そうなんだ! じゃあ今日は数学やろっか!」


 西条さんはそう言うと、俺の隣へと移動してきた。


「えっ......、ど、どうしたの?」


 急に美少女が隣に座って、動揺しない男子はいないだろう。もしそんなやつがいるのなら、そいつは童貞を卒業しているに違いない。


「数学だったら、隣のほうが教えやすいでしょ?」


「そ、そうだね! ありがとう」


 そうして俺たちの勉強会が始まった。西条さんは教えるのが上手く、理系科目が苦手な俺でもある程度は理解できるようになっていた。


「西条さん、凄く教えるの上手いね!」


「ほんと!? ありがとう! 嬉しいな。」


 西条さんは、嬉しそうに笑みを浮かべた。

 その後、俺たちは下校時刻になるまで勉強していた。ふと外を見ると、いつの間にか雨はやんでいて、夕日が落ちてきていた。


「もうそろそろ時間だし、今日は終わろっか!」


「そうだね」


 西条さんの提案で、今日はお開きにすることにした。俺たちは帰る支度を整え、図書室を後にした。


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「今日は楽しかったね! また明日も頑張ろうね!」


 西条さんは帰りに寄るところがある、言っていたので、『美少女と一緒に下校!? 好感度アップ!』イベントは残念ながら発生しなかった。俺たちは正門で別れることとなった。


「こちらこそ、教えてくれてありがとう。また明日もよろしくね」


「うん! テストに向けて頑張ろう!」


 今思えば、話しているうちに、キョドってしまうこともなくなってきたな。これが西条さんパワーか......。


「ね、ねぇ。下木くん?」


 西条さんが、急に恥ずかしそうにモジモジし始めた。


「どうしたの?」


 俺が問うと、西条さんは意を決したのか「あ、あのね!」と言いながら俺の方を向いた。


「これからはさ、下木くんのこと、ゆうって名前で呼んでもいいかな......?」


 な、なななななに!?!? 一緒に帰るイベントは発生しなかったが、下の名前で呼んでくれるイベントが発生しただと!?


「も、もちろんいいよ!」


 俺はなるべく興奮を抑えながら答える。すると、西条さんはホッと安心したように胸をなで下ろした。


「良かったぁ......。ありがとう! じゃあ私の事も、香織って呼んでねっ」


「え!? えーっと、分かった!」


 そうだろうな。と思っていたが、やはり来たか。女子を下の名前で呼ぶなんて、数えるくらいしかないな。

 俺が脳内で、今まで下の名前で呼んだことのある女子を数える。一人......二人......、二人だけ!? いや、あと一人いたような。誰だっけ......。


「優?」


 名前を呼ばれて、ふと我に返る。


「は、はいっ! どうしたの西条さん?」


「ぼーっとしてたから、どうしたのかなーって。もしかしたら、勉強疲れちゃったのかなーって思って心配してたの」


「全然そんなことないよ!! むしろ西条さんと勉強できて楽しかったよ!」


 すると西条さんは、「えへへ」と嬉しそうに笑みを浮かべた。


「ありがとうっ! それで、優はいつになったら私のことを名前で呼んでくれるのかな? 呼び捨てでいいよ! それだと恥ずかしい?」


 西条さんはさっきの嬉しそうな笑みから一転し、悪戯げな笑みを浮かべた。


「ご、ごめん! えーっと、それじゃあ、香織......? 」


「ふふ、それでよし!」


 西条さんは満足そうに笑い、「じゃあ、また明日ね!」と言って走り去って行った。俺も「また明日」と返し、帰路に着く。


 ふと空を見上げると、雨が上がった空は、落ちかけの夕日で赤く染まっていて、地面からは夏の雨の匂いがした。ジメジメしているが、どこか心地良さも感じられた。その心地良さは、雨の匂いなのか、それとも別のものなのか。今の俺には分からない。



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