第30話 肖像画

「このへんは開けてて景色がいいね」


 沈んでいく夕陽を眺めながら、ボクは言った。


「ああ、結局ここは終戦まで魔族から奪い返せなかったところだな」


 ギデオンの説明によると、ここはカサメの禁足地関所まであと一時間というところらしい。

 そうか、このへんまで魔族軍は攻め入ってたんだ。


 魔王のくせに他人事のように聞こえるかもしれないけど、報告は上がって来てても実際にその場を目にしてたわけじゃないからね。


「くか~~~」

「もう、こっちに寄りかからないでって言ってるでしょう」


 リリーは話し疲れて眠ってる。ヘンリもさすがに疲労の色が見える。

 これが旅行ならば途中で一泊してるところなのに、ろくに休憩も挟まずに走り続けているからね。もう馬も二回交代してる。


 馬車ってあんまり乗り心地よくないし、ボクもかなり疲れてる。

 でも、もう少しだもんね。がんばろう。


 そうして、だんだんと辺りが暗くなってくる。

 予定ではすでに到着してるはずの時間になってるし、予定がちょっと遅れているんだろう。


 もっとも、むりもないか。初めての道に、初めての馬車だ。

 サム爺さんの助手をしていたジェフリーという若い男性が、今回から新しい御者に就任した。初っぱなからむりさせちゃってるなぁ。


 ん? なんだろあれ。石がいっぱい……ああ、お墓だ。


「え」


 無言でギデオンが肩を抱いてくる。

 きっとボクの顔が曇って見えたんだろう。


「あんまり気に病むな。お互い様なんだから」

「……うん」


 ボクは魔王。彼は人間の勇者。

 敵同士だった二人が、なぜかいまはこうやって肩を寄せ合いながら馬車に揺られている。



 メッチャ白い目で睨まれながら。



「ちょっ。離れて、ギデオン」

「どうして」

「どうしてって、ほら、ヘンリが」

「んー?」


 もう、うっとーしい。大人しく座ってなさい。


「まーたいちゃついてますねー。これ以上馬車の揺れをヒドくしないでくださいよー? ふわぁ」


 リリーがやっと目を覚ましたようだ。

 ギデオンがいくら無制限発情男だって、他の人が乗ってる馬車の中でそんなことしないよ。


 ……しないだろうね?


 毒気を抜かれたか、何か言おうとしていた節のあるヘンリも、そのまま黙って外を眺めている。


 すると、遠くに。


「あ。灯りが」

「……ついたな、あそこがカサメの禁足地だ」



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「お初にお目にかかります、ピルチャー卿。エーレントラウト・カッシングと申します」

「これはこれは、噂以上に愛らしいお方だ。ようこそピルチャー領へ。私が当主のキャメロンです」



 ―― キャメロン・ピルチャー辺境伯



 年の頃なら四十前後。くすんだ金髪を貴族男性にしては短く切りそろえた、清潔感のある礼儀正しい男性だ。一見すると少し優男にも見えるんだけど、然もあらず。終戦しても未だ最前線の国境警備の長を任されているのは伊達ではないのだ。


 実は、ボクは今回より前に彼の名前を知っている。


 ギデオンが所属していた最後の勇者チームが通称『魔王砦』に突入できたのは、時を同じくして魔族の重要拠点『ハイデラゲル砦』を彼が墜としかけたからだ。


 もしあのままハイデラゲル砦が陥落してたら、今回のような講和は絶対に成立しなかっただろう。魔族は条件として隷属を強いられ、それをよしとしない魔族ボクらは、泥沼の徹底抗戦をいまも続けていたはずだ。



「ピルチャー卿、早速なのですが」



 挨拶が済めばボクの仕事は終わりだ。

 あとは伯爵同士の相談になる。

 明朝の関所越えの許可をもらうためにギデオンが口を開くのと同時に、ボクは黙ってそこから少し離れた。


「早馬でお話は届いています。ですが、この状況で慰問というのはどうかと」

「この状況だからだと考えたのです。ここにくるまで卿の兵のみか王国兵まで多数集まっています。あちらを落ち着かせることが事態を収拾させるために重要だと考えます」


 うーん、少し離れたところで漏れ聞こえる話によれば、ピルチャー卿はボクらが関所を越えることに難色を示しているようだ。


 そしてしばらくして。


「……ふむ。でしたら、カッシング卿。あなただけというのはいかがでしょう」

「妻の出国は許可できないと言うことですか」

「いえいえ『許可』などと大袈裟な話ではないのです。ただ、いろいろな面から夫人にはご遠慮いただいた方が……と」


「勇者夫妻が魔族側の関所に許されて入国した、という実績が大事だと思うのです。手紙にしたためたとおりすぐに戻します。パパ=タルソスまで連れて行くつもりはありません」


