第24話 ヘンリーケ・リーツ その1

 私の名はヘンリーケ・リーツ。

 しがない貧乏伯爵家の奥様付きメイドだ。


 だが、それはあくまでも仮の姿。

 この白い肌も、丸い耳も、作り物で偽物だ。


 本来の自分は、誇り高きダークエルフ族の戦士なのだ。

 いや、少なくとも、そうした家に生まれたはずなのだ。


 母が王家の乳母をしていなければ。

 そして、たまたまほとんど自分と同じ頃に、やがて魔王となる男の子が生まれていなかったら。

 きっと私は、一族の中でも名うての戦士になっていたはずだ。


 何をやらせても平均以上を難なくこなしていた私と比べて、あの王子様はいかにもどんくさかった。


 学校の宿題がわからないと言っては私に頼り、逆上がりができないと泣きついてきては、私は彼のお尻を押し上げて鉄棒の練習につき合いもした。


 そう。


 たまたま同じ頃に生まれていなかったら。

 たまたま私の母が彼の乳母でなかったのなら。


 私は、もっと頭がよくて、運動もできて、他の女の子たちにも大人気な、そんな普通の男の子に恋をしたのだろう。


 だけど残念なことに、私のそばにいたのはいつだって彼だった。

 見た目だけは辛うじて及第点の、どんくさい王子様だった。


 母が『勇者』に殺されたときに、父より近くでずっと手を握っていてくれたのが彼だった。胸元が私の涙と鼻水でぐちゃどろになっても嫌な顔せずに頭を抱いていてくれたのが彼だった。

 

 この誇り高きダークエルフ族の女戦士(見習い)の淡い初恋が向けられたのが、甚だ不本意ながら、いつだってそばにいてくれた優しさしか取り柄のない苦労知らずのお坊ちゃまだったのも、仕方のないことだと言えるだろう。


 やがて、第二次性徴期を迎える頃、彼の身に起きた小さな変化は、環囲を大きく変質させた。


 彼の頭部にツノが生え始めたのだ。


 デーモン族においてツノの存在は大きな意味を持つ。

 彼らのツノは、強大な魔力を扱うための能力に大きく影響するのだ。


 いわんや、彼は第一王子。そんな彼が、魔王になるための絶対条件をこれで満たしたのだ。


 次代の王は確定とされた。


 いままで平凡で目立たなかった彼に見向きもしなかった連中が、突然に手の平を返して周囲に群がった。


 その中でも特に許せなかったのが、同年代の女子たちだ。


 お前たちが、剣技や球技に秀でた派手でキラキラ輝くような男子生徒たちに黄色い声を上げていたころ、私は彼の宿題を見てあげていたんだ。鉄棒を手伝ってあげていたんだ。


 覚えているぞ。忘れていないぞ。


 そんな私を、そして彼を、お前たちが笑っていたことを。


 ぜったいに王子スタニスをお前たちになど渡してたまるか。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「こんなものですか」


