第23話 スタンプ

「リリー。フィリベルトは?」


 ボクが御者サムの遺体に手を合わせている間に、リリーはフィリベルトを背負って戻ってきた。

 力持ちだな。ボクほどじゃないけどけっこう小柄な方なのにね。


「怪我はないと思うんですけど、眠ったまま起きません」

「ヴァンパイアバットに噛まれちゃったんだね」

「だと思います。あ、最後の一匹は私が始末しました」


 フィリベルトは、ダークエルフの弓使いアーチヤーを倒したところで、ヴァンパイアバットにやられたらしい。結果的に見ればあそこでリリーを向かわせたことは正解だったんだろう。放っておけば魔獣使いテイマーにやられていたはずだ。


魔獣使いテイマーはちょっとビミョーでしたね。コウモリ以外に連れてるペットもいないようでしたし、あれ二流ですね」


 当然ながら、魔獣使いを倒したのはリリーだ。

 彼女の戦いぶりを見るに、護衛もいない後衛職が勝てるわけもない。


 敵の遺体を検分してみると、ダークエルフが一人と、デーモン族ツノ無しが二人。

 見事なまでに、魔族の陣容だ。


 あ、デーモン族は生涯ツノが生えない場合も少なくなくて、その場合はぱっと見だと人間と区別がつかないくらいの外見になるんだ。


「奥様は、あのコウモリの事をご存じなんですよね? フィリベルトさん、だいじょうぶです?」


 先述の通り、ヴァンパイアバットは多数の群れで生活して狩りをする性質がある。連中に眠らされてしまえばほぼ助からないが、その死因はあくまでも失血死だ。


「眠りを覚ますためのクスリはあるからそれを飲めば大丈夫。でも……」

「あのコウモリって、魔族の国にしかいないんですよね」

「そういうこと。クスリは手元にはない。というより、人間の国では手に入らないと思う」

「奥様にツテあります? 時間的余裕があるなら私が王国経由で入手可能だとは思いますけど」

「ヘンリならなんとかなるかな。ダメだったらお願いできる?」

「もちろんです」


 飲めば目を覚ますけど、飲まないとまず自然には治らない。

 そういう症状だ。

 時間をかけすぎれば衰弱死の恐れがある。


「とりあえず、いまはフィリベルトさんより私たちですね」


 いつもと変わらない軽い口調でそう言い放つ彼女の冷徹さに多少の反発を覚えないでもないが、言っていることはその通りなんだ。

 それに、ボクらが帰らないと彼の治療だってできないんだから、結局は彼のためにもボクらが生き残らなければ。


「奥様、まずは現状の確認をしませんか」

「ん。そうしよ」


 まずはできることを一つずつ。


 ・

 ・

 ・

 ・


「一通り見回ってきました」


 リリーに周囲の偵察を頼んだ。

 ボクはお留守番。


 え、いいご身分だなって?


 ちがうんだよ、ボクは反対側を見てくるって言ったんだよ。

 そしたら。


「あ、そういうのいいんで。じゃまだからそこで座っててください」


 こうだよ、あの子。

 偉ぶるつもりないけどさ、ボク、奥様主人だよ。彼女はメイドだよ。

 それよりなにより、魔王さまだよ。知ってるんだから、もっと敬意を払うべきだと思う。


「ごくろうさま。それで、出口は見つかった?」


 崖の上まではパッと見で十メートルというところか。

 それほど高くはないが、なにせ崖が垂直に近い上に土はもろく足を引っかけられるような出っ張りもほとんどない。


「さすがの私でも、道具無しでこれは無理ですねー。レンジャー!」


 なんか叫んでる。まあツッコまないでおこう。


「それで、周囲は?」

「一辺は見事な崖です。あの馬車でも落ちたらぺしゃんこ確実の高さでした」

「そういえば、このへんは険しい地形が多いんだったっけ」

「で、残り二辺ですが、どっちも少し歩いただけでは森から出られそうにないですね」


 要するに、登れない崖と降りれない崖に挟まれた、深い森の中にいるわけか。


「私だけなら抜けることもできると思うんですけど、さすがにいま奥様をにするのは避けたいんですよね」

「ボクも一緒にはダメなの? あ、でもフィリベルトを一人にして獣でも寄ってきたらマズいね」


 この辺りに野生の魔獣はいないけど、普通の肉食動物なら当然のように点在しているのだ。


「それもありますけど、奥様じゃついてこれないでしょう。冒険者経験がおありと言っても、やっていたのは魔術師純メイジですよね。むりです。むりむり」


 ……ま、そうだよね。リオン王子息子と組んでたんだから、ボクの過去も国王陛下父親の耳に入ってるか。


 あ、でも、この子、ぜったいから来てるはずだよね。


「キミは?」

「はい?」

「キミの魔術でこの崖を飛び越せない?」


 この程度の高さなら、中庸の魔術師でも『浮遊floating』で上がれると思うんだ。


「あー、むりです。私は魔術そつちはさっぱり」

「そうなの? 意外だね」

「才能ですよね。身体を動かすのは向いてるんですけど」


 ふむ。ならば。


「リリー、馬車の中からボクのバッグを取ってきてくれないかな」

「あ、はい。いいですよ。行ってきます」


 馬車は横転してるからね。よじ登らないとドアにたどり着けないんだ。

 ひらりと飛び上がって中に潜り込んだリリーは、苦もなくバッグを片手に再び外へと飛び出してくる。

 