「むしろそこなのですよ、私が危ぶんでいるところはね」

「危ぶむ?」


「夫人と共に魔族側の関所前で、あちらの貴族や魔族兵に挨拶をする……そうでしたね」

「そうです。そしてエーレンはそのまま戻らせるつもりです」


 うん、それで、の達人に話は通してあるから、魔族側の砦内でボクの手荷物の中に薬を忍ばせてくれることになっている。


「賛成できません。魔族をいたずらに刺激することになります」

「なぜです? 確かに私は勇者として魔族と戦っていましたが ――」

「ええ。厭戦気分が蔓延していた両国民の間で、あなたは一種のヒーローです。歓迎されるでしょう」

「でしたら」

「問題は夫人なのですよ」

「……エーレンですか?」

「ええ、あの方の美しさは、魔族軍を刺激するのに充分です」

「たしかに彼女はかわいいですが、だからといって」


 オイ、そういうとこが伯爵らしくないんだぞギデオン。

 そのまま認めるな。


 ……まあ、悪い気はしないけど。


「私がハイデラゲル砦を攻めた話はご存じですか」

「それはもちろん。私の部隊が侵攻できたのは卿のおかげです」

「その砦でね、私は美しい、とても美しい女性の肖像画を見たのです」


 え。あ。

 そういえば、砦にはその主用途によって、魔王と王妃の肖像画が飾られることになっていた。


「捕らえた魔族兵に聞けば、あれは先王のお妃だったらしいんですよ」

「……」


 ボクは即位間もなかったし、そもそも結婚する前に父がなくなって魔王になってしまったからね。そのままになっていたんだ。

 

「なぜでしょうね。夫人は、先王妃にそっくりだ」

「他人のそら似ですよ」

「そうかもしれませんね。人間では希有な髪の色も瞳の色も、魔族では当たり前にあるものと聞きますが」

「ピルチャー卿、何がおっしゃりたいのですか」


 たしかにボクの顔は母上そのものだ。

 でも、あそこに飾ってあったのは、大人になったあとの母上の肖像画で、ボクと弟を産んだあとの姿を描いたものだし、いくら似ているとは言っても、人間年齢で十四~五歳相当に見えるいまのボクと同一であるとは言い切れまい。


 だけど、勇者ギデオンの元に魔王スタニスラスが封印されていることは、有力貴族の中では公然の秘密だ。

 なら、ここにいるボクを魔族の少女だと考えてもおかしくはない。つまり、魔王の元に身を寄せている王女ではないか、などと。


 いや、それどころか、魔王の突出した魔術の能力を考えれば、ボクが魔王が化身した本人ではないかとを抱くことも、あながち突飛な発想とは言えないと思うんだ。


 ともあれ、この剣呑な雰囲気はマズい。


「お話中大変失礼します」


 こうなったらノープランで割り込むしかないじゃないか。


「エーレン、いまは君の出る幕じゃない」

「だんな様、申し訳ありません。ですが、ピルチャー卿」

「なんでしょう」


 さて、ここは攻め続けないと詰むぞ。


「聞くともなしに耳に入ってしまったのですが、わたくしのこの姿が魔族に似ているとおっしゃいましたね」

「……いえ、そうではなく、魔族にあなたに似た方がいらしたので誤解を招いてはいけないと」


 さすがに、余所の伯爵夫人を証拠も無しに魔族呼ばわりはできないよね。


「でしたら、魔族軍の目の無いパパ=タルソスまで参ります」

「は?」

「向かおうとする地の情勢くらいは調べてございます。パパ=タルソスには駐留軍はいませんね?」

「それは、そうですが」

問題だとおっしゃいました。でしたら、それで構いませんね?」


 ピルチャー卿は、ボクが魔族側に渡ることを問題とは言わなかった。

 そこを突くしかない。


「ええ、ですが、安全の問題もありますし ――」

「我が夫、ギデオン・カッシングは勇者です。軍事レベルの襲撃は考えられない現状で、彼以上に優秀な護衛はそうそうおりません」


「不測の事態ということも」


 もう一押し。


「ピルチャー卿。仮にも伯爵家の夫人が、まるで魔族に通じているかのごとく公然となされた先ほどの物言い、あまりに無礼ではありませんか?」


「カ、カッシング夫人、私は決してそのようなことは ――」

「でしたら、妻が夫と同行して魔族側に渡ることを問題視する理由はありませんね」


「う……」


 ピルチャー卿は、露骨な失策に顔を歪めて、継ぐべき言葉を必死で探しているようだ。

 ボクが出てこなかったらこうはならなかったはずだもんね。


「ピルチャー卿。それをお許しいただけるなら、卿が私の妻を侮辱した事実は無かったものと認めます」


 ん。やるじゃんギデオン。うまいアシストしてくれてありがと。


「……わかりました。では、せめて護衛をこちらからおつけします」



 「「けっこうです」」



 監視はいらないよ。


 ひとまずなんとかなったけど、これでピルチャー卿の覚えは悪くなったし、たぶんボクへの魔族疑惑はそのまま残っているだろう。

 のちのち、面倒ごとがおきなければいいけど。

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