第31話 関所越え前日
出発は決まった。
ひとまず、砦にあてがわれた今夜の宿になる一室にギデオンと戻る。
「どうするつもりなんだ」
「だって、とりあえずボクが魔族側に行かなきゃはじまらないよ」
すでに行商人には魔族側の砦内でボクの手荷物にクスリを忍ばせるように手配してある。今さら変更を伝える時間は無い。
「だが、君がパパ=タルソスまで行っては、クスリを持ち帰る時間が四日も遅れるぞ」
「持ち帰れないよりマシだよ。あと、それくらいならギリギリ持つ可能性が高い。ボクの見立てを信じて」
「君が言うならそうなのかもしれないが……」
またうそをついちゃった。
たぶん四日も遅れてしまったら、フィリベルトは衰弱死する。
だから、そうしないために、ボクはやることを決めている。
「こっちのことは心配しないで。ギデオンはこれから明日の打ち合わせでしょ? 行ってきて」
まだ少し納得がいかない顔を見せながらも、ギデオンは議場へと戻っていった。
☆★☆★☆★☆★☆★
「奥様、パパ=タルソスまで行かれるとききましたが」
「ここスケベなおっさんばっかりですよ。みんないやらしい目で見てくるんだから」
部屋でボーッとしていると、ヘンリとリリーが入ってくる。
「四日もかかってはおそらくフィリベルトさんは持たないのでは」
「うん、だからね、一日目に宿泊する村で、
ペリカンとは、空を飛び荷物を運ぶ叙述魔術の一つだ。
この間使った『伝書鳩』の上位にある魔術だと考えてくれるといい。
伝書鳩は、手紙をそのまま折紙の鳥にして飛ばすだけで、荷物が全く積めない術なのに対し、ペリカンはその術式のレベルに応じて荷物の積載量が増す。
元の能力のボクなら牛の三頭くらいは一度に運べるものを作れる。
それに、ボクの作ったものなら人間の作った国境ごときに察知されることもない。
「ですが奥様、伝書鳩で体調を崩して寝込んでいらしたではありませんか」
うん、ペリカンは伝書鳩の二レベル上の呪文だからね。きっと身体への負担も桁違いだと思う。
「今回はリリーに飛ばしてもらうつもりだから」
「私? え、できますかね」
「だいじょうぶだよ。三レベル魔術式ならいけるよね?」
「うわぁ、三レベルのも
あはは。魔術だけじゃ勝敗は決しないって事だよ。
「ですが、
ヘンリはなおも食い下がる。
叙述魔術は、なんらかの物体に魔術を前もって付与しておいて、あとで使いたいときにそれを起動することができるものだ。
そしてこれは、そこに記された魔術を行使する
ただし、叙述魔術は
これには、だいたいその魔術を実際に起動する場合と同じだけの魔力を注ぎ込む必要があるんだよね。
「うん、だけど、今回は
「あそこでとぼけ続けてもバカみたいじゃないですか」
「そんなことより、リリー、あなたは三レベル魔術式の発動はできるの?」
「はいはい先輩。できますよー」
ヘンリの問い詰めも、いつものようにひらひらと躱すリリーが頼もしく感じる。
「それでね、たいへんだけど、ヘンリにはいまからすぐ屋敷に戻って欲しい」
「奥様?」
「ペリカンの目印にできるのはヘンリしかいないんだよ」
伝書鳩でも同じだったけど、目的地の設定には明確に魔術的な目印が必要なんだ。いま現在では、ヘンリの
ヘンリが屋敷に近いところにいればいるほど、クスリの到着が早くなる。
だから、すぐにでも出て欲しいんだ。
「承服できません。それでは護衛がリリーだけになってしまいます」
「だんな様だっているじゃないですか」
「いまのだんな様は……」
ギデオンはボクの封印に『勇者』の力をほぼ割いている。
全盛期と比べると、彼の力は十分の一にも満たないだろう。
「このへんは危険が無いのはわかってるし、ね」
「そう言って出かけて、この間は襲われたではないですか」
ねー。アレはホント、まいったよね。
「ヘンリ先輩。こうなったらもう無駄ですよ。奥様ぜったい引き下がらないです」
「ふふ。リリーもボクのことわかってきたみたいね」
「ええ。思ってたよりずっとめんどくさいってわかりました」
そんなこともないと思うんだけどなぁ。
だけど、ヘンリはそんなリリーに取り合わずになおも食い下がる。
「奥様、フィリベルトさんには気の毒ですが、私はなにより奥様の安全を優先すべきだと考えます」
「ヘンリの気持ちはうれしいし、本来はその通りだとおもう。だけど、ボクはもう誰もボクのために死なせたくないんだ」
「別に奥様のためじゃないと思いますけどね。仕事に殉じただけじゃないですか。仮に私が奥様を守って死んだとしても、それを奥様のせいにも、ましてや陛下のせいにしたりもしないですよ? あ、死んでたらもう誰のせいにもできないか」
リリーにあるこの割り切りが、ボクにはないんだと思う。
私自身も含めた身近な人の中で、リリーがもっともプロフェッショナルな人物なんだろうな。
「ありがとう。でも、決めたんだ」
「ほぉらやっぱり。無駄ですよ先輩」
「……」
ほんの少しだけの逡巡のあと、ヘンリはしぶしぶ提案を受け入れてくれた。
「リリー、奥様をくれぐれもお願い」
「はい、先輩。全力を尽くしま~す」
この軽さとのギャップがね、うん。良いのか悪いのか。
ともかく、計画は固まった。あとはその通りに動くのみ。
―― ところで、気になったのは。
「奥様は、やはり魔王さまではありませんね」
屋敷に戻るために退室したヘンリが、つぶやくように残したその一言だ。
そこには、いままで彼女がボクを『失格魔王』と揶揄していたのとは、まったく別種のニュアンスを感じた。
☆★☆★☆★☆★☆★
―― 時間は少しさかのぼり、カサメの禁足地へと向かう出発の朝。
「うーん、奥様、この馬車って前のより狭くありません?」
「ああ、これは一般仕様だからね。貴族仕様のアレはまだ届かないんだよ」
もう少し広くて乗り心地のよかった馬車は、少し離れた崖の下で残骸となって転がっている。高かったんだよ、あれ……。
「一般と言うことは、これ、矢が通ったりしちゃいますかね」
コン、コン。
車内の壁を拳で軽く叩きながらなにやら確認しているのは、メイドのリリーだ。
「もそもそ動かないで。気持ち悪いでしょう」
「そんな彼女を不愉快そうな顔で見つめているのが、彼女の隣に腰掛けている、同じくメイドのヘンリ。
「うーん? どうなんだろ。ギデオン?」
「え、ああ。うん、軍用のなら通るよ、簡単に」
弓矢の威力って実は相当のものなんだよね。
ものによっては鎧も抜くから。
「やっぱりですか。いいんです? ここに乗ってるのってカッシング領のオールスターじゃないですか。襲撃を受けて全滅したらコトですよ」
「誰がスターよ、図々しいスパイね」
「あー、まぁたスパイって言った先輩! 私は護衛なんですぅ」
このリリーは国王陛下直々に派遣しているボクの護衛なんだ。
護衛だけなのかどうかは甚だ怪しいけど、今のところ実害はないから放し飼い状態だね。
「そういえば私、この街道は初めてですよ。あれなんですあれ」
「ああ、あれはね……」
・
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・
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フィリベルトを助けるためっていう重要な目的はあるけど、いいよね。いまくらい楽しんでも。なんかこう、遠足みたいでわくわくするよ。女の子だけで遊びに行くのは気楽でいい。
……ん。
……いや、うん。完全に違和感なく言ってたな、ボク。
危険な兆候だ。いやもう、諦めろって言うかもしれないけどさ、そしたらボクがボクじゃなくなるような気がするんだよ。
「ところで、メッチャ肩身狭そうじゃありません? だんな様」
あ、そうだよ。ギデオンもいるじゃん。
男二人、女二人の旅路なんだよ。
……はい。苦しいのは自分でもわかって言ってる。
「だから馬車を二台にして、俺はエーレンと二人で乗るって言ったのに。なんでおまえらだけでずっと楽しそうにしゃべってるんだよ」
あ、すねてる。
「そーんなことしたら、私がヘンリ先輩と二人きりじゃないですか。そうなったらこの人ずっとむすっとして一言もしゃべりませんよ。いたたまれないじゃないですか」
「あなた本当によくしゃべるわね」
なるほど、だいたいリリーが六割、ボクが三割、ヘンリが一割くらいしゃべってた。ギデオンは……弓矢の話以外声を聞いてないような。
「ずっとなぁ、エーレンを抱っこしたまま旅がしたかったのに」
「やだよそんなの、うっとーしい」
「ヒドいなぁ、最近つれないぞ、エーレン」
ボクは最初からずっとこうだよ。いつだって無理強いされてるんじゃないか。
「うへぇ」
「あなたと二人きりの方がまだマシだったかもしれないわね」
「同感ですよ、ヘンリ先輩。もうゲップが出そう。なにこのバカップル」
だからね、どこの世界に主人夫妻に面と向かってバカップルとか言うメイドがいるの。
「まあ、俺たちのアツアツっぷりは国中に知れ渡ってるくらいだからな」
「だからボクは社交界がいやなんだよ」
これホントだからね。
ホントに社交界一のバカップル夫妻で通ってるからね。
主にギデオンのせいで。
そうこう言っている間に、馬を交代させる予定の村が見えてきた。
今日は強行軍だからね。馬を休ませてる余裕がないんだ。
「ねえ、リリー。あの村にはね……あれ」
「寝てますよこの子は。もう、寄りかからないで!」
さんざんしゃべったと思ったらコテンと寝るとか。
子供だろうか。
「いつでもどこでも寝られるのは肝が据わってる証拠だよ」
ギデオンが窓の外を見ながらつぶやくように言う。
なるほどね。この子はやっぱり、プロフェッショナルなのかも。
まだまだ日は高い。目的地まで半分もきてないんだ。
ボクもなるべく休んでおこう。
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