 女性にしては高めの身長をメイド服で包んだヘンリーケ・リーツが、たったいま斬り倒したばかりの獣の頭部をつまさきで軽く蹴りながら、そうつぶやく。 


「あらかた片づきましたかな」


 執事にしては少し太すぎて見える二の腕を、特注品の執事服で隠して立つのはダスティン・フェルトン。右手には鍛えられた腕にふさわしい長大な剣を下げている。


「お前たちはなんでその格好のまま着替えようとしないんだ?」


 こちらは一見すると中堅の冒険者といった風情の、動きやすく丈夫な衣装に身を包んだ、もっともこの場にそぐう姿の男。

 だが、その素性は、彼がいま立っているこの領地を治める若き伯爵なのである。


 その名を、ギデオン・カッシングと言う。


「なぜと言われましても」

「これが我らの制服ですからな」


「「ね」」


「相変わらず仲がいいよな」


 生真面目な仕事態度といい、過去には荒事で名を売った実力者という点といい、性別も年齢もまったく違う二人だが、何やら通じ合うものがあるのかもしれない。


「だが、このへんで終わりっぽいのはその通りかもしれないな」


 そう言いながらも、ギデオンは油断なく周囲を見渡す。


 二本足の遺体が五つ。四本足のが……十二、三。

 足の数が規格外の死体が……一つ。


「ヘンリ、あの馬鹿でかいムカデみたいなやつだが」


 ヘンリはギデオンが指さす先を一瞥して、すぐに目をそらす。


deadly殺人 centipedeムカデですね」

「もしかして、ムカデは苦手か」

「別に」


 だが、ヘンリは徹底してを見ようとはしない。


「女の子らしいところもあるんだな」

「違うと言っていますが?」


 決して口にはしないが、ヘンリのこういう強がりなところは、ギデオンの好みにピタリ合致するのだ。


「奥様を泣かせたら殺すと何度も言っていますよね」

「いやいや、俺はまだ何もしていない」

「まだとは?」

「そこはツッコむな」


「だんな様の女好きは数多くいた勇者の方々の中でも知れ渡っていましたからな」


 ざく、ざく、と荒れ果てた土壌を踏みしめながら、ゆっくりと老執事が近づいてくる。


「やはりそうでしたか」

「混ぜっ返すな、ダスティン」

「これは失礼を」


 彼がここにいることでわかるように、すでにダスティンはのおおよそを打ち明けられていた。


 本来はギデオンとエーレン、そしてヘンリだけの胸に納めておくはずの『魔王』の秘密だったが、ここしばらく頻繁に発生する魔物トラブルを効率よく片付けるためには、ダスティンも秘密の共有者に引き込むしかなくなったのだ。


「それにしても、ヘンリは強いですな。魔術を完全に封じられているのだろう?」

「ええ、まあ。ですが、どうせこの少人数で多数に当たるとなれば、魔術を使う余裕はありませんから」


 呪文の詠唱には高い集中力と確実な発声を必要とする。


 詠唱中の魔術師の状態は『棒立ちで目を閉じている』に等しいのだ。

 護衛がいなければなかなかできるものではない。


「怪力と弓の腕だけでも並の人間の戦士じゃ太刀打ちできないからな」

「怪力などと、女性に向けて言っていい言葉では……ん?」


 言葉を途中で切ったヘンリを見て、ギデオンとダスティンは黙って周囲の警戒を強くする。


 が。


「違います、上です」

「上?」


 ひらひらと、ふわふわと、紙で折られた鳥らしきものが、ヘンリの手の平の上に落ちてきた。それはもう動くことはない。役目を終えたことで力尽きてしまったのだろう。


「奥様の『伝書鳩』です」

「エーレンの? 何があったんだ』


 それには応えず、黙って折紙を開くヘンリ。

 ざっと目を走らせてから、その手紙をギデオンへと手渡した。


「あっちも襲われた? 御者サム従者フィリベルトがやられたって?」

「落ち着いてください。賊は退けたとあります。サム爺さんに関しては残念ですが、フィリベルトさんは充分助かりそうです」

「そ、そうか」


 手紙を覗き込んだダスティンが、難しい顔をして言った。


「ここに書かれている位置の森だと、夜には狼が出ますな」

「マジかよ。行くぞ」

「だんな様、お待ちを」

「なんだ」


 ヘンリはこんなときでも冷静さを崩さない。


 だが、それは彼女の本質が表面に現れているわけではない。

 むしろ逆だ。

 ヘンリほどに情熱的な女性はなかなかいないと言ってもいい。


 だが、それを自覚して抑えるすべを学んできたからこそ、いまの彼女がある。むしろ、こんなときだからこそ冷静にならなければいけないのだと、した結果なのだ。


「私が先行します。お二人は馬車で追ってきてください」

「バカいうな ――」

「バカはあなたです。私一人とあなたと二人。どちらが早いですか」


 ヘンリはギデオンの反発に耳も貸さずにそう言い放つと、一人で馬へと向かった。


「途中の村で乗り換え用の馬を徴発します。ご認可を」


 さすがにエーレンまでの距離を全力で走れる馬はいない。

 最速で向かうためには、領主権限を使ってもらう必要がある。

 

「あ、ああ。わかった。許す」

「はい、では」


 それだけ言って馬を走らせたヘンリの背中が、ギデオンたちが見守る中であっという間に小さくなっていった。


「俺たちも行くぞ」

「はい。だんな様?」

「ん?」

「大した女子おなごですな」


 その言葉にはギデオンも苦笑い。


「ああ。亭主の立場がないな」



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「日が傾いてきましたねー」

「そうだねー」

「えっと、あ、ここ、こう」

「うーん、そうくるか」


 伝書鳩を放ってからやることもなかったボクたち二人は、たまたまバッグに入っていた刺繍糸に目をつけたリリーの誘いに乗って、あやとりに興じていた。


 あやとりと言えば女の子の遊びだし、それも人間族しかやらないものじゃない?

 少し前まで魔族男子だったボクにとって、全くの未知の遊びだったんだ。


「こう……かな」

「あー、ダメです奥様。そこ、小指で引っかけないと崩れますよ」

「え、うーん。こう?」

「ですです。初めてにしては筋がいいじゃないですか」


 正体を知って以来、荒っぽいことばっかりしてそうなイメージになっていたリリーだけど、やっぱり生来の女の子は違うよね。こういう遊びは小さい頃に一通りこなしているらしいよ。


「はい。川、ホウキ、そして、流れ星~~」


 一人あやとりをやらせても、実に見応えがあった。


「そうですね、次は~……ん?」


 リリーが突然に耳を澄ましはじめた。


「どうしたの?」

「しっ! 奥様、しっ!」


 ……この子の無礼さはホントにどうにかならないんだろうか。


「馬のひづめの音ですね、誰か来ますよ」

「え?」


 ボクには全く聞こえない。


「助けだといいんですけどね~」

「うーん、ヘンリにしてはちょっと早すぎると思うんだけ ――」


「奥様っ!!!」


 と、叫び声がした。


「ヘンリ先輩ですね。早いなぁ。愛ですかね?」


 それには応えず。


「ヘンリ、ここだよ!」


 ボクは、ありったけの大声で彼女を迎えた。


 ・

 ・

 ・

 ・


 ヘンリの持っていたロープで、一人ずつ街道まで引き上げてもらった。


 持ってきていた予備のメイド服に着替えても、顔に残る擦り傷や髪に飛んだ返り血が隠しようもないリリーを見て、ヘンリは何事か言いそうになって、そこでやめた。


「奥様、お話は戻ってから聞かせていただきます」

「ん。ボクも話したいことがあるから、あとでね」


 そうして、ヘンリは黙ってフィリベルトの身体を調べている。

 首筋にあるヴァンパイアバットの牙の痕以外は、特に外傷はないそうだ。


 途中の村で買ってきたというパンを三人でかじる。

 ホントに彼女は如才ないね。そういうところも忘れないんだ。


「「「…………」」」


「あの、奥様? ヘンリ先輩? なにかお話ししません?」


 いやいや、キミは率先して黙ってなさい。

 ここで話題を探したら、キミのその姿の話しかないでしょう。


「あなたは……ううん、いいわ。奥様を守ってくれたのね、ありがとう」

「え。あれ? あはは、ヘンリ先輩、デレ期ですか? ツンは終わりました?」

「デレ? ツン?」


 なんだかよくわからないことを言い出すリリー。

 人間の女の子なら当たり前にわかる話なんだろうか?


 って、それより。


「ああ、そうだね。結局お礼を言ってなかったっけ。ありがとね、リリー」


 落ち着いたいまなら言える。


「やだなぁ、奥様まで。そういうのガラじゃないんですって。もっとフランクに接してくださいよ」

「メイドが主人に対してフランクなのは、まったく感心できないわね」

「なら、友人同士くらいはフランクにいきましょうよ、ヘンリ先輩」

「誰が友人ですか。あなたはただの同僚よ」

「うわ、ひっど。どーですか奥様、あれ。またツンですよ」

「ツ、ツン?」


 うん、和気あいあいだなー。女子会だなー。

 なんとなく気がゆるみまくるね。


 貴族の奥様方に比べると、二人ともホントに毒が無くてかわいいよ。



 ワオーーン!



 あ、狼らしき遠吠えが聞こえる。


 そんなこんなしている間に、日が沈んで辺りは真っ暗になっていた。明るいうちに来てもらえてホントによかったよ。


 しばらくすると、遠くから今度は馬車の車輪の音が響いてきた。

 今回真っ先に気付いたのはヘンリ。耳のいいリリーも、ダークエルフには勝てなかったみたい。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



 ギデオンが嫌がるぼくの気持ちを無視して抱きついてきたり、しばらくそのまま離れなかったり、悲鳴を上げても耳をはむはむしてきてうっとーしかったり、さすがに見かねたヘンリが引き剥がしてようやく身軽になったり。


 いろいろありました。


 サムの遺体や眠り続けるフィリベルトを馬車に乗せて屋敷へ戻った頃には、とっぷりと夜も更けていたけれど、死人まで出ていてそのまま穏やかに時が進むわけもなし。


 だけど、戻ってくれば、ボクにできることなんかないんだよね。


「奥様、お疲れでしょう、先にお休みください」


 悪いけどそうさせてもらおうかと思った。ごめんね、サム。

 魔術を通すだけなら平気かもと高をくくってたけど、けっこう身体に負担があったみたい。


 じゃあ、最後に、ヘンリに一つ指示を与えて眠ろうか。


「そうするよ、ヘンリ。それでね」

「はい」


 ボクは、精一杯に真面目な声を出して言った。


「リリーは魔術師だよ。彼女の魔紋スタンプを取っておいて」


 ヘンリが息を呑むのがわかった。


?」


 いい機会だと思う。問題を一つ片付けよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る