第29話 そうだ、魔界へ行こう

「つまり、リリーは陛下がエーレンに付けてよこした護衛なんだな?」

「はい、だんな様」

「エーレンは、自分の弟が王都に留め置かれていることを聞かされていると」

「はい、ですが、それをようです」

「うーん、そういうことか」


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「ヘンリには二重スパイになってもらいます」



 奥様がそう高らかに宣言した。

 今度は何を言い出すのかと思ったら、私を中心に、奥様側とだんな様側で情報を分断したい。より正確には、だんな様だけを蚊帳の外に置いておきたいと、そういうことらしかった。


「嫌な役を押しつけるけど、これ、ギデオンには知られたくないから」


 はいはい、そんな乙女な顔で言われたら断れないじゃないですか。


 そういうわけで私はいま、立板に水でだんな様にウソを連発しているところなのだ。


「陛下は第二封印のことはご存じなのか?」

「少なくとも奥様はそれを伝えられてはいないようです」


 ここは半分本当。


「ヘンリ、君には嫌な役割を担ってもらうことになるが ――」


 よろしいですとも。

 この似たもの夫婦のほほえましい姿を見て、誰が否やを言えましょうか。



 ―― だけど、私はいったいなんなんでしょうね。



「まあ、ウソは得意中の得意ですが」


 誰にも聞こえないようにつぶやいたあと、自嘲の笑みを浮かべる私なのだ。



 だってね。

 実は、一番大事なところを……奥様もだんな様も知らないんですよ。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



 その日の昼下がり。ヘンリが封筒を手にボクの部屋を訪れた。


「奥様、クスリの手配がつきました」

「ホント? よかった。これなら充分間に合うね」


 数日前にヴァンパイアバットに噛まれて以来、ずっと眠り続けているフィリベルトを治療するためのものだ。


「それで? いつ届くのかな。念のために魔術医先生も呼んでおいた方がいいだろうし」

「はい奥様。そこなのですが……」


 いま現在、魔族は混乱の最中にある。

 それはそうだろう。終戦間もないこの時期に、ボクが行方知れずになり、次いで摂政までもがいなくなったのだから。

 軍事的な衝突こそないものの、ここから二つほど領地を越えた場所にあるピルチャー伯領のカサメの禁足地関所は厳戒態勢だと言う。

 とても魔族の行商人民間人が抜けられる状態ではないらしい。


「荷物はカサメにあるの?」

「はい。魔族側で足止めを食っているそうです。関所の番人に袖の下を渡してこの手紙だけは通してもらったそうですが、クスリはとても」


 つまりは、何やら疑わしいから通してもらえないんだよね。

 じゃあ、身元をこちらで保証すればいいんじゃないかな。


「だんな様にピルチャー卿への手紙をしたためてもらうのはどうかな」

「申し訳ありません。こんなことになるとは思っていなかったので、とにかく速度最優先の……その、伯爵家が取引するにはあまりにも問題のある商人を使ってしまいまして」

「ああ、交易証がないんだ」

「はい」


 ここでヘンリを責めることはできないだろう。

 正式ルートでの取引を求めたら、おそらく数ヶ月は待たされかねないのだ。


 となると……。


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「俺が魔族領に?」

「うん、ギデオンなら講和の立役者として魔族にも名が通ってるでしょ? カサメから二日ほどのところにある『パパ=タルソス』市に慰問する形で向かうのはどうかなって」

「俺ってそんなところで名が通ってるのか。いや、だがそれではクスリを持って帰るまで一週間近くかかるぞ」


 ここからカサメまで往復二日、カサメからパパ=タルソスまで往復四日。


「カサメまではわたしも同道するよ。奥様のボクは国境を越えたという実績があればいいでしょ? そこから安全のために帰るのも不自然では無いと思うよ」


「まあ、それはそうか。だが、俺も君もいないとなると、留守番をどうするか」

執事ダスティンがいるじゃない。彼ならギデオンより安心なくらいだよ」

「悔しいがそれは事実だとは思うけど、帰りを考えるとダスティンはエーレンにつけておきたい」

「だいじょうぶだよ、ヘンリとリリーに守ってもらう」

「……リリーなぁ。腕は確かなんだろうけど、あいつどこまで信用できるんだ?」


 どこまで、か。

 あの子もまた、ボクらと同じく確実にどこかぶっ壊れてるんだよね。


「彼女は、彼女の領分を侵さない限りは、信用できると思うよ」


 とりあえず、それだけは言えるんじゃないかな。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



 出発は翌朝に決まった。

 すでにピルチャー卿への手紙は早馬で送ってある。ボクらが出発する前には届いているだろう。


 万が一ピルチャー卿から関所越えの許可が下りなかったら、という懸念は残ってるけど、その可能性は恐らく低いと思う。勇者ギデオンには対魔族においての裁量権が他の領主より大きく付与されているし、ギデオンとピルチャー卿の関係も特に悪いものは無い。


「えっと、着替えはこっちがいいのかな。あとでヘンリにも見てもらおう」


 あくまでも貴族としての訪問になるわけだから、それなりの支度をした上でのんびりと進んでいかなければならないのが歯がゆいけれど、急がば回れだ。結果的にこれが一番早いのだと思って納得しよう。


「三日か」


 本当はこちらに戻ったらヘンリを単独で走らせてクスリを届けたい。

 だけど、それはギデオンが絶対に許さないと言うし、ヘンリ自身も強く抵抗したから諦めた。


 この間の一件から、いままで以上にボクの身辺に関してうるさくなった気がする。


 そういえばあの一件だ。


 フィリベルトのこともあったし、サム爺さんのお葬式もあったし、とにかく短期間にいろいろあって後回しにしていた。


 襲撃は雑でチンピラそのもの。

 だけど、依頼されてボクの誘拐を目的にしていたのは連中自身が言っていた明らかなこと。


 敵は、ボクら四人を相手に三人で襲いかかってきた上に全滅した。


 馬車を見ればカッシング家のものなのはわかるから、魔王であることボクの正体は知らなくても、カッシング夫人ボクの素性は知った上で誘拐しようとしたはずだ。


 貴族の馬車だもん、護衛がいることは考えるよね。

 どうせいても一人だろうからと強行した?

 実際、フィリベルトだけだったらボクはやられていた可能性が高い。リリーは明らかにイレギュラーな存在だった。


「やっぱりわからないな」


 ギデオンの方に向かったのは、数も質も充分に高い襲撃者だったという。

 アレがボクをさらうための陽動だったとは思えない。戦力の配置が逆だ。


フリートの放った刺客とは別働隊がいる?


 ……そういえば、フリートはボクの命をねらっているんだったっけ。

 であれば、誘拐する必要はないよね。


「ん。わかんない」


 わかんないことを考え続けてもわかんないことがわかんないだけだ。


「ヘンリ、ヘンリ~」


 ガチャ。


「お呼びでしょうか、奥様」


 隣室からヘンリがやってきた。


「お風呂入ります。準備して」

「はい」

「あ。もう聞いたと思うけど、ヘンリも明日の朝は早いから準備しておいてね。あと、リリーにも伝えておいて」

「かしこまりました」


 ちゃぷちゃぷ。


 ああ、やっぱりヘンリは髪を洗うのが上手だ。

 ボクは未だにこの長髪を扱いあぐねている。

 何度か切ろうとしたこともあるけど、そのたびにギデオンが泣いて反対するんだ。


 いや、ホントに泣くんだよあの男。


「久しぶりの里帰りだね~」

「まあ、入ってすぐ戻りますけどね」

「あはは」


 それでもやっぱり、感慨深いよ。


「楽しみですね、奥様」

「ヘンリも? そっか。うん、そうだよね」


 今夜はゆっくり寝るぞ。


 ……ギデオンがのしかかってきたら、蹴り飛ばしてでも拒否ってやるんだから。

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