第22話 狙いはやっぱり
「昨日もメアリに怒られちまってさ」
「ああ、メアリさんって大人しそうでキツいですよね」
「でもそこがさぁ、たまらないんだよな」
「あー、そういう性癖なんです?」
楽しそうでいいな、若人たち。
うん。使用人たちが仲がいいのはいいことだよ、心からそう思う。
でも、この、退屈な箱の中でさ、一人疎外感を味わっている
がこんがこん。
馬車の揺れが激しくなる。
このへんはあまり道がよくないね。
荷物の往来も増えてきているはずだから、少し整備することも考えた方がいいかもしれない。
手持ち無沙汰のボクは、そんな風に
「奥様はどう思います?」
「え?」
突然こっちに何やら振ってきたのは、メイドのリリーだ。
メイドとは言ってもそれは仮の姿。隠された正体とは、国王直属の自称連絡員を務めるひまわりのような明るい女の子。
「やはり肉ですよね。そうでないと力が出ない」
「んん?」
力こぶを見せつけるようにしながらそう力説するのは、だんな様の従者を務めるフィリベルトだ。若くして戦場で武功をいくつも立てていた剣の使い手で、今回のオークウッド男爵領への道行きで護衛役をお願いしている。
「お魚ですってば。魚を食べると頭がよくなるんですよ」
「なんの話?」
肉派のフィリベルトと、魚派のリリー。
そこまではわかったけど。
「やだなあ奥様。聞いてなかったんです?」
「オークウッド様のお屋敷の
まかない? まかないって、なに?
「オークウッド男爵領は面積こそ狭いですが、海アリ山アリの名産に満ちた豊かな土地じゃないですか。それだからか、使用人に対しても大盤振る舞いだそうなんです」
はぁ。ん?
「つまりですね、奥様たちがパーティでおいっしぃぃぃぃごはんを食べている間に、私たちも控え室でほとんど同じ物が食べられるそうなんです」
あら。へえ、ステキだね。
そういえば、戦時のオークウッド卿は現場主義で通っていて、身分の低い兵たちとも分け隔てなく一緒に食事をしていたと聞くよ。それが、引退して領地を戴く身になっても、あまり性格がかわっていないと言うことなのかな。
「つまり、そこで出るごはんが楽しみって話なのね」
「そうなんですよ。俺たちじゃなかなかそういうのにありつく機会がないですからね」
「あはは……ごめんなさい」
なんか、待遇をよくして上げられない貧乏伯爵の奥様として、ちょっと申し訳ない気分になった。
「って、す、すみません違います。そういう意味じゃないんです。ホントに、ご無礼を!」
あ。失敗。これはかえって恐縮させちゃうよねぇ。
なんとかフォローをしないと。
「いやぁ、でも、ときどきは晩ご飯にデザートくらいは欲しいかもですね」
「お、おい、リリー!」
あはは……うん、この子くらいのほうが、気楽でいいかも。
彼女の明るさに救われる形で話は変わり、三人で和気あいあいとしながら、馬車は街道をひた走る。
☆★☆★☆★☆★☆★
それから半刻ほどたったころ。
話し疲れてうとうとしはじめたボクだったけど、狂ったように走り出す馬車の揺れで現実に引き戻された。
「こ、この揺れは」
「え?大丈夫なんです? ひっくり返ったりしません?」
「サム爺さんなにごとだ」
慌てる女子組をよそに、フィリベルトは
「後ろだ」
見ると、馬が二頭。この馬車を追ってきているのだろうか。
片方は二人乗りをしながら後ろの男が弓を構えている。
「奥様、賊です。弓を持ってます。決して顔を出さないでください」
この馬車は貴族向けの特別製だ。窓に鉄鎖のカーテンを降ろせば、どこからも矢が中まで貫通することはないし、魔術の炎にも一定の耐性はある。
「やっぱり
まるでこの事態を予見していたようにリリーは言う。
「そういうわけじゃないですよ。ただ、充分これもあり得ると思ってただけです」
「それで、同行を申し出たわけなの?」
御者台に乗りだして追いすがる賊を牽制しているフィリベルトを横目に、ボクはさらに尋ねていく。
「それもあります」
「それ以外もあるわけ?」
「ええ。奥様とお出かけしたかったんです」
あ、ハイ。そうですか。
「サム爺さん、道が悪くなってきたぞ。いけるか?」
「いけるもなにもいくしかないじゃろ」
「違いない」
「男子勢はなんか、たいへんそうですね」
「ホントにね~」
……いやいや、ホントにね~じゃないだろボク。
「フィリベルト、手伝えることはない?」
「ありません。座っていてください」
あ、ハイ。そうですね。
「結局ね、だんな様は前線での攪乱が専門ですし、ヘンリ先輩だって諜報員としての有能さはともかく、やっぱり組織にあつまる情報が無ければ何もできないと思うんですよ」
フィリベルトが聞いていないことを確認したのか、リリーはずいぶんと踏み込んだ話を始めた。
「ね。私はお役に立ちますよ」
にこり。
「ここから生きて帰った後に話の続きを聞くよ」
「はい、よろしくお願いします」
とっ、とととと?
ががががが。
そんなことを話してる場合じゃないぞ。
や、ヤバくない? これ。
「二人ともどこかに掴まれ!」
フィリベルトの声がずいぶんと遠くから聞こえてくる気がする。
馬車は道を外れ、切り立った斜面を転げ落ちていった。
・
・
・
・
幸いにも高さそのものはたいしたことがなかったことに加えて、この特別製の馬車は、そうそうつぶれることのない頑丈な箱なのだ。あちこちコブや打ち身で体中が痛いけど、幸いにも三人とも命に別状はなさそう。
「奥様、外に出ます。オレから離れないでください」
言ってフィリベルトは、横転して天井がドアになっている車内からひらりと飛び出して、ボクとリリーを引っ張り上げてくれた。
「サムさんが」
リリーが、少し離れた場所で放り出されて倒れている
「ダメですね、首を折ってます」
フィリベルトが確認して言う。
やっぱり。腕も気もいいベテランのおじいさんだったのに。
……でも、いまは悲しんでいる場合じゃないよね。
「フィリベルト、右!」
「え? うおっと!」
なにか小さなものが高速で飛び回っている。
一つ、二つ、三つ?
「どっせい!」
奇妙なかけ声とともに振り下ろした従者の剣が、そのうちの一つを斬り倒す。
「ヴァンパイアバット?」
真っ二つに割れたその死体に、ボクは見覚えがあった。
「それに噛まれないで。眠らされるよ」
二人に注意を促しておく。
ただ眠らされるだけと侮ってはいけない。
ヴァンパイアの名は伊達ではないのだ。獲物が眠って動けなくなったところで、群れになったコウモリが一斉に吸血を始めるのだから、被害者のその後は推して知るべし。
幸いと言っていいのか、三匹程度では死ぬほどには吸われないかもしれないね。
「ヴァンパイアバットがこんなところにいるなら、ぜったいに操ってるやつがいる。気をつけて」
言いながら自分でも周囲を見渡してみるも、その姿はようとしてしれない。コウモリで動きを止めるまでは出てこないつもりか? たしかにその方が合理的ではある。
コーン!
何かが木に打ち付けられるような音。
「奥様、あと一匹でしょうか」
リリーだ。彼女がいつの間にか構えているのは投げナイフか。
その一本が、見事にヴァンパイアバットを立ち木に串刺しにしていた。
フィリベルトがそれを見て驚いた顔をしているが、いまはもちろんそれを追求する時ではない。
「リリー、奥様の近くから離れるな」
「わかりました。フィリベルトさんも気をつけて」
リリーにボクを任せられる腕があると判断したフィリベルトは、少し距離を取って周囲の確認をはじめている。
どちらも遠距離から攻撃してくる面倒な連中だけど、崖の下がうっそうとした森だったのは不幸中の幸いだ。どちらの技も木々に大幅に制限を受けることは間違いない。
たしか三人いたはずだっけ。もう一人は近接職かな。
「うらぁ!」
少し離れた場所から、かけ声と、剣戟の響きが一合。
そして。
キキキキッ。
「がっ!!」
甲高い獣の鳴き声と、短い男の悲鳴が続く。
「リリー、行って」
「奥様」
「いいから」
フィリベルトまで死なせるわけにはいかない。
足手まといにならないように残ったボクは、周囲を警戒しながらこの襲撃のことを考えていた。
こっちが本命で、ギデオンは陽動にかかったとリリーが言っていた。
そうなんだろうか。
ヴァンパイアバットを用いていることからも、ボクを殺さずに誘拐することが目的なのか。
これは正しいと感じる。
「いずれにしても、手際が悪いよね」
まず、賊の人数が少なすぎる。こういう計画には素人のボクだってわかるよ。
だって、相手が四人に対して三人で襲いかかってるんだよ?
せめて倍の人数は要るでしょ。
それこそ、山賊のように身ぐるみを剥いで皆殺しならば別だけど。
生きたまま捕らえることは、殺してしまうことの何十倍も難しいんだ。
「…………ん」
二人の向かった方とは違った方向に気配を感じて顔を向けた。
剣を右手にぶら下げた大男がいる。
あれは恐らく、アーチャーを後ろに乗せて馬を走らせていた男だろう。
「ああ、おまえだ。銀髪のおまえ。おまえを連れて行けば仕事は終わりだ」
やはりそういうことか。狙いはボクの誘拐。
だけどこいつ『おまえ』って言ったね。これは、ボクの素性を知らないな?
時を同じくして、背中の方から争う音が聞こえてくる。
リリーが接敵したかな。フィリベルトは大丈夫だろうか。
いずれにせよ、いまは救いの手は望めないみたいだ。
やつもそれをわかっているんだろう。いやらしい笑みを浮かべながらじじりじりとにじり寄ってくる。本来なら背中を向けて一目散に逃げ出すのが正解なんだと思う。
普通の女の子なら、ぜったいにそうすべきだ。
助かる可能性の少ない選択肢しかない中で、わずかでも一番助かる可能性が高いのがそれだろうから。
あいにく、ボクは普通の女の子じゃないんだけどね。
足がすくんで動けないように見えるボクに、やつは無防備に近づいてきて、ボクに手を伸ばしてきた。
ここだ。ボクは男の胸ぐらを掴んで一気に引き寄せる。
まさか捕まえようとしている相手から掴まれるとは思っていなかったのだろう。反射的に身体をひねってぼくの手から逃れようとする。大男と小娘だ、力の差は歴然。当然のようにいともかんたんにボクの手から逃れてしまった。
だが、それでいい。やつの動きに合わせてこちらは軽く両手で胸を押す。それだけで敵はバランスを崩して転びそうになった。
そこで、あと一手だ。再度一歩踏み出して、やつの軸足を引っかけるように足を引けば ――
「どわっ!」
見事に転んでくれる。
手順さえ間違えなければ、この動きにくく膨らんだドレスを着ていても、この程度はできるんだ。
だが、こんなものは余技だ。不意を突くだけで、一度警戒されて体勢を立て直されたら終わり。そうなったら、
だから、そうなるまえに ――
「えいっ」
足下の砂を掴んで、やつの顔に叩きつける。
「ぶぉふぁっ……ぺっ、くっ」
これで視界を奪った。本当ならここで全力疾走で
そうなれば、もう時間の勝負だ。
なんとか、あの男が視力を回復する前に、
もみ合いの最中であの男が取り落としたナイフを拾う。
「ま、まってくれ、俺は頼まれただけなんだ」
やつは、目に入った砂に涙をボロボロと流しながら命乞いをはじめた。
でもごめん。ボクにはキミを生きたまま拘束する手段がないんだ。
ナイフは横にしてあばら骨の間を通すようにしてから心臓を……。
そこまで考えて、動きが止まった。
―― 殺す? ボクが? この男を?
時間にすれば数秒だったんだろう。その短い時間をボクは棒立ちしていたらしい。
そんな隙を、相手が見逃すはずがない。
突き飛ばされた。吹き飛ばされた。
起き上がろうとするボクのドレスの裾をやつが無遠慮に踏んだ。
生け捕りにすると自分で言っていたくせに、思わぬ反撃に逆上した男は、ボクの髪を掴んでから刃物を突き立てようとしてきたんだ。
もうダメ。万事休すだよ。
次の瞬間。噴水が見えた。
いや、見えたのは、噴水のように噴き出す真っ赤な液体だ。
悲鳴も上げられずに倒れ伏す男の背後に、血ぬれのメイド服を着た女の子が立っていた。右手にはぬろりとした液体で汚れた刃物を握っている。
「奥様、トドメは確実に刺しませんと」
「……わかってるよ」
礼を言わなければならない。でも、言いたくない。
なんて狭量なんだボクは。
なんて弱いんだ、ボクは。
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