第25話 ヘンリーケ・リーツ その2

「リリーの魔紋スタンプを取っておいて。?」


 奥様は、私の返事を待たずにベッドルームへと向かわれた。

 無論、できる。


 だけど、アレはそういう意味じゃない。



「以前にボクの魔紋スタンプを無断で取って封印に使ったよね」



 そう、言われたんだ。


「お気づきでしたか」


 それを耳に入れるべき主人はすでにここにはいない。

 ひとりでに漏れた言葉だ。


「わかりました、奥様」


 ご命令だ。彼女の魔紋スタンプを取りに行こう。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「おはようございま~~~~す!」

「うわっ!?」


 その日のボクの朝は、伯爵家には全くそぐわない素っ頓狂な挨拶から始まった。


「え? んー……? あれ? リリー?」

「はい、奥様。あなたのリリー・マールバラでございます。お疲れですか? 寝ぼけてますね? さては、夕べはお楽しみでしたね?」


 イラッ。


「あのね、リリー? この際はっきりさせておこうよ。キミの態度はさすがに目にあま ――」


「あー、そうだ、奥様ってヒドくないです? 一人で先に寝ちゃうんだもん。私はだんな様やダスティンさんに根掘り葉掘りツッコまれて大変だったんですよ。ホントにもう、だんな様もツッコむのは奥様だけにしとけってもんですよね」

「いやあの……やっぱりいま魔術を使うのはキツかったみたいでね、もうむりだったんだ。ごめんね」

「いえいえ、いいんですよ。前もって奥様と口裏を合わせておいた設定で乗り切りましたし」


 実はまだ頭が重い。


「そう? よかった。……って、キミいま、相当にふざけたこと言わなかった? だんな様がなんだって?」

「だんな様、カッコいいですよね」

「でしょ? まあ……ちがうって!!」

「チョロ」


 陛下はどういうつもりでこの子を送り込んできたんだろう。

 この子の言を信じれば、陛下直々の任命らしいけど。


「あれ? ところでどうしてキミが来たの。ヘンリは?」

「あ、そうそう。ヘンリ先輩も体調を崩したらしいですよ。鬼の霍乱ってやつですかね。あとで顔を出すから奥様によろしくって言ってました」

「そう」

「様子がおかしかったですもんね。昨日は私に妙に優しかったし」

「そうなの?」

「はい。だんな様たちに攻められたあと、肩を揉んでくれたし、なんか頭まで撫でてきましたよ?」


 ちゃんとみたいだね。


 あの子はボクと顔を合わせづらくて逃げているのかな。ホントに体調不良じゃないといいけど。


 時間も気力も無かったせいで、命がけの献身を見せたリリーが身を挺してボクを庇って殺人を犯してしまった、みたいな雑な設定にしてしまったから、そんなのにだんな様が納得するはずがないよね。


 そして、納得するはずがないのをリリーだってわかっているはず。



 さあ、今日もみんなで茶番を始めよう。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



 奥様と顔を合わせづらかったのは確かにその通り。

 だけど、体調不良も本当だ。仮病じゃない。


 合わせづらすぎて身体が拒否反応を起こしているせいだろうか。


 ああ、それなら仮病の一種と呼べないこともないか。


「よし」


 着替えて髪を整えていやみにならないような最低限の化粧をする。

 時間はもう昼近い。いつまでもベッドに潜り込んではいられない。


 万が一、奥様の方からこられたら……心の準備というものができないではないか。


 私、ヘンリーケ・リーツは、傍らに置いておいたハンカチをそっとポケットに入れて、奥様の部屋へと向かった。



「おはよう。もう体調はいいの?」



 奥様はいつもと変わりない様子で応じてくれた。

 そんな優しい声を耳にしながら、私の心の中では不安が渦巻いて止まる様子がない。


 本当にまだ、私を心配してくれているのだろうか。


「奥様、頼まれていたものです」

「うん、見せて」


 ポケットに入れたハンカチ。それに包まれていたのは、赤くて四角くて薄い板のような宝石……魔石だ。


 奥様が右手につまんだそれを太陽に透かすと、その光を受けるように開いておいた左手の平に、複雑な紋様が広がる。リリーの魔紋スタンプだ。

 