「はい、どうぞ。なにかいいもの入ってるんです?」

「別におやつとか入れてるわけじゃないよ」


 必要なのは、ペンと便せん。


「ヘンリを呼ぶよ」

「はい?」

「伝書鳩を作る」


 言って、便せんにおおよその現在地とボクたちが置かれた現状を記す。


「あの、奥様。ヘンリ先輩にって、どうやって?」

魔族友達同士だからね。テレパシーのようなもので繋がっている部分があるんだ」


 うそだけど。


 さておき、ヘンリがだんな様といる場所はここから二十キロ内外だと思う。

 それなら届くでしょ、たぶん。


「よし」


 おもむろにその便せんを折紙にして、鳥を折る。

 リリーの「大丈夫かコイツ」的な視線に若干いらだちを覚えたが、すぐにわかるさ、見てなさい。


「うん、いい形。どう?」

「え、ええ。上手に折れてるとは思いますけど。あの、奥様? だいじょうぶですか?」


 口にまで出すのがこの子だよね。普通言わないよ。

 それには取り合わずに、作業を続けよう。


「で、ここに~、こう……」

「え」


 鳥の翼に当たる部分に、ペンでさらさらっと。


「あの、奥様、それ見せてもらってもいいです?」

「ん。どうぞ」


 手渡してあげると彼女は、ボクが翼に書いた『文字』を穴が空くほどにらみつけるように凝視した。


「……読めない。これ、場裡への伝手オブジェクトコードですか」

「うん、そうだよ」

「魔族は呪文の手動翻訳ハンドコンパイルができるって本当だったんだ」



 いい機会だし、解説しておこうかな。魔王直々の魔術講座だぞ。


 この世界の魔術には『発声魔術』と『叙述魔術』がある。

 大ざっぱに分類すると、前者は「声による呪文の詠唱で発動する魔術」で、後者は「儀式に用いる文字を使った魔術」なんだ。


 音声にしろ文字にせよ、魔術は人知の及ばない高次の存在 ―― と考えられている ―― に語り掛けることで発動する。


 『発声魔術』の場合は、人間が理解できる形で書かれている呪文ソースコードをそのまま声で唱えればいい。

 その声が『翻訳者インタプリタ』と呼ばれる高次の存在のに届くと、の手により瞬く間に人が読み解けない高次の言語へと変換される。

 そしてその人為らざる言語に組み替えられたは『場裡』に伝わり、そこで魔術が発動する、とされているんだよ。


 じゃあ、その『場裡』とは何か。これがさっぱりわからない。


 そこにいる神のような何者かが、人間の願いを叶えてくれることで魔術が発動すると言われてはいるんだけど、誰が確かめたわけでもないんだよね。


 そこには神がいて、そうしているのか。

 あるいは、その『場裡』自体が変換器のような役割を担っているのか。


 魔族の魔法真理研究者でも未だにたどり着けない謎だ。



 少し脱線したね。『発声魔術』そのものの話に戻ろう。



 『発声魔術』は呪文の構成に一欠片の矛盾も許さない。呪文の詠唱に些かの淀みも許されない。そんな非常にシビアな特徴がある。


 発動する呪文の構造には文学的要素が多分に含まれる。

 必要なことだけを箇条書きで書くような構成では論外だし、かといって物語的になりすぎてもいけない。必須事項をそれなりに詩的に、切実な形で訴えかける努力が必要となる。


 このため、魔術学校では例外なく舞台劇の履修を必須とされている。もちろん台本も自前で作る。

 人間すら魅了できない呪文呼びかけを翻訳者は相手にしないし、長セリフを読むのに噛んでいるようでは、白けさせてしまう。


 一方で『叙述魔術』は別の意味で面倒だ。


 記述にミスが許されない点では同じだが、文字として記す以上は添削を繰り返すことで本番で利用するときの失敗はゼロにすることができる。副次的な効果として、長い呪文を間違いなく記述することが可能になることから、リアルタイム性の要求されない上位の魔術は、だいたいが『叙述魔術』だ。


