第32話 魔族領

「私は魔族領に入るのは初めてなんですよ」


 リリーがぽつりと漏らす。


「へぇ、意外だね。前線で走り回ってたイメージがあるけど」

「うーん。どうでしょうね。奥様がいま抱いている私への印象は、戦中の私とは全く結びつかないものかもしれないです」


 そう言ったきり、リリーは珍しくだまりこんで、外の景色に見入っていた。


「俺たちに限らず、みんなそうなんだろうな」


 耳元でささやいてくるギデオン。


 そうなのかもしれない。

 あれからまだ二年も経っていないはずなのに、その前と後とでは誰もがんだろう。



 ピルチャー卿とやり合った翌日の朝。


 ボクたちは予定通りに……当初の予定からはズレたけど、ともあれ、パパ=タルソス市に向けて馬車を走らせている。


 昨晩のうちにヘンリは屋敷へ向かって馬を走らせている。

 新人御者のジェフリーはカサメに待たせて、魔族の御者を雇った。


 彼にはまだこちらの道を走らせるには早すぎると思ったから。



「それにしても、見た感じ道が悪いというか湿ってるぽいのに、スムーズに走らせるもんですね。御者さん相当の切れ者ですか」

「んっとね、たぶん、ボクやリリーが同じ道を走らせたら、すぐに車輪が埋まって走れなくなると思うよ」

「そんな腕の違いがあるんです? てか、どんだけヒドい道なんですか」


 腕の違いというか、種族の違いというか。


「御者はイグ族なんだよ」

「イグ族」

「うん、人間にわかりやすく言うと、蛇人間」

「うげっ!」


 こらこら、そういう差別的な態度は感心しないぞ。


「フードを目深にかぶってたのはそれが理由ですか」

「人間族からすると最も恐怖感を抱く外見をした種族の一つだからね。気を遣ってくれてるんだよ」

「……蛇っていうからおっかない人かと思いましたけど、そうでもないんです?」


 見た目は怖くても知性ある温和な種族だよ。

 戦士としての能力も抜群に高いけど。


「やつらと剣一本で渡り合おうとしたら容易じゃないぞ。近づけば長い首と大きな口で頭を丸呑みしようとしてくるし、それでビビって離れようとすれば強靱な尻尾の一撃で吹き飛ばされる羽目になる」


 ギデオンが実感を込めた苦い顔をしている。


「ぜったい戦いたくない相手ですね」


 そんな白兵戦向きの彼らなんだけど、実はかなりの少数民族なもんだから、多くの部隊編成ができなかったんだ。

 ただ、彼らがまとまって顔を出すだけで人間の兵士は浮き足立つから、もっぱら脅かし役としての任務が一番多かったんだよね。


 そんな兵士としての彼らの話はこのくらいにして。


 イグ族の彼らには、赤外線がんだ。

 この街道は土の温度の高低で路面の固さが全く違う。彼らはそれを見抜いて、なるべく走りやすい道を選ぶことができるんだよね。

 御者としても最適な能力を持っているわけ。


 もっとも、ここがこんなに走りにくい未整備の道なのは、戦略上の理由が大きい。人間族がカサメから先に進攻できなかった大きな理由の一つがこれなんだ。


 戦争の終わったいまだから、そろそろ整備すべきなんだろうね。


 そのあとも馬車は悪路を危なげなく走り続けて、一日目の宿舎がある村に着いた。

 まだ日が沈むにはだいぶ時間があるのに泊まりにしたのは、この先は峠越えが待っていて、ここ以外には日が沈む前にたどり着ける宿のある集落がないからだ。


 だけど、それで結構。そうでなければ困る。

 ボクにはやることがあるんだから。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「さて、どうしようか」



「久しぶりの魔族領をのんびりと散歩しながら見て歩きたい」


 村長らの歓迎に席を外せないギデオンに言い置いて、リリーと一緒に村の広場の方まで歩いてきた。


 欲しいのは木だ。木の板や棒が二本あればいい。

 それを十字に組むことで『鳥』を表現するんだ。


 別にそれが羽ばたいて飛んでいくわけじゃないよ。

 だけど、姿をしているモノなのが重要なんだ。


 だって鳥なら、大空を飛ぶことが許されるんだから。


「『世界』のことわりを屁理屈でやりこめるのが魔術と師が言ってましたが、叙述魔術はそれがわかりやすいですよね」

「へぇ、いい先生に教わったんだね」


 突き詰めてしまえば魔術は屁理屈だ。

 同音異義語やだじゃれを巧みに利用して、世界の仕組みを騙すのだ。

 かっこよく言えば言霊になるけど、魔術師はみんな知ってる。


 そんな大層なモノじゃない。


 それから、逆方向からのアプローチとして、自分を騙すことも魔術には大切なんだ。

 ボクらがいまやろうとしているペリカンもそう。


「鳥なんだから飛ぶのは当たり前だ」


 って自分を騙して術を刻むんだよ。そうすれば飛ぶの。

 単純でしょ。


「ないね。木」

「木とかふわっとした探し方されても見つからないんじゃないです?」


 そうかな。

 なんかこう、そのへんのカドに転がってるんだと思ってたけど。


「ねえ、お姉ちゃんたち」

「え?」


 そんなとき、不意に幼い声に呼びとめられた。

 振り返ると、五人ほどの小さな子供が立っている。


 少し年長らしい男の子のうしろに隠れるように、四人の小さな子がなにやら照れくさそうにこっちを窺っている。


「あら、フロッグマンの子ね。キミがお兄ちゃん?」


 子供たちの前にしゃがんでそう尋ねてみた。


 先頭の男の子はフロッグマンのカエルのような頭をした少年だ。

 後ろにいるのは、彼と同族の女の子が二人と、デーモン族ツノ無しの少年が一人、それとコボルド族の女の子が一人。


「うん。お姉ちゃんは俺を怖がらないんだね」

「こわい? どうして」

「だって、ほら」


 彼の指さす先を見ると、リリーが露骨に距離を取って頬をピクピクさせながら様子を窺っている。


「あ、ああ。ごめんね、あの子は魔族の国に来たのがはじめてで、自分と違う姿の種族に慣れてないんだ」

「うん、たまに人間族がくるとみんなそうだから。でもお姉ちゃんは違うんだね」

「お姉ちゃんは魔族でしょ? だってその髪は王族の人と同じだよ」


 いままでお兄ちゃんの影に隠れていた妹がちょっと安心したのか、顔を出して言ってきた。


「バカだな、このお姉ちゃんは人間の勇者のお嫁さんだぞ。魔族のわけないじゃん」

「あー、バカって言った。ママに言うから」


 あはは。お兄ちゃんはいつもバカバカ言って怒られてるんだね。


「ん。お姉ちゃんは人間だよ。人間にもこういう髪の人はたまにいるんだよ」

「ほら、言ったろ、バカだな」

「あああ、またー」


 いやもう、いいなぁ。ボクも小さい頃は、フリートとこんな風に……。

 あと……妹ちゃんの言ってることの方が正しいんだけどね。

 

「ねえねえ、サムス」


 コボルドの女の子が遠慮がちにフロッグマンの少年のシャツの裾を引っ張っている。この男の子はサムスくんか。


「あ、そうだ。あのさお姉ちゃん」

「ん? なに」

「さっきから木がどうとか言ってたよね」

「うん。木でね、鳥を作りたい」

「鳥?」

「そう。それを飛ばすの」


 何を言ってるんだコイツ、的雰囲気が子供たちの間に流れたのがわかる。 あれ? ボク、説明下手なのかな。


「え、えーっと、ですね、奥様が言っているのは ――」


 あ。リリーを忘れてた。

 ようやく立ち直ったのか、ちょっとだけ近づいてきて会話に参加するつもりのようだけど。


 ギロリ。子供たちの視線が彼女に集まる。


 リリーが足を止めた。


 別に彼らは睨んだわけではない。

 だけど、他種族に慣れていない彼女のような人間から見れば、異形の彼らに見つめられるのは、さぞかし居心地が悪いのだろう。


「えっと、あの、二本の木で、鳥みたいな形を作れればいいんです。板や棒があれば。君たちに心当たりあるかな?」


 あんまりボクと説明変わってない気がする。

 リリーも説明下手だ。


「んと、あるよ」


 あれ。でも通じてるな。

 まあいいや。


「ホント? お願い、お姉ちゃんたちにそれくれないかな」


 やった。ボクは食い気味にサムスくんの肩を掴んで懇願した。


「う、うん。あの、だけどあのさ」

「ん?」


 なんだろ、急にし出したぞ。


「なに? どうしたの?」


 言いたいことがあるのは間違いないけど、ずいぶんと言いにくいことなのかな。

 もう一度促そうかと思ったそのとき。


「お金ください」


 デーモン族の少年がズバリ言う。

 あ、そうか。それが言いにくかったんだ。


「うん、もちろん。お姉ちゃんの言い方が悪かった。ボクたちに木を売って欲しい」


 サムス少年がパァっとうれしそうに微笑んだのがわかる。

 リリーにはさっぱりみたいだけど、多種族を統べる魔王さまは伊達じゃないんだよ、どんな種族の表情だって読んでみせるさ。


「ありがとう、じゃあこっち」


 彼らに案内されるまま着いていくと、村はずれの小屋へ到着した。

 ここに来るまでに聞いた話だけど、戦争での直接被害はなかったこの村でも、戦後の混乱で仕事にあぶれている大人が大勢いるらしい。

 彼らはそんな親たちの力に少しでもなろうと、時々やってくる人間たちに様々な商売を持ちかけているんだそうだ。


「あれ? そういえばリリーがいない」


 どこ行ったんだ、さっきまで少し離れた後ろを着いてきてたのに。


「もう一人のお姉ちゃん? さっきあたしに『先に行ってて』って、どっかいったよ」


 フロッグマン妹が教えてくれた。どこ行ったんだよあの子は。


「お待たせしました」

「うわっ!」


 突然うしろに現れるなっ!


「リリー、なにしてたの」

「え、ああ、ちょっと野暮用です。それで、木はどうなりましたか」


 ちょうど小屋からサムスくん幅広の廃材らしい木の板を二枚持ち出してきたところだ。


「これ、どう?」

「ああ、いいね、これでいい。いくらかな?」


 突然値段を聞かれて、サムスくんが戸惑っているのが見て取れる。

 ああ、これはこっちから言うべきだよね、ホントにボクは気が利かない。


「三百ルーデル」


 そこにデーモン族の少年が、ズバッと斬り込んできた。


「お、おい、ヘルム、それはいくらなんでも」


 うん、高い。高すぎるぜヘルムくん。ふっかけてきたなぁ。

 子供のお小遣いには過ぎるお値段だぜ。


 ―― まあ、だけど。


「奥様」

「うん」


 最近はリリーとも阿吽の呼吸ってやつだね。

 多くを言わなくても通じるようになったよ。助かる。



「君たちいくらなんでもぼったくりすぎでしょうが」



 なんっにも通じてねえええええ!!

 そこ、払ってよ。言い値で払うところでしょ!


「リ、リリー」


 慌てて彼女を止めようとするボクを尻目に、ヘルムくんは少しも動じずに続けてきたんだ。


「お姉さんたち、なにかわかんないけど隠れてやろうとしてるでしょ。さっき着いてきてた変なおじさんは、メイドのお姉さんが撒いてきたの?」



 え? 変なおじさん?


「君はなかなかね。そう……そんな廃材を三百で売ろうとするなら、そこに付加価値がないとね」


「その林の向こうにいまは誰もいない教会があるよ。そこに案内する」

「おっけ。ルーデルはいま百しかないから、残りは人間族のお金で同額相当でもいいかな?」

「うん、それでいいよ」


 なんか話が勝手に進んでいくなぁ。

 って、こらリリー、主人のバッグを勝手に開けるなぁ!


「はい、お金ですよ」

「……うん、たしかに。じゃあ、こっち」

「ささ、奥様。商談は終わりました。行きましょう」



 ……そっかぁ、この中で一番の世間知らずはボクか。

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