「うんやっぱり、超一流とまではいかないけど、それなりの術者だね」

「はい。敵陣に混じっていたら真っ先に始末すべき相手だと思います」


 奥様はそこで、小さく頷いて続ける。


「ありがとう、ヘンリ。今日はもういいよ、下がって」

「奥様、聞いてください」

「ん? なに」


 私は動けなくなった。

 『聞いてくれ』って、なに。


 私が奥様に話せることなんてないでしょう。


 そこには事しかないじゃないか。


「何も無いなら、下がって」

「奥様、あの!」


 なおも食い下がる私に、奥様はいままで見たこともないような厳しい視線を投げかけてきた。


 息が詰まる。声が出せない。


「ヘンリも望んでるようだし、ここで、はっきりさせておこうか」


 ……奥様。


「なんて。ボクもけっこう意地が悪いよね。キミにプレッシャーをかけ続けている」


 そうだ。昨晩は一睡もできなかった。

 うとうとするたびに、私を責める奥様の顔が思い浮かんで飛び起きるのを繰り返した。


「だけど、ヘンリが悪いんだよ。だんな様と一緒になって、ボクに隠し事ばかりしてるし」



 ☆★☆★☆★☆★☆★



 覚えているぞ。忘れていないぞ。

 そんな私を、そして彼を、お前たちが笑っていたことを。


 ―― ぜったいに王子スタニスをお前たちになど渡してたまるか。


 子供だったとはいえ、えげつないことをしてきたと思う。


 スタニスに興味を示す女子を見つけると、片端から彼についての悪い噂をでっち上げては吹聴して回った。


 その頃からそんな才能があったんだろう。

 少女達の興味を、いとも簡単にスタニスから外し続けることができた。


 やがて私たちが少し大人になると、魔王の後継者に婚約者をあてがおうとする動きが見え始めた。いずれもデーモン族の名家の息女で、スタニスの態度にもさして不満らしきものが見当たらない。


 家柄や肩書きに釣られて寄ってくるハイエナのような連中に彼を渡せない。


 だが、婚約となれば家同士、大人同士の問題だ。

 いままでのように多少の悪評をばらまいたところで、それらはビクともしないのだ。


 ならば、根も葉もない噂に頼るのはやめよう。

 真実なら、どうだ。


 所詮は蝶よ花よと育てられた世間知らずの箱入り娘たちだ。

 ちょっとに秀でた男たちをけしかければ……ほら。


 すぐに関係を持って、スキャンダルの発生だ。

 の上なんだから、言い訳のしようもない。


 私はこの頃にはもう他者の心理を操る術に秀でていたんだと思う。


 男とたちはちょっと乗せてあおってみせるだけで、ウブな良家の子女との橋渡しをしてくれる私に尻尾を振ってきた。


 そんなことが三~四回も続いた頃、前陛下はさすがに激怒なされた。



『今後、このようなふしだらな娘を次期国王の妻に推すような輩が現れたときは、責任をその命であがなってもらう』



 その後、王子の婚約者候補が現れることは二度と無かった。



 しばらくは安心できる日々が続いた。

 いつまでもこんな風に、スタニスを見つめていられる日が続くといいなと思った。


 が。


 あるとき、令嬢たちにあてがった男たちが、私の前に現れて言った。



 ―― 新しい女を紹介しろ

 ―― できないというならおまえのしたことをバラす

 ―― いや、



 怪力で知られるダークエルフも、男四人に不意を突かれて組み敷かれてはなすすべもない。


「やめろ、やめて、ちょっとおまえら、ふざ、ふざけんな!」


 自分の耳に届いた自分の声を聴いてようやく気がついた。

 何のことはない。


 ―― 自分は、無力で女の子に過ぎなかったのだ。


 私は勘違いしていた。思い上がっていた。

 自分が誰かを自由に操れると、誤解していた。


 その報いがこれか、とあきらめた。


 そんなとき。


「やめろよキミたち」


 そこに現れた。


 私の王子様が。

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