 一見すると、前もって準備が必要なところを除けば、全てにおいて発声魔術を上回っているようにも思えるよね。だけど、そういうわけでもない。叙述魔術では、人間のために開発された呪文ソースコードを書いても発動しないんだ。


 が理解できる言語に、予め翻訳してから記述をする必要が出てくる。



 そこで登場するのが『場裡の口コンパイラ』と呼ばれる古代遺物アーティファクトだ。



 人間を含めたの魔術師は、これを用いなければ『場裡への伝手オブジェクトコード』を記述することができない。種族的な生まれつきの特性だから、努力や才能では突破できない壁だ。


 高位の魔術になればなるほど希少で高価なコンパイラが必要とされるために、国家に登録されていないような資金的に難のある魔術師では、大規模魔術の行使がほとんどできない。

 コンパイラは一回限りの使い捨てだから、低位のものだって数を作るとなれば膨大な資金が必要になるわけ。

 これは、魔術によるテロを防止する効果もあって、なるほどうまくできているものだと感心するよね。


 そして、いま言った『ほとんどの種族』に含まれない種族の一つが、ボクらデーモン族だ。理由はわからない。一説に寄れば、デーモン族はもともと場裡から分離して肉体を持った種族だから……みたいにも言われているけれど、ボクに言わせればそんなの与太話だ。根拠はない。


 さらに付け加えておけば、魔族がコンパイラ不要で記述できるのは……そうだね、だいたい魔術の難度を一~十で表すとしたら、いいところ六くらいまで。半分よりちょっと上か。

 もっとも、このへんは個人の資質に寄るところも大きいけれど。


 ともあれ、大規模魔術の行使となれば、デーモン族でも場裡の口コンパイラを必要とするケースがほとんどになるわけ。



「これを飛ばせば、たぶんヘンリに届くと思う。そしたら今日中に迎えが来るんじゃないかな」

「あ、でもでも、奥様って魔術を封じられてるはずですよね? これ、動くんです?」


 ああ、そこか。


「『魔術』を封印する技術なんて魔族ボクらにだってないよ」

「え?」

「封じられるのは『魔力』だけ」


 火の起こし方を知っていても、薪がなければ焚き火はできない。

 そういうことだね。


「で、ね。キミの魔力を使うから」

「え、でも、私は魔術師じゃないし ――」

「ああ、いいのいいの。この程度の魔術には魔術師の魔力は要らない。誰だって持っている微量の魔力で充分燃料になるのさ」


 囚われの哀れなボクは、その微量の魔術すら使えないわけで。


「さ、こっちきて。ここにしゃがんで」

「あ、はい」


 右手の平に伝書鳩を乗せて、彼女の右肩に左手を置く。準備完了だ。

 ……今さらだけど、いけるよね? ボクの体内に一度魔力を通すことになるけど、そのまま溜まって出ていかないとかいやだぞ。


 まあ、やってみるか。


「ん」

「あの、奥様、はじまってます?」

「だまって」



 ふんふん、魔力のがいいこと。


 ―― さすが、さんだ。



 なにが「私は魔術師じゃない」だろうね。

 こんな見事な魔紋スタンプを持っててさ。


 人間族の魔術師は魔術の使だけがうまくて、その深層にはまるで無頓着な人が多いと聞く。確かにそのようだ。

 だってリリーって、この魔紋スタンプのレベルの魔術師とは思えないほどに、魔術に関してだよ。


 魔術師じゃない設定だからとぼけてる?


 その可能性はないね。

 だって『魔力を吸われれば魔紋スタンプの有無や質を読まれる』ことも知らないんだもん。


 魔紋スタンプとは、魔術師しか持っていない魔法の指紋のようなものだ。

 これを頼りに魔術を仕掛けた者の特定ができたりするし、いまボクが飛ばそうとしている伝書鳩が目印にしているのは、ヘンリの魔紋スタンプだ。


 本来はそれほどに魔術師にとって重要な存在なんだよね。それを黙って読み取るなんて、魔族の魔術師の間では、絶対的な禁忌にまでなっている。



 何かに使えるかもしれないし、この子の魔紋スタンプを保存しておきたいところだけど、それには道具がいる。いまはむり。



「ありがと、リリー、もういいよ」

「あ、はい」


 ふわ。伝書鳩はぼくの手から離れて空高く舞い上がっていく。


「ほわ~。スゴいですね奥様。さすがまお……あばばばばば」

「気をつけてよね、キミ、口が軽そうだから」

「そぉんなことないですってぇ」


 ともあれ、救助は呼んだ。

 お迎えが来るまで一休みして待ちましょう。


「どっこいしょ」

「あ、奥様お行儀悪~い」


 さて。

 今回の『魔王さまによる魔術講座』はこれでおしまいだ。


 またね